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この話は私の見聞きしている状況、特に我が家の子どもが感じていることとも一致していると感じた。
「自分が怒鳴られているわけでなくても、誰かが怒鳴っているのを見るだけでストレスがきつい」、という話だ。
このtogetterに対して、たくさんの人が「それは昔からストレスだったものだ」と述べている。確かにそうだろう。怒鳴り声は交感神経を亢進させるシグナルであって副交感神経を亢進させるシグナルではない。交感神経の亢進を他人に伝染させるシグナルですらあったかもしれない。
元々、怒鳴り声はそのようにできていて、そのように流通してきたのだから、怒鳴り声を聞いてリラックスする人は太古の人間社会にもいなかったはずである。
問題なのは「1.それが昔からストレスだったかどうか」ではなく「2.そうしたストレスがありふれた性格のものだったのか、それとも大きなストレスとして受け取られる性格のものだったか」であり、それか、「3.そうは言っても耐えられるものだったのか、耐え難い苦痛として受け取られるものなのか」のほうだ。
2.や3.の問題意識に基づいて「怒鳴り声」について考えるなら、昭和時代以前などと比較して、明確な差異があるように思う。
怒鳴り声、いや、泣き声や悪態などもそうだが、こうした交感神経を亢進させるシグナル、ひいてはストレスと感じられるシグナルは、昔はもっとありふれていた。誰かが怒鳴ることも、誰かが泣くことも、悪態をつくことも、学校でも、街でも、家庭でも、日常茶飯事だったのではないか。
関連して拳骨、平手打ち、どつき、等々が忌むべき暴力としてではなくメッセージの一種としてまかり通ってもいた。繰り返すが、もちろんそれらはストレスだっただろう。だが、ありふれたストレスであり、ありふれていることに疑問を感じることの難しいストレスではあった。
令和の進歩した状況から「昭和以前のストレス環境は間違っていた」と言ってのけるのでなく、その時代の渦中において「こうしたストレスがありふれているのは社会が間違っている」と声を張り上げることができた人は、少なかったのではないか。
つまり「怒鳴り声がストレスかどうか」ではなく「怒鳴り声がどれぐらい許容されてしかるべきストレスかどうか」という観点でみれば、やはり昭和以前と令和では違いがあり、違いがあるからこそ、怒鳴り声を耳にするという事態が許容されなくなっていった経緯と、ストレスとしてクローズアップされる現況には注目する意義があるように思う。
怒鳴り声においても「デュルケームの僧院」が起こっている
この、怒鳴り声とそのストレスに対する受け止め方の変化に関して、私は、社会学者のデュルケームが言っていた僧院の話を思い出す。
それが完璧に模範的な僧院だとする。いわゆる犯罪[もしくは逸脱]というものはそこでは起こらないであろう。しかし、俗人にとっては何のことはないさまざまな過ちが、普通の法律違反が俗世界の意識に呼び起こすようなスキャンダルと同じように解釈されて、そこでは生じることになるだろう。したがって、もし、その社会が裁判と処罰の権力を持っているならば、それらの行為は犯罪[もしくは逸脱]的とされ、そのようなものとして扱われるに違いない
デュルケーム『社会学的方法の規準 (講談社学術文庫)』
何が犯罪や逸脱に相当するのか、何が許容されない行動とみなされるのかは、社会や環境によって違う。このくだりでデュルケームは、「完璧に模範的な僧院のような、一般的な犯罪や逸脱がきわめて少なくなった環境では、俗世界ではとるにたらないとされる問題までもが犯罪や逸脱、許容されない行動とみなされ、処罰などの対象として取り扱われる」、と述べている。
つまり、社会が変われば逸脱とみなされる行動も許容されない行動も変わり、私たちが何をいけないこととみなすのかも変わるわけだ。
そのうえで上掲のセンテンスの"犯罪や逸脱"を"怒鳴り声とそのストレス"に入れ替えて考えると、令和社会はここでいう「完璧に模範的な僧院」に近く、昭和以前の社会はここでいう「俗世界」に近い。昭和から令和にかけては犯罪発生率が低下しただけでなく、ハラスメントの撲滅やコンプライアンス遵守がうたわれ、実際そのように社会は変わった。DVやいじめを防ぐための取り組みも加速している。そうしたなか、たとえば学校で児童生徒にふるわれる体罰の頻度と程度も減り、児童生徒間の暴力や争いごとも少なくなった。
いじめの「認知件数」を見ていると、いじめは少なくなったとは言えないように見えるかもしれないが、これは、いじめが増加したというより児童生徒間の暴力や争いごとに大人たちがセンシティブになったこと、ひいては児童生徒間の暴力や争いが許容される度合いが低下し、許容されず事例化する度合いが高まったことの反映とみるほうが実態にかなっているだろう。
たとえば昭和の小学校にありふれていた拳骨やからかいや冷やかしは、令和の小学校ではいじめとして事例化する。逆に、昭和以前の学校においてそれらのほとんどは大人たちが取るに足らないとしてスルーしていた。確か、ピンカー『暴力の人類史』にも、"いじめは少年時代の試練"といった風に20世紀のアメリカ人たちが捉えていた様子が記されている。
また、ストレスに対しても、私たちはセンシティブになっているかもしれない。私たちはストレスを避けようとし、ストレスから回復しようともする。そのための方法論は昭和以前よりも向上している。ただ、そのためだろうか、私たちは幾つかの種類のストレスをストレスとして受け止めることに不慣れになり、そのひとつひとつのその重さに呻吟している。
社会は、怒鳴り声をはじめとするストレス源に対して全体的にセンシティブになり、そうした事態に個々人が直面しないで済むように変わってきた。それは進歩と言って構わない変化だっただろう。そのかわり、センシティブになった私たちはひとつひとつのストレスに不慣れになり、それらを些末なストレスでしかないと感じることが難しくなってしまった。
だから私は、ストレスの方面でも日本社会は昭和から令和にかけてデュルケームのいう俗世界から模範的な僧院へと変わっていった、とみたくなる。かつては取るに足らないストレスと感じられていたものまでが、重大なストレスと感じられるように、なってしまったのではないだろうか。
高齢者たちは耐え難く無頓着・無神経に見え、若年者たちはどうしようもなく繊細・脆弱にみえる
とはいえ、社会規範や物事の判断基準は幼少期にインストールされる割合が大きいため、昭和前半に育った世代、昭和後半に育った世代、平成に育った世代、令和に育った世代のそれぞれにおいて、インストールされた社会規範はちょっとずつ違っている。
先ほどから挙げている「デュルケームの僧院」の構図は、社会全体がそのように変わっていくものだが、他方で、その構図を内面化している程度は世代ごとに異なっている。「これぐらいなら怒鳴って構わないだろう」と思う基準も、「これぐらいなら怒鳴る場面に出くわしても我慢の対象だろう」と感じる基準も世代ごとに(個人差はさておきその平均は)違ってくる。
そうしたわけで、全体としては年上の人ほど怒鳴る・怒鳴られることに無頓着・無神経で、年下の人ほどそうしたことに繊細、ひいては脆弱であるようにみえる。「怒鳴り声はストレスの源である」というそこのところは今も昔も変わらないが、そのストレス源たりえる怒鳴り声をどのように受け取り、どのように社会規範のなかに位置づけ、取り扱っているのかには世代間のギャップが(時代のギャップとともに)存在する。
結果、若年者から見た高齢者はしばしば耐えがたく無頓着・無神経に感じられ、と同時に高齢者から見た若年者がどうしようもなく繊細・脆弱にみえたりする。
こうした世代間ギャップは別に令和時代特有のものではなく、平成時代にも、昭和後期にもみられた。少なくとも戦後、日本社会は一貫して穏やかで繊細な方向へと変わり、人も穏やかで繊細であるよう期待されるようになったために、いつの時代にも年上が粗野にみえ、年下が繊細にみえる。そうした社会の変遷と、人に求められる行動の変遷については『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』や『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』に書いたし、『ないものとされた世代のわたしたち』でも触れたところだし、それこそアナール学派が中世まで遡って教えてくれるところでもある。
目下、こうした社会全体の穏健化と繊細化は止まっておらず、功利主義や危害原理に基づいて推進すらされているので、順当にいけば数十年後の日本人はもっと怒鳴らなくなり、と同時に怒鳴り声に対して繊細・脆弱になっていると推測される。そのとき、怒鳴り声はドラゴンシャウト*1のように人を害するものとみられているかもしれないし、その反映として、怒鳴り声をあげた人は傷害罪に問われるようになるかもしれない。もちろんこれは極端な推測だが、社会を徹底的に穏やかで低ストレスなものに改変していく未来とは、とどのつまりそういうものではなかっただろうか。
*1:ドラゴンシャウト:ゲーム『skyrim』に登場する、声の使い手だけが使いこなせる、人を害せるほどの威力を持った吠え声