シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『ないものとされた世代のわたしたち』が出版されます

 

題 名:『ないものとされた世代のわたしたち』
発 売:2024年10月4日
社 名:イースト・プレス
リンク:https://amzn.asia/d/gtdLcAr

 
このたび、イーストプレスさんから『ないものとされた世代のわたしたち』という書籍を出していただくことになりましたのでお知らせします。
 
本のカバーに描かれた青々とした氷河とクレバス、タイトルから就職氷河期世代が連想されるでしょうし、実際、この本の第二章はバブル崩壊~リーマンショックの時代が中心に記されています。著者である私が当該世代で、この本が過去の思い出話から成っているので、特に就職氷河期世代に訴えたい……というのが版元さんの狙いなのかもしれません。
 
が、就職氷河期に限らず、この本は私の思い出話からなっています。50歳を前にして半生を思い出話にするってのは恥ずかしいものですが、イーストプレスの編集さんから「書いてみましょうよ」と誘われて書いてみました。思い出話は、以下のように年代別・テーマ別に語られています。
 
 
第1章 途上国の面影のこる地方社会 1975年~
第2章 ないものとされた世代のわたしたち 1980年~
第3章 犯罪者予備軍と呼ばれたオタク 1990年~
第4章 診断され、支援され、囲われていく人々 2000年~
第5章 インターネットにみた夢と現実 2010年~
第6章 やってきたのは「意識低い」ポストモダンだった 2020年~
 
私にとって、この約半世紀は、途上国の面影の残る石川県の片田舎から始まり、思春期にはバブル景気の終わりから"失われた30年"への突入という時代のターニングポイントに遭遇しました。ユースカルチャーの領域では、オタクバッシングが盛んな時期からオタクの大衆化が起こっていった時期にあたり、精神医療の世界では精神分析をはじめとする"心"についてのナラティブの全盛期から退潮期を経験することになりました。インターネットに関しても、研究者やナードやギークやオタクのパジャマパーティーの場だったものが、誰もが利用するパブリックスペースに変貌しました。
 
それからポスト近代(ポストモダン)について。ポスト近代論なんて時代遅れじゃないか、とおっしゃる人もいるでしょうけど、私にとっては現役です。むしろニューアカなどが流行していた20世紀後半より、今のほうがずっとポスト近代みがあるのではないでしょうか。
 
それでも、東京の最も進歩的な圏域にはポスト近代はいまだ訪れていないか、"近代を徹底されたものとしてのポスト近代"が到来した、と体感されているかもしれません。でも地方、たとえば片田舎のロードサイドで、イオンモールなどが生活の生命線になっているような圏域ではどうでしょう? 第6章の"「意識低い」ポストモダン"には、東京からではなく片田舎からポスト近代について考えた、私の随想が綴られています。東京でポスト近代を研究している学者さんから見ればラクガキでしかないでしょうけど、でも、そういう学者さん、片田舎からポスト近代について考えてくれてる気配がないんですよね。そもそも、そういうフォーマルな学者さんは近代のディシプリンをしっかり身に付いておられて、近代をキチンと内面化した、その座標からポスト近代についてお考えになっていないでしょうか。私はそうではないので、そうではない私がグシャグシャとポスト近代について書き殴ったのが第6章で、これが本書をまとめるパートともなっています。
 
第1章から第5章については好きな順番から読んでもたぶん大丈夫ですが、第6章は全部読み終わってからお読みになったほうが良いと思います。私たちが生きた1970年代後半~2020年代までを思い起こす随想に、よろしければ付き合ってやってください。
 
 

2024年三部作の「過去」にあたる本

 
ところで、すでに私は2024年に2冊の本を出版していただいています。
 

 
それぞれの本は内容があまり重複しておらず、それぞれ、私にとって「未来」「現在」「過去」を記したものだと自認しています。つまり、『人間はどこまで家畜か』は未来についての本で、『「推し」で心はみたされる?』は現在についての本、そして今回の『ないものとされた世代のわたしたち』が過去についての本です。内容こそ大きく異なりますが、私のなかでは"2024年三部作"という兄弟みたいな出版企画で、これが全て出版にこぎ着けたことは私にとって大きな喜びです。熊代亨、2024年三部作の完成ってことになります*1
 
この、三部作の「過去」にあたる本を書いていて思ったのは、未来を予測することの難しさ、そして今がどのような時代なのかを現在進行形で把握することの難しさです。就職氷河期の時も、インターネットが普及しようとしている時も、その渦中にあって状況を正確に洞察できていた人はどれぐらいいたでしょうか。国際情勢についてもそうかもしれません。2020年代の国際情勢についての私たちの理解と、30年後から見た2020年代の国際情勢の理解は、きっと違ったものになっているでしょう。だから未来について考えるべきではない、とも言いませんし、IoT化や少子高齢化のように、大筋として当たった未来予測だってあります。ともあれ時は流れ、時代は巡り、私たちはいつも変化の渦中にあります。読者の方におかれては、そういうことにも思いを馳せていただけたらと思います。
 
 

*1:ついでに言えば、私にとって『人間はどこまで家畜か』は社会と生物の本で『「推し」で心はみたされる?』は心理の本で『ないものとされた世代のわたしたち』は追憶の本かもしれない