シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

Xのスケールの大きさと、ファクト・秩序・平穏の生産過程について思うこと

 
fujipon.hatenablog.com
 
「四十代最後の夏が終わろうとしている」というブログ記事を書くつもりでしたが、fujiponさんの上掲記事を読んで、何か鳴き声をあげたくなったのでクマーとさけぶことにしました。
 
fujiponさんが上掲記事でおっしゃっているように、SNSを介して色々なことが起こるようになりました。その「色々なこと」のなかには良いこともあれば悪いこともあり、ふさぎ込んでいる時など、悪いことのほうに心が引っ張られがちだと感じます。
 
しかし、現行のSNS、特にXについてはスケールメリット、それか、スケールデメリットとでもいうべきものが一番大きいのではないかと私は思います。
 
既に色々な人が述べているとおり、Xは極端な言葉ばかりになっており、インターネットの最悪が詰まっている感がありますが、他方でインターネットが「便所の落書き」とみなされていた時代においても、極端な言葉はこだましていたものです。2ちゃんねる然り、旧はてなダイアリー然り、現在も含めたはてなブックマーク然りです。極端な言葉を避けたければ、インターネットをやめてNHKのニュース番組あたりを見ているのが一番良いし、そうするしかないのだと思います。
 
そうした色々なインターネットのなかでXを特徴づけているのは、マスボリュームとかスケールメリット(そしてスケールデメリット)です。Xは情報源や話題提供の場所として日本で最も大きなコミュニケーション圏になっているので、極端な言葉が最もよく響き、極端な言葉の影響力も最も目立ちます。極端な言葉が病みつきになって毎日のように魂を汚し続けている人にとって、これほど好都合なSNSはないでしょう。
 
日本で最も大きなコミュニケーション圏だから、美徳も悪徳も──それこそ七つの大罪さえ──最も増幅されるのがXだと言って構わないのではないでしょうか。たとえばはてなブックマークにおいては、ひとつの失言がもたらすペナルティも、ひとつの扇動の言葉がもたらす影響力も、本当にたかがしれています。
 

角田大河騎手、川口ゆりさん、フワちゃん、相変わらずSNSは不穏だ。 - いつか電池がきれるまで

もう𝕏はおしまいです。はてぶが𝕏ならもうとっくに全員粛清されてるよ怖い怖い。はてぶならこのように無料で叩きたい放題お気持ち表明し放題。𝕏で溜まった100文字の憎悪を振りまいてけ!おいでよはてぶ。

2024/08/15 11:25
b.hatena.ne.jp
 
マストドンや5ちゃんねるにおいても同様でしょう。しかしスケールが大きいXでは、たったいひとつの失言でも大きなペナルティになり得るし、泡沫アカウントの扇動の言葉にも雲霞のようなリポストが連なる可能性があったりします。
 
SNSに限らず、古来よりインターネットのコミュニケーション圏ではどこでも、不穏な言葉や不埒な言葉が流れていたものです。それでも比較的大きな騒ぎが起きにくかった要因は色々思いつきますが、たぶんそのなかで最も大きな要因は「コミュニケーション圏としてスケールの小ささ」だと現在の私は考えています。や、他にも本当は「インターネットの位置づけの変化、特にイリーガル→リーガルな変化やインフォーマル→フォーマルな変化」も重要だと思っていますよ? でも、なんといってもXの破壊力をいや増しているのはマスボリュームの大きさでしょう。
 
さながら、バベルの塔のようですねXは。
あまりに大勢の人が束ねられたために、もうバラバラになるしかないというか、バラバラになりながら各人が囀っているわけですから。よく、「人間にはインターネットは早すぎた」みたいな言葉を見聞きしますが、早すぎたのはXなのであって、もっと小規模のコミュニケーション圏やコミュニケーションアプリは人間には早すぎたわけではないと思います。
 
「ダンバー数」という言葉もありました。
ダンバー数は、「人間が安定的にコミュニケーションできる&認知できる人数は300人を下回るぐらい」といった目安ですが、たぶんダンバー数を下回るコミュニティなら、今日のXのような猛悪さにはならないでしょう*1。とにかく、ダンバー数をはるかに上回るコミュニケーション圏で日常的にインプットとアウトプットを繰り返していることこそ、人間には早すぎるのだと思います。
 
人間の認知だけでなく、情動や情緒の限界だって超えてますよね。だから恨み節も塵も積もれば山となって人を押しつぶしてしまい、「いいね」にあてられて報酬系がおかしくなってしまう人も出てきてしまう。人間は、何万人も相手取ってコミュニケーションするようにはできていないんです。稀に、できているように見える人がいたりしますが、それが人間のデフォルトだと考えるべきではないでしょう。
 
関連して、00年代の頃のはてなブックマークにおいて、私はインターネットの醍醐味のひとつは「たった一人の"鶴の一声"で、何十人何百人に支配的だった考えをひっくり返すことができること」「単騎で群衆の意見に対抗できること」だと思っていました。ですがこれはコミュニケーション圏が小さく、はてなブックマークのユーザーが顔見知りである割合が多かったから言えたことでした。
 
何万何十万ものが集い得るXで同じことをやるのは無謀です。どれほど練達のネットユーザーやインフルエンサーでも、津波のように押し寄せるユーザーに正面からぶつかっていけば無傷で済まないでしょう。そのような時には、逃げるにしくはありません。
 
 

Xでは本当のことがわからない→本当のことの生産過程について思うこと

 
 
それから、スケールの大きさがもたらしているもののもう一つが、

 ただ、ネットに書かれていることが、本当に事実、真実なのかはわからないし、真偽がどんどんわかりにくくなってきている、とも思うのだ。
 だから、自衛のためには、感情を揺さぶられるポストやネットニュースに対して、「反応しない練習」をしておいたほうがいい。
 安易に炎上の尻馬には乗らないほうがいい。

ここでfujiponさんがお書きになっている「真偽のわからなさ」だと思います。
 
Xでは何が本当のことなのかよくわかりません。それは「ウソをウソと見抜けない人には(インターネットは)難しい」といった個人のリテラシーの問題以上に、Xという場がファクトとフェイクの区別がつけづらい場、本当のことが生産されにくく、本当ではないことが生産されやすい(かつ、跋扈しやすい)場であるためだと個人的には考えています。
 
Xというバベルの塔がバラバラにしてしまったのは思想信条だけではありません。何がファクトで何がフェイクなのか、それを認定し、それを伝達し、それが浸透する過程も同様だったのではないでしょうか。
 
と同時に、Xの今日の風景から逆算してこうも思うのです。
Xや他のSNSが台頭してくる前の段階において、ファクトはどのように認定され、伝達され、浸透していったのか?
もっといえば、過去においてファクトの生産過程とはどういうものだったのか?
 
ファクトの生産過程は、ほとんどそのまま秩序の生産過程でもあったでしょうし、平穏・平安の生産過程でもあったでしょう。
 
もちろんファクトのなかでも手堅いものは手堅く、たとえば三平方の定理に当てはまらない三角形は地球上には存在しないはずだし、地球はおおむね球状の惑星で、太陽のまわりを公転しているはずです。しかし、世の中にはもっと曖昧な領域のファクトもあって(特に人文社会科学領域)、そうしたファクトに関しては、ファクトの認定・伝達・浸透過程がグラつけばたちまち複数のファクトらしきものが林立するような事態が起こってしまいます。
 
でもって、曖昧な領域のファクトが曖昧になりやすいことをいいことに、人は、自分の信じたいファクトらしきものを信じたり、流行らせたいファクトらしきものを流行らせたりするわけですよね。とりわけXは、そうしたファクトらしきものが林立しやすい環境になっているように思いますし、そのことを理解したうえで怪しげなファクトらしきものを流布しようとしている人たちの姿を日常的に見かけます。
 
このあたりも、人間には早すぎた感のあるところなのですが、じゃあ……早すぎない、人間にとってちょうど良いファクトの認定・伝達・浸透過程ってなんだったんでしょうか。
 
それは、近代以前のファクトの生産過程だと思います。
かつて、ファクトの生産過程は知識人や政府や大手マスメディアに掌握されていて、ファクトはXのような大鍋でつくられるわけではありませんでした。ファクトはもっと特権的な領域で認定され、伝達や浸透過程も大手マスメディアや政府が差配していたわけです*2
こう書くと「そんな時代のファクトの生産過程は、恣意的で、不自由だ」「まさにその知識人や政府や大手マスメディアが過ちを繰り返してきたんじゃないか!」とツッコミが入るでしょう。私もそのとおりだと思いますし、近代以前のファクトの寡頭制的な生産過程を賛美すべきでもないのはわかっているつもりです。しかし、たぶんそれぐらいが人間にはちょうど良く、手に負える生産過程だったとも思えるのです。
 
そうした近代以前のファクトの生産過程があったうえで、近代以前の秩序、近代以前の平安・平穏も構築されていたわけですが、これが壊れちゃったのがSNS登場以後、西暦にして2010年代あたりからの出来事ではなかったかと思います。壊れた後の今、どのような秩序と平安・平穏が成立可能なのかは、たぶんまだ誰も知りません。一番簡単な回答は「近代に帰って」「寡頭制的な生産過程を取り戻せ」ですが、それってつまりSNSにおける諸々の自由を制限しろとか、デモクラティックな言論の生成過程をやめさせろとか、そういうやつだと思うので、100点がもらえる回答だとは思えません。
 
じゃあ、どうなるのかって話は正直私にはわからないのですが、個人レベルの対策としては「Xをはじめとする新たにコミュニケーション圏として台頭してきた諸々を軽々には信じるな」が手堅く、具体的には「インターネットは一日1時間までにしておく」あたりが最もシンプルで効果的な対策たり得るのではないかと思っています。
 
冒頭リンク先のfujiponさんにおかれては、こうしたことも重々承知かとは思われますが、今日の私は共鳴したかったので、(この問題に関する)私の鳴き声をブログにアップロードしてみた次第です。Xなど、どだい人の手には負えない代物なのですから、ちょっと距離感のあるお付き合いをしていきたいものです。
 
 

*1:そのかわり、小さなコミュニケーション圏特有の問題が生じますが、それは於きます

*2:ちなみにプレ近代では、この過程から大手マスメディアというアクターがなくなり、政府や権威の出張る割合が高まります