シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

アメリカに治安維持は必要か・必要だろうけどさあ

 
タイトルは主語も目的語もでかい話で、正直よくわからない。でも最近のアメリカで起こっていることを聞いていると、治安維持、必要じゃないの? って思ってしまう。
 
 
全米に押し寄せる「万引の波」 凶悪化で閉業相次ぐ - 産経ニュース
梅宮アンナ、50日滞在してわかった「大好きだったアメリカ」の悲惨な現状。育児にベストな国ってどこなんでしょうね(OTONA SALONE) - Yahoo!ニュース
米で若者約100人の集団略奪事件 同種事件相次ぎ小売店の閉鎖も | NHK | アメリカ
  
これらの報せをみて、まともな感覚の持ち主なら「治安維持が必要だ、アメリカの治安はどうなっているんだ」と思うだろう。と同時に、人心が乱れていること・犯罪が堂々と行われていること・治安が日本とは比較にならないぐらい悪化していることを憂うだろう。
 
でも、こういう事態がだんだん広がったからといってアメリカ社会、あんまり悪くなってなさそうですね? いや、これはそこに住んでいる人々の困り具合や悲しみや怒りのことでなくて、資本主義がグルグル回るマシーンとしてのアメリカ社会が、治安の悪さが報じられてもあんまり動揺してなさそうというか。
 
別の言い方をするなら、こうした出来事が日本に何度も報じられているからといってマーケットが「アメリカ社会はおしまいじゃー」って反応を示しているって話は聞かないじゃないですか。経済セクターや金融セクターにとって、これらの事態は痛くもかゆくもないってことなんですかね。これぐらい治安が悪くなってもアメリカ社会は心配ねえってみんな思っているってことなんでしょうか。それが知りたい。誰か教えて欲しいからこの文章を書いてみているので、事情に通じている親切なかた、教えていただけませんか。
 
 

法の遵守は商取引の規模と効率性に必須のものではなかったの?

 
私は素朴なので、実態としての経済活動には法の遵守が必要じゃないの? などと疑ってしまう。
 
一応、経済活動じたいは無政府状態でも無法地帯でも成り立たなくはない。けれどもその取引には略奪や盗難といった色々なリスクがついてまわるから、経済活動の効率性はとても悪くなる。たとえば無政府地帯を通過するキャラバンは強大な護衛をつけなければならないし、大航海時代の投機的な航海の場合も保険をたっぷりつけなければならない。山賊が通行料をとったり、隊商が頻繁に襲われたりする状況では経済活動は非効率も甚だしくなってしまう。
 
対して法が遵守され、国の統治機構や治安維持機構が安全を保障してくれるなら、強大な護衛も高い保険も要らなくなる。商取引は効率的になり、そのぶん経済活動は活性化する。参入障壁も低くなるだろう。今日の豊かな資本主義社会は、そういった前提のもとに成り立っていたはずだ。
 

 ……以上のような歴史上の諸例が示すように、資本主義の成立・発展・存続にとって国家の介入は不可欠だった。現在もそうであり、今後さらに介入の重要性は増すだろう。その理由は三点にまとめることができる。まず一つには、資本主義的な取引をそもそも可能にする基盤である市場は、政治的手段によってのみ作り出されうる枠組み条件を前提とする。すなわち、通商を分断し制約するさまざまな障壁の除去、最低限の平和的秩序の保障、契約ないし契約に類した合意を締結し履行するためのルールの提供。こうした仕事は市場にはできない。資本主義の離陸には政治的力の投入が不可欠だったし、それは今後も変わらないだろう。
──ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史』P155-156 より

 
私有財産についても同様のことが言える。無政府状態や無法地帯に近づけば近づくほど、私有財産の保障は怪しくなる。そもそも近世以降の私有財産の概念自体が怪しくなってくる、ような気がする。無政府状態や無法地帯において私有財産を保証するのは個人的・集団的な「力」になる。その「力」のなかには当然、銃や刀剣で武装するといった個人的な武装、さらに家や共同体や一家・一門といった集団的な安全保障が含まれるだろう。社会契約のよく守られた法治国家では、そういった武装や私兵集団づくり、そして私的な暴力の行使は制限される。マフィアやギャングがうろつくようでは立派な法治国家とは言えない。
 
けれども無政府状態や無法地帯になってくれば話は別だ。誰もが武装し、誰もが身を守り、万人の万人に対する闘争っぽさが高まり、社会契約論以降の私有財産の根拠がまるごと成り立たなくなれば、封建制以前の「力」に基づいた財産所有に逆戻りしてしまうようにみえる。
 
ところが今、アメリカで起こっていることはその逆戻りに向かっているようにみえる。略奪や強盗がまかり通っている社会状況とは、法治とそれを保証する国の統治機構や治安維持機構がマトモに機能しなくなり、無法地帯みが高まり、商取引や私有財産を守るために護衛や武装が必要になり、効率的な経済活動が成り立たなくなってしまうやつじゃないのだろうか?
 
ついでに言えば民主主義的にもどうよ? と思う。
個人の諸権利がたやすく武力や犯罪によって侵される社会状況とは、自衛できない人間が泣き寝入りするしかない社会状況、自衛できない人間には権利がなく、それを誰も保証しない社会状況だ。アメリカは日本とは違っていて、建国以来のいろいろ事情があるから日本よりずっと万人の万人に対する闘争っぽさがあるのかもしれないけれども、マジかよ、という思いを禁じ得ない。これでは「銃が必要だ」っていう話にもわかりみが生まれてしまう。
 
アメリカ社会ではいろいろな正義が大切だと議論され、それに即していない人はパニッシュされるというけれども、いろいろな正義をうんたらする前に、まず自衛できない人間を泣き寝入りさせる社会状況をどうにかしないといけないんじゃないの? と、つい日本人の私は思ってしまう。
 
こんな状況が続けば、ますます人心が荒廃し、万人の万人に対する闘争みが高まり、私兵や護衛が必要になり、商取引の効率性は悪くなるだろう。いや、実質的には商取引ができない状況がこれから増えていきそうだ。個人経営の店舗なんてやってられないし、スーパーマーケットも営業できないし、宅配だってできなくなるだろう。それともウーバーイーツが装甲車でピザを宅配するようになるのだろうか。装甲車でなければピザの宅配もできない社会、貨物列車が装甲列車に、トラック輸送が護衛付きキャラバンに替わる社会はおそろしく非効率で、商取引が毀損されるだろう。住宅地だってそうだ。ゲーテッドマンションという言葉があるが、それが極まれば封建領主制と大同小異、本気で町全体を防衛しなければならない。これまた商業活動にとって効率の良い話とは思えない。
 
こうして考えると、現実世界のアメリカで起こっていることは資本主義の基盤がぼろぼろになっていて既に商業活動に悪影響が出ている状態にみえる。だのにマーケットはそんなに慌てているっぽくないので、これは通常運転の範囲なのだろうか。
 
それとも、金融とハイテクが差配する経済の世界では、もう現実世界の商取引なんてミジンコぐらいの価値しかないから、どんなに荒廃してもマーケットは微動だにしない、せいぜい小売企業の株価が下がる程度のものでしかないのだろうか。いや、それでもサービス業や運輸業のGDPに占める比率や従事者数をみるに、ミジンコぐらいってわけでもないようにみえる……のだけど、そうでもないのだろうか。そういえば、今はアメリカは一応好景気であるはずなのに人心の荒れ果てた報せがたくさん舞い込んでくるが、それも、景気の良さと民草の暮らしぶりがもはや連動しなくなっているため、民草の暮らしと経済がとうの昔に乖離しているためなのだろうか。
 
よくわからない。
 
実際には治安の良い場所がたくさん残っていて、アメリカ社会の隅から隅まで悪くなっているわけじゃなく、特に富裕層の暮らす領域ではまだ治安が悪くないから、ブルジョワやプチブルたちはたいした問題じゃないとみなしている、のだろうか。それともアメリカ人は日本人ほど心配性じゃないから平気なのだろうか。すげえな、とも、無神経だな、とも思う。さりとてこうしたことを確認する方法も思いつかず。日本だったら東京の幾つかの区画、埼玉の幾つかの区画が物騒になっただけで相当な騒ぎになりそうなものだけれど。