シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

独りで生きて、独りで死ねる未来ができてほしい

 
孤独死を弔い続ける神主が危ぶむ「強烈な孤立」 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
 
先日、世間では孤独死が増えている、もう既に問題だ、と提起する記事を東洋経済オンラインでみかけた。孤独に死ぬことを凄絶とみなし、また、死後の片づけの問題にも触れている。もう既に問題なのは、指摘のとおりだろう。
 
一方、ここ最近のスマートメディアの発展・普及や、新型コロナウイルス感染症に際して片鱗のうかがわれた健康をモニタリングする統治可能性をみるに、孤独死への対策は不可能ではないというか、将来は大っぴらに行われ、案外うまくいきそうな気がしてきた。
 


 
このツイートにもあるように、電力消費量やメディアの使用状況、スマートウォッチなどの(オンラインと直結した)バイオセンサーをもってすれば、独りで死んで何日も放置されるような事態は防げる。制度上の問題はもちろんあるが、技術的には十分に可能だ。制度さえ許せばだが、孤独死どころか、急変した人の住まいに素早く救急車をまわすことすら可能かもしれない。
 
「孤独であること自体が問題だ」と主張する人もいるし、それはそれで問題ではある。ただ、コミュニケーションのオンライン化が一定以上進んだ世代においては、Face to Faceのコミュニケーションがなくとも、コミュニケーション自体は維持される可能性がある。いや、狭い意味でのコミュニケーションが発生していないとしても、なんらか、コミュニケーションに参加しているという体感は得られるかもしれない。地域の付き合いが生活に密接したエッセンシャルなものでなくなり、むしろ、お互いに関わらないことを良しとするライフスタイルが増えれば増えるほど、オンラインで繋がっていることの重要性は高まる。コンビニやネット通販の普及も、スタンドアロンなライフスタイルを後押ししてきた。孤独は、問題視されるライフスタイルであると同時に、20世紀後半以降、スタンドアロンなライフスタイルとして持てはやされたものでもあった。誰もが嫌々、独りで暮らしているとは限らない。
 
今、起こっている孤独死がさまざまな問題をはらんでいることは確かだ。だからといって、独りで死ぬことは、本当に、すべて問題だろうか。そうではないと思う。独りでひっそり死ねるならそれでいい、他人の手を煩わせることさえなければ独りで死ぬのは構わない、という人は意外に多いのではないだろうか。だとしたら、独りで死ぬことそのものを問題にするのでなく、今現在の孤独死についてまわる諸問題をどうにかして、独りでひっそり死にたい・死ぬまでひっそり独りで暮らしたい人が憂いなく暮らせる未来を模索すべきだし、それは可能のようにみえる。
 
 

孤独死対策に必要と思われるもの・これから行われそうなもの

 
(今現在、問題になっているような)孤独死を防ぐためのインフラの第一は、スマートウォッチなど、個人の健康状態をリアルタイムで確かめられる機器の導入だろう。現時点ではちょっと先進的でお金のかかる手段にみえるかもしれないが、近い将来、生活のあらゆる領域のオンライン化が進めば(進まないわけがない)お金のかからないありきたりの手段になる。現在の統治機構と諸制度はこの仕組みを導入していないが、増え続ける独居者の健康と安全を守るため、それと種々のコストを引き下げるために、採用される可能性がある。いったん採用されてしまえば、独りで死んだ人が何日も放置される事態は防げるし、急死や急変を防ぐ手段にもなり得る。
 
現代人は、健康を守る・命を守るというタテマエには弱いので、どこかの時点で、スマートウォッチなどではなくバイオセンサーを体内に埋め込むことが義務化されても驚きはしない。医療費削減というホンネが加われば尚更だろう。バイオセンサーを埋め込む時に嫌悪感をおぼえる人は当然いようし、これが、人間の自由を枠づける権力の一種たりえることを警戒する人もいよう。が、じきにほとんどの人は馴らされ、命を監視・管理されることを当たり前だと思うようになり、違和感や警戒感を訴える声はかき消されていくだろう。
 
それともうひとつ、独りで死ねる住まいができないものだろうか。独りで死んでも黒いしみを床につくらなくて済むような住まい、それか一般の住まいに独りで死んでも大丈夫な道具立てを備える、そういったインフラが利用できるなら、独りで生きたい人や独りで死んでいきたい人の憂いがまたひとつ減るだろう*1
 
それらに加えて、死後の法的・情報的手続きを生前に整理しておく仕組みが定着すればなお良い。遺言をはじめ、現在でも死語に備えた手続きやサービスはあるにはあるが、もっと多くて構わないし、もっと一般的になっても構わない。
 
 
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国勢調査によれば、単身世帯の割合は2015年の段階で34.5%に達していて、グラフは右肩上がりだ。地域共同体は希薄になり続け、親子であっても別々に暮らしていることが珍しくない。結婚していたとしても、パートナーが死去すれば残される側は独り暮らしになる。それなら、独りで死ぬのを絶対に回避しようとつとめるのでなく、独りで死んでも構わないようにすること、憂いなく独りで生きて独りで死ねるようにすることは、高齢化と単身世帯化の進むこの国では避けられない課題のようにみえる。だったらやっていくしかないのでは?
 
 

家族がいても死ぬときは独り

 
私は、死について考えるのが恐ろしい。
できれば遠ざけたい。
だがいつか人は死に、家族がいても子どもがいても旅路は独りだ。
ならせめて、死後に憂いを残すことなく生きていきたいので、この分野の進展に期待している。
 
 

*1:今日でも、介護やヘルプサービスを念頭に置いた高齢者向け住宅は独りで死ねる住まいに近いと言えないこともない。しかし高コストであり、介護やヘルプサービスが必要な段階の人のためのものだ。それにピュアに独り暮らしとはいえない