シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

駅チカに、効率至上主義なブルジョワの夢を見る

 
 
 
タワーマンションと駅徒歩何分のお話 - novtanの日常
 
 
 リンク先の文章を読んで、駅徒歩数分といった、いわゆる「駅チカ」と呼ばれる住まいの魅力を私はかえって理解したような気がした。駅チカ、都会生活に最適化されている人には非常に魅力的な住まいなんじゃないだろうか。
 
 リンク先のNOV1975さんは、以下のようにおっしゃる。

駅直結のタワーマンションで云々、という広告を見るたびに「へー誰が住むんだろうね」という感想をみんなで漏らしながら、その街の良さはどこだったろうと心を巡らすのだ。
言ってみれば、駅徒歩何分にこだわるということは、都会の忙しさに直結する住まいを選択するということにほかならないのではないか。魂を都会というものに縛られている。

 
 ここでいう「都会の忙しさに直結する住まい」とは、都会の忙しさに最適化した住まい、と言い換えることができる。ここでいう都会の忙しさの正体は、時間とお金のコストパフォーマンスや効率性だ。
 
 「時は金なり。」という言葉が流通しはじめたのは、フランドル地方の商業者の間でだったという。確か、プロテスタントな第三身分(ブルジョワ)だったと記憶している。いち早く時計が普及し、時間を節約し生産性を向上させるブルジョワ的ライフスタイルが生まれた頃に「時は金なり。」という言葉ができあがった。
 
 

技術と文明 (1972年)

技術と文明 (1972年)

 
 
 駅チカとは、「時は金なり。」を地でいく住まいだ。通勤の時間を最小化するための住まい。駅にフィットネスジムやスーパーマーケットが併設されていれば、最小限の時間で、生活のたいていのことが間に合う。駅チカの眼目は「その街の良さ」ではなく、効率性と生産性の向上を採ること、つまりブルジョワ的ライフスタイルの忠実な実行にあるのではないか。
 
 
 また、上掲リンク先に対して、「不動産屋のラノベ読み」のLhankor_Mhyさんは以下のようなブックマークコメントを付けている。
 
タワーマンションと駅徒歩何分のお話 - novtanの日常

居住性以外のものを見てるからだと思う。駅近だとリセールバリューが高く、賃貸相場も高いので、資産価値を考えると駅徒歩は重要視せざるを得ない。30歳で築10年のマンションを買うと、70歳で築50年。どうしても、リセ

2019/10/16 18:56
b.hatena.ne.jp
 
 駅チカの住まいはリセールバリューも高く賃貸相場も高いのだという。
 不動産屋さんがおっしゃっているのだから、そうに違いない。
 
 住まいの資産価値を云々し、機を見て売却するという発想もきわめてブルジョワ的だ。機を見て売却するということは、「その街の良さ」という要素はブルジョワ的な駅チカ族──いや、世間にならって空中族と言うべきか──にはなさそうである。
 
 仕事や生活にかかる時間的コストを効率化し、住まい自体のリセールバリューや賃貸相場に目配りするような人々とは、都会の忙しさに最適化した人々であり、とどのつまり、資本主義に最適化したライフスタイルと感性を持った人々なのだと思う。少なくとも、そのような人々になら駅チカの住まいは魅力的とうつるに違いない。彼らが重視しているのは「その街の魅力や愛着」などではなく「効率性と生産性と資産価値」なのだろうから。
 
 
 

ホモ・エコノミクス的・ブルジョワ的な住まい

 
 
 駅チカな住まいのブルジョワ的な特徴を簡単にまとめてみる。
 
 

  • 単位時間あたりの生産性の高さ。通勤、旅行、買い物、その他暮らしのあらゆるものの時間効率性が高い。時間効率性が高いということは、現代人にとって経済生産性が高いこととほぼ同義。移動時間を省くことで、余剰時間をつくりだし余剰生産性を獲得することができる。

 

  • 物件そのもののリセールバリューや賃貸相場の高さ。住まいそのものに資産としての価値を期待できる。土地への愛着など意に介さないなら売り抜けることさえ可能かもしれない。

 

  • プライベートとセキュリティを重視した住まい。盗みに入られないだけでなく、生活する個々人のプライバシーやプライベートが守られる。詳しいことは別の機会にゆずるが、ブルジョワ的なライフスタイルとプライバシーには密接な関係があり、原則として、ブルジョワ的なライフスタイルを採用する人ほどプライバシーの保たれた生活が必要になる。

 
 駅から遠い旧来の住まいでは、これらの特徴はここまで徹底されていない。逆に、駅チカではこれらの特徴が徹底されている。ブルジョワ的なライフスタイルを徹底させたい人なら、土地への愛着よりもお金や生産性への愛着のほうが深かろうから、駅チカを選び、あわよくば空中族になってやろうと望んだりもするだろう。
 
 これは、街への愛着とは正反対のライフスタイルと生存哲学だ。駅チカに魅力を感じるような人は、すすんで魂を都会に差し出しているのだ、いや、魂を資本主義に差し出していると言ってもいいのかもしれない。ある人にとって最適とは思えない選択が、別の人にとって最適かつ魅力的な選択にみえることがあるのが世の中なので、駅チカでどんどん資本主義的な生活を極めていく人もいれば、駅から距離を取り、住まいへの愛着というちょっとノスタルジックな生活を続けていく人もいるのだろう、と思う。
 
 
 

子どもはホモ・エコノミクスとして生まれてこない。

 
 
 ただ、注意を喚起するに値することはある:たいていの駅チカは、子育てに最適化されているとは思えない点だ。
 

タワーマンションと駅徒歩何分のお話 - novtanの日常

子育て入ると交通量の多い駅近は避けたくなる。公園・小学校・お気に入りのチェーンのスーパーからの近さ重視かな。

2019/10/17 08:48
b.hatena.ne.jp
 
 望ましい駅チカの物件には、フィットネスジムやスーパーが併設されていることもあり、そういった点ではあてになるとしても、子育てに最適化されているかといったら、そうは思えない。子どもは最初からホモ・エコノミクスやブルジョワとして生まれてくるのでなく、現代社会の習慣や通念に曝されて少しずつホモ・エコノミクスやブルジョワとして成長していくのだから、駅チカ最大の利点である「(電車での)移動時間が短い」というメリットを子どもは十分に生かせない。子どもが学校や公園に気軽に行けるような駅チカともなると、それはもう、首都圏中枢からほど遠い、リセールバリューのあまり高くない住まいになってしまいそうだ。
 
 言ってしまえば、空中族などという生き方じたい、成人の生産性や経済合理性に最適化されているのであって、子育てに最適化されているものではない。だから子育てに適していないとしても些末なことなのかもしれない。駅チカの多くはゆっくり子育てするのに向かない住まいだろうけれども、ゆっくり子育てをするという行為じたい、成人の生産性や経済合理性にそもそも適っていない。
 
 いまどきは、猫も杓子もコストパフォーマンスで、生産性といった言葉が金科玉条のようにありがたがれる時代だから、駅チカに夢をみる人は割と少なくないと思う。コストパフォーマンスや生産性を追求することに美意識すら見出すような真性のブルジョワならば尚更だ。まだまだ駅チカはありがたがられ、物件は増えていきそうだ。