シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

1カ月ほどブログを書かなかったら

 
 この1カ月ほど、実はほとんどブログを書いていなかった。
 
 せいぜいきっちりブログを書いたと言えるのは、劇場版『この素晴らしい世界に祝福を!』の感想ぐらいのもの。ほかは作り置きしていた文章をアップロードするタイミングがやってきたからアップロードしたものか、余所様へ文章を寄稿する際に合わせて下書きしておいた、関連記事だった。昨日、久しぶりにブログを書いてみたけれども上手く書けたとは思えない。ある程度の間隔でブログを書かなかったせいか、知識を引用することと文章として完結させることを噛み合わせられなかった。
 
 8月も、ブログを最小限にしていた。要はこの2カ月、忙しかったということだ。本業も忙しく、プライベートもばたばたしていて、調べなければならないこと・考えをまとめなければならないことが山積していた。この2カ月の間で研修医の頃以来の消耗を経験し、寿命が数カ月ほど縮んだと思う。なすべきことのために命を使うのは、恥ずかしいことではなく誇らしいことなので、ここで命のろうそくを燃やしたことは悔むまい。
 
 私にとってブログを書くことは気休めであり、考えを練り直す場であり、誰かに話しかけてみる場でもあった。このうち、考えを練り直すことについては、この2カ月に一年分ぐらいやったので不足していないけれども、気休めとしてのブログ、誰かに話しかけてみる場としてのブログは楽しめなかった。twitterもロクにやれていなかったと思う。そうしたら、ブログもインターネットもSNSも全部が遠いところの出来事のような気がした。そうか現実が忙しくて、インターネットに足しげく通わなくなった人はこんな気持ちになるんだな、と驚いた。
 
 私は研修医の頃もインターネットだけは頻繁に接続して、どこかの誰かとは喋っていたから、こういう境遇は就職してから初めてだった。ブログに慣れ、忙しい時期のためにブログ記事を作り置きできるようになった結果として、こんな空白期間が生じたのは皮肉なことだ。
 
 こんな風にブログを書いてしまうのなら、いっそグーグルアドセンスでも申し込めばいいのかもしれない、とも思った。「ブログはキャッシュであるとともにフローでもあるから最低限の周期ではアップロードはしておかなければならない」などという発想で「作り置きしたブログ記事」をアップロードすること自体、楽しいブログライフから逸脱しているのではないか? と疑問に感じたからだ。これはメランコリ―なブログライフではないか。
 
 ブログを換金するのが上手な諸先輩とは違って、私はそういうの苦手だから、副収入と言える水準には至らないだろうが、ちゃんとブログを楽しめているとは言えないようなら、そのように処断してしまったほうがいいのかもしれない。
 
 なんだか遠いところまで来てしまった、とも思った。此処は、10年前の私が熱望していた何処かだし、5年前の私が推進した何処かでもある。その結果としてブログを書かない1カ月がやって来るのは、やはり悲しいことではある。私はインターネットのどこで、過去のキャッキャウフフとしたブログライフに相当するものを充当すればいいのだろう? それとも私はそういったものを必要としなくなってしまったのだろうか。
 
 たぶん私は次のフェーズを考え、実行しなければならない時期を迎えているんだと思う。三十代の結果としてのブログライフに別れを告げ、五十代の原因としてのブログライフ、それか現在の後継にあたるインターネットライフを見つけなければならなくなっているのだと思う。だから尚更ためらい、隙間時間にこんなことをブログに書いたりしている。いや、ブログってのは(少なくともはてなダイアリーってものは)こんなことを書く自由があったわけか。そういう事を思い出すのに時間がかかるぐらいには、すれてしまったのだなと思う。