シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

ばあさんはコンビニを日用雑貨店として使っている


 
 
 最近の都心のコンビニは国際色豊かで、従業員もお客さんも多国籍だ。いっぽう田舎のコンビニにも独特の景観があり、茶髪や金髪のお姉さんが働き、地元の高齢者が足しげく通っていたりして、これはこれで趣がある。
 
 私の通勤圏にあるFというコンビニ*1は、そういう趣の非常に強い良いコンビニだ。
 
 そのコンビニは過疎化の進んでいる小集落と新興住宅地の中間ぐらいの場所に建っていて、国道にも面していた。国道沿いだから私のような通勤客が立ち寄ることもあるし、もちろん地元の高齢者の姿もよく見かける。
 
 で、地元の高齢者の何人かが、どうやらコンビニを日用雑貨店として使っているように見受けられるのだった。
 
 たとえば典型的なばあさんの場合、彼女はいつもカゴいっぱいに買い物をする。生鮮食料・助六弁当・漬物・乾電池・煎餅・チョコレート・アルコール・タバコ――要は、日用雑貨のあらゆるものをコンビニで買っているのがみてとれる。客単価は、3000~5000円ぐらいだろうか。
 
 その手のばあさんはコンビニで喋る。店員さんに世間話を繰り出すこともあり、店員さんもよく心得ているのか、それなり相手にしてもらっている。コンビニが混雑する朝や夕方は見かけないところをみると、混雑する時間帯は避けているのではないか。
 
 そうして買い物袋いっぱいに買い物をした後、ばあさんがたは小集落へとヨタヨタと帰っていく。そのさまは、昭和時代の日用雑貨店(“○○ストア”とか“○○商店”と銘打たれていたような)で買い物をする高齢者のソレとほとんど変わらない。年齢は70代~90代と思われ、実際、昭和時代から暮らし続けていたのだろう。
 
 そのばあさんがたは、コンビニをコンビニとしてではなく日用雑貨店として使っている様子だった。考えてみれば、平成時代のコンビニと昭和時代の日用雑貨店は、売られているものがよく似ている。
 
 値段も意外と変わらない。スーパーマーケットと比べればコンビニは割高だが、小規模な日用雑貨店は意外に値段が高かったりする。
 
 コンビニのほうが新しい品物が多く、サービスが行き届いているだけのことだ。
 
 

コンビニが提供する現在と、コンビニが無くなった未来

 
 たぶん、そのFというコンビニができたことによって、地元の高齢者は買い物しやすくなったのだろう、と思う。
 
 わざわざ遠く離れたスーパーマーケットまで行かなくてもたいていの日用品が手に入るのは、高齢者、とりわけ自動車を運転できない高齢者には心強い。スーパーマーケットより多少割高でもコンビニで買い物を済ませてしまいたい気持ちはわかる気がする。
 
 ただ、コンビニに頼れば頼るほど、コンビニが無くなったらどうなるのか、それこそ買い物難民まっしぐらではないか、といった寂しい気持ちも、いや他人事では済まされないような気持ちも沸いてくる。
 
 よほどの過疎地をのぞき、地方にもコンビニが行き渡るようになった90年代からこのかた、地方の集落や村落のたぐいにある日用雑貨店は次々に潰れていった。
 
 日用雑貨店は、品揃えでも清潔感でもコンビニにはかなわない。アメリカザリガニによって駆逐されるニホンザリガニのごとく、日用雑貨店は駆逐されていった。なかにはコンビニへとクラスチェンジを遂げたものもあったが、オーナーが高齢だからか、それとも健康上の理由が発生したのか、あまり長続きしないものもよく見かけた。
 
 今回とりあげたエリアよりも人口密度の高い地域では、コンビニの空白地帯あたりに日用雑貨店が細々と生き残っているケースがみられなくもない。だが、そうした生き残りの日用雑貨店も現在進行形で潰れている。
 
 くだんのFというコンビニの近くの小集落を歩いてみると、かつてはタバコ屋だったとおぼしき張り出しのある家や、かつては日用雑貨店だったらしきシャッターや、「コカコーラ」「オロナミンC」といった看板を見かける。だが、その小集落にはもう、営業している商店は存在しない。
 
 Fというコンビニの繁盛ぶりをみるに、その小集落の高齢者がすぐに買い物難民になってしまう心配はなさそうにみえる。
 
 だが、十年後、二十年後は?
 
 もっと高齢化と過疎化が進み、向かいの新興住宅地までもが高齢化した頃、Fというコンビニも撤退を決断するかもしれない。そういう未来を地方民はだいたい想定しているし、心ある人は、生活圏内のお店を「買い支えたい」と口にすることすらある。お店が潰れたり撤退したりした時に一番困るのは自分達だと知っているからだ。
 
 こうした心配は、自動運転車によって杞憂に終わる可能性もある。が、さしあたり、地方において買い物難民問題はそれなり意識させられるし、それはこのFというコンビニに限ったものではない;というのも、「このコンビニが無くなったら、近隣の高齢者はどこで買い物するのか」がすこぶる怪しいエリアは、どこにでもあるからだ。
 
 今よりも独り暮らしが増えて、今よりも高齢化が進んだ時、コンビニを生活の生命線として使う人はもっと増えるだろう。そうなった折に、FやLや7といったコンビニチェーンが残ってくれるのか、それとも採算や雇用の問題から撤退・廃業していくのかはわからない。
 
 地方に限った話ではないかもしれないけれど、案外、暮らしを支える生命線は細くて儚い。暮らしは、たくさんの人達によって編まれた生命線のメッシュによって支えられている。コンビニでどっさり買い物をする高齢者の姿をみるたび、そういうことを思い出す。
 
 

*1:少し前までKというコンビニだった