シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「人をバンバン殺すガンダム主人公」――『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』

 

 
 新しいガンダムが面白い……というより興味深い。
 
 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』は、火星の少年兵達を主人公に据えた、日曜午後五時のガンダム最新作だ。
 
 タイトルのとおり、本作は第一話からオイル臭さ・鉄臭さが漂い、それを反映してか、ガンダム・バルバトスもまた「油圧装置がむき出しになったような」武骨なデザインだ。全体的にミリタリーな雰囲気が漂っていて、オープニングテーマの鉄拳制裁に私は目を奪われてしまった。
 
 ガンダムシリーズに肉体的暴力が登場することは珍しくない。とりわけ『Zガンダム』では執拗に鉄拳制裁やビンタが描かれている。しかしオープニングテーマで「人が人を殴る場面」、それも「上官から部下に一方的な制裁」が登場したのは記憶にない。
 
 そして第三話まででハッキリ示されたのは、本作品の主人公達が「バンバン人を殺す」、少なくともその実行力を持っているということだ。
 
 人をバンバン殺すガンダム主人公。
 これはガンダムとして新機軸である。
 
 歴代のガンダムを思い出して欲しい。初代『ガンダム』のアムロ・レイは人を殺すということ、戦うということに対して冷静でも冷徹でも無かった。アムロが自らジオン軍兵士を銃殺した時も、やむにやまれず脂汗をかきながら銃の引き金を引いていた。『Zガンダム』のカミーユにしても、人殺しを繰り返している自覚の果てに最後には壊れてしまった。以降のガンダムでも、主人公側の青少年が「敵モビルスーツを破壊する→その結果として相手パイロットを戦死させる」ことこそあれ、生身の人間を眉ひとつ動かさずにバンバン殺すわけではなかった。「人が人を殺す」ことに禁忌に近いセンスを伴いながら昨今の『ガンダムシリーズ』は描かれていた。
 
 ところが、今回の『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』は違う。
 
 第一話冒頭から銃殺をほのめかすシーンがあったが、第三話まで来てクッキリ判明した。彼らは、眉ひとつ動かさずに人を殺す主人公である。第三話は「必要に応じて、俺達は眉ひとつ動かさずに人を殺せるんですよ」という彼らのマニフェストのようでもあった。モビルスーツの装甲越しに“結果として人を殺す”のではなく、対面でもサックリ人を殺す――これは従来のガンダムシリーズには無かった傾向だ。
 
 たとえば『ガンダムW』。ガンダムWの主人公五人組は、もちろん人殺しの訓練を受けていただろう。しかし、殺伐とした少年兵モノとして描かれていてもおかしくない『ガンダムW』において、五人の少年兵がバンバン人を打ち殺すような描写はついぞみられなかった。ルクレツィア・ノインに対する五飛の言動がその典型である。人殺しに鈍感であっておかしくないテロリスト集団な『ガンダムW』ですら、ダイレクトに人を撃って殺す描写はみられなかった。いや、サンライズという制作会社は主人公達にダイレクトな人殺しを許さなかった。
 
 「少年兵グループが自発的に行動する」点では『ZZガンダム』とのコントラストも明瞭だ。『ZZガンダム』の少年兵達は、大人に逆らいながら・社会の理不尽に苛立ちながらも、自分達の裁量でアクシズ戦役を戦い抜いた。しかし、だからといってジュドー達が敵や大人をバンバン殺していたかといったら、そうではない。ジュドー達は敵の生死にも敏感で、ネオジオンの騎士・マシュマーセロの死にもしっかり反応していた。それぐらい、人が人を殺すという状況に『ZZガンダム』という作品はナイーブだった。いや、『ZZガンダム』という作品を創っていた大人達と、それをとりまく社会がナイーブだったと言い直すべきか。
 
 
 【サンライズは、人をバンバン殺す主人公を起用した】
 
 ガンダムはポッと出の深夜アニメと違って、サンライズというアニメ制作企業を支える“看板商品”である。しかも放送時間は日曜午後5時。……ということは、サンライズは自社の命運を賭けた“看板商品”の主人公達に、人殺しのゴーサインを出したわけだ。サンライズという会社は、最も広範囲にデリバリーされると期待される自社のコンテンツに「人をバンバン殺す主人公を据える」判断を下したのである。
 
 私には、このサンライズの判断が興味深くてしようがない。従来のガンダムシリーズを思い出すなら、これは明らかに“逸脱”である。しかしサンライズには“勝算”があるのだろう。理由や背景は色々あるだろうが、人をバンバン殺す少年兵をガンダムの主人公に据える時機が到来したという、企業判断があったに違いない。
 
 だから私は、「こんな物語はガンダムに相応しくない」と考えるより「『ガンダム』の看板をぶらさげた作品に、人をバンバン殺す主人公達を起用した」ことを、まずは面白がっておこうと思った。
 
 白状すると、私は「人をバンバン殺すガンダム主人公」が見たかったわけでもない。私は、自分が鉄や血の臭いがこびりついたロボットアニメが得手ではないことを知っている*1。それでも、『ガンダム』という看板をぶら下げたまま日曜五時の時間帯に大胆描写を繰り出したサンライズの企業判断には惜しみない拍手を送りたいし、これからどんな『ガンダム』の物語が展開されるのか気になってしようがない。固唾を呑んで見守ろうと思う。
 
 追記:それにしても、この『ガンダム』は人を殺すこと・血を流すことに自覚的なだけでなく、トウモロコシ畑が暗示しているように、生きることにも絵具を惜しまず使ってくれそうな気配を漂わせている。単に殺伐しているわけではない。これも楽しみだ。

*1:そして、ジェガンやリ・ガズィのような、少しナヨナヨしたデザインのモビルスーツが好きだとも自覚している。