シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

“寂しい日本のインターネット”は残念か

 
 これまで、さまざまな個人向けのネットメディアが興ってきました。
 
 90年代にBBSやホームページから始まり、2chが登場し、その後はSNSやblogやtwitterなどへと主流が移り変わりつつあります。こうしたネットメディアの移り変わりと「寂しさ」についてちょっと考えてみます。
 
 

どのネットメディアを使うかは、寂しさ次第

 
 ある個人が、どのネットメディアを使うのか?
 どこのネットメディアに腰を落ち着けるのか?
 
 結論から言うと、これは、寂しさの募らない・寂しさ体感度の少ないネットメディアに落ち着くほか無いと思うんです。どういうネットメディアを使うにせよ、ちょっといじってみて寂しいと感じるなら、長続きせずにすぐにやめてしまう……そういう繰り返しのなかで、その人にとって寂しさ体感度の一番少ないネットメディアが自然と選ばれる、というわけです。
 
 例えば皆さんは、1ヶ月で死んでいくblogの一生を見たことはあるでしょうか?
 
 有名blogばかり読んでいると気付きませんが、インターネット上では、たくさんのblogが際限なく生まれては、あっという間に消えていきます。「世界に向かって情報発信!みんな僕のことを見てよコミュニケーションしようよ!」といった調子で始まり、“渾身の力の籠もった面白いお話”が綴られ、やがて、最近食べたカレーライスの話なんかに変化して、間もなくその短い一生を終える、といった具合です。そうやって泡沫のように生まれては消えていくblogの文章は、後半になるほど寂しさが滲み出ているケースが多いように見受けられます。
 
 寂しいっていうのは単に充たされないだけではなく、それそのものがストレスにもなりますから、blogを書いても寂しいばかりでは続かないのも当然でしょう。
 
 こうした、寂しさに耐えられずにネットメディアが長続きしないという現象は、blogだけでみられるものではなく、SNSやtwitterでもしばしば観測されます。たいていのネットメディア利用者は、寂しさが解消できるなら長くサービスを利用し、解消できないどころか寂しさが募るようだとサービスを利用しなくなっていく傾向が強いように見受けられます。そして、寂しさが最も効果的に埋め合わせられるネットメディアに時間と労力を集中させます。どこのネットメディアが個々人にとって一番寂しくない“場”なのかは様々でしょうが、最近では、twitterなどが人気のようです。
 
 しかし勿論、ネットメディアの利用者の全てが、寂しさだけに衝き動かされているわけではありません。ビジネス目的の人やアフェリエイト目当ての人もいるでしょうし、寂しいか否かに関わらず恒常的に情報発信を続けたいという意図を持った発信者も見受けられます。それでも、ネットメディア利用者全体のなかからみれば、寂しさというエモーションに左右されにくい戦略性を伴った活動を長期間続けることの出来る人というのは少数派でしかありません*1。ネットメディアを介して何かを発信する個人の大半は寂しさによって大きく左右される、と言ってしまって構わないと思います。
 
 

寂しい日本のインターネットは残念?

 
 こうした状況に対して、「寂しい日本のインターネットは残念」と言う人もあるかもしれません。インターネットはクリエイティブであるべきだと考えている人なら、心の隙間を埋めるためのグルーミングの場と化しているインターネットコミュニティに嫌悪感を抱くというのは、あり得ることかもしれません。
 
 しかし、そのような創造性を謳う人達にしたところで、寂しいというエモーションから完全に自由でいるのは難しいことでしょう。ネットワークの大海原で、孤島の灯台のように情報発信し続けるなんていうのは大変なことです。
 
 そもそも、ネットで寂しさを軽減させるって、そんなに残念なことなんでしょうか?遠くに住んでいる寂しい人同士がネットで身を寄せ合って、どうにか心のホメオスタシスを保ちながら毎日を生きていくというのは、それはそれで尊く、有意味な営みではないか----たとえ、寂しさを刹那的に埋め合わせることしか出来ないグルーミングに終始してしまったとしても----そんな風にも私には思えるのです。極端なネット依存はともかくとして、寂しさに対する一対応策としてネットメディアを利用することが、それほど恥ずべきことだと私には思えません。
 
 それでも敢えて“残念”という言葉を用いるとするなら、日本のインターネットが残念というより、ここまで寂しさをのさばらせるに任せていた社会そのものが残念、と言ったほうが妥当かもしれません。もし、インターネットを使って絶えずグルーミングしていなければいられない個人がどんどん増えているとしたら、社会が寂しくなっている*2、とは言えるでしょう。寂しさをあまり意識しないで済むような社会になっていくと、いいんですけどね。
 
 

*1:また、そのような人が極少数だからこそ、アクセス数やattentionが独占される、ということかもしれません

*2:より正確には、オフラインの社会が寂しくなっている