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“美しい黒髪”といえば大和撫子。大和撫子といえば清楚で大人しそうなイメージ…といった具合に、女性の黒髪をスタート地点にして、ご都合主義の想像力を膨らませるのはそんなに難しいことではない。控えめな態度の妙齢黒髪女性を見かけた場合などは、とりわけそうだろう。
もちろん、黒髪女性の内実が、大和撫子と呼ぶに相応しいかどうかは分からないし、黒髪女性が大和撫子をやらなければならないというルールはどこにも無い。けれどもある種の男性は、そうやって自分の願望や想像力を黒髪女性に投影して、「よさげだなぁゲヘゲヘ」と想像力を膨らませずにはいられない。眼前の女性の内実とは無関係に「黒髪→大人しそう→おいしそう→俺でもモノにしやすそう」という想像力だけを連鎖させ、妄想的な願望を抱いたり、頭のなかで「架空のデート」を構築したりするのは、それほど難しいことではない。ちょうど、二次元の美少女キャラクターに「萌える」際にそうするのが難しくないのと同じように。
現実の異性に「萌える」ことの惨さ
オタクが二次元の美少女キャラクターに「萌える」際には、原作に載っているキャラクターそのものを直接的に愛するというより、「メイド属性」「ツンデレ属性」といった属性や特徴を骨組みにして、自分の願望や想像力で肉付けした脳内補完*1を楽しんでいることに気付く。この楽しみ方は、二次創作作品を生み出すのを容易にするばかりでなく、頭の中に思い浮かべるキャラクターと、自分の願望や想像力とのギャップを最小化するというメリットを生み出した。これが、いわゆる「萌え」のメカニズムであり、キャラクターそのものを愛しているというよりは、キャラクターを骨組みにした自分の願望や想像力を愛しているという行為が「萌え」の内実に他ならない。
こうした「萌え」の図式が、ゲームやアニメのなかのキャラクター(いわゆる二次元)に留まる分には、さして問題はないだろう。けれども、「萌え」の対象がキャラクターではなく、現実異性に移ってくれば話が違ってくる。物言わぬフィギュアや抱き枕や同人誌であれば、どんなにネチっこく願望を投げかけられてもノープロブレムだが、「なかに人が入っている」現実異性は、勝手に願望を投げかけられていると気付いただけで息苦しくなったり気味が悪くなったりする程度にはデリケートだ。まして、身勝手な願望を投射する側が、痴漢やストーキングをやらかすようであれば、耐えることが出来ない。
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この事件などは、まさにそのような身勝手な願望投射の果てに起こった悲劇と言えるだろう。この手の男性が求めているのは、自分とは異なる意志を持った特別で対等な他者としての異性ではなく、自分の願望を膨らませて「萌える」ための生贄でしかない*2。しかし、現実の女性は異なる意志を持った生身の人間なんであって、身勝手な願望投射の生贄になれるわけがないし、生贄にすべきでもない。美少女フィギュアを刺そうが抱き枕に涎をたらそうが、それは持ち主の自由だろうけれども、生身の異性に対してそのような人間疎外を強行していいとは思えない。
現実の異性は「萌えられる」ことに耐えきれない
この[黒髪属性]に限らず、現実女性に対して身勝手な願望を投げかけるにあたっては、「無抵抗そうな属性」「少々の無茶や蹂躙も受け容れてくれそうな属性」が好んで選ばれがちである。そういう選択傾向の強い人間をみかける時、私はいつも、「ああ、この人は異性と対等に付き合いたいわけでも、異性の人格に惚れたがっているわけでもなく、フィギュアや抱き枕みたいに所有して、ひたすら願望を充たしたがっているんだなぁ」と思わずにはいられない。そういう人が、対象異性を幸福にするような未来予想をするのは著しく困難である----飽きるまで遊んでポイか、言うことを聞かなくなったらDVか、出来の悪い奴隷として罵倒しながらこき使うか----そういう未来ばかりが連想される。
ちなみに、こうした「抵抗しなさそうな属性」の現実異性に萌えるような人間は、オタク界隈の中心部よりも、むしろオタク界隈の周縁部や外側でみかけるように感じる。
自分の周囲の“よく訓練されたオタク”達をみている限り、二次元キャラクターと現実異性との区別は意外なほどしっかりついている*3か、完全に二次元美少女側に嗜好がシフトしてしまっていることが多く、この手のトラブルが生じる可能性は低いようにみえる。まぁ、対象が二次元美少女に限定されている限りは、誰かを疎外したり脅かしたりという部分も少なそうだし、思うさま所有願望を充たしたって構わないと思う。
しかし、“訓練不十分なオタク”や“オタクになり損なった人達”の場合はそうはいかず、二次元美少女に「萌える」のと同じような願望を現実の異性に投げかけてしまう。願望を投げかけられる側の異性は、疎外されたり、脅かされたり、ひどい場合は虐待や傷害を被ったりせずにはいられない。さらに不幸なことに、願望を投げかける側は、それをしばしば対象への純愛だと勘違いしている(自己愛の、いちばん迷惑でグロテスクな形式に過ぎないのに!)ことが多く、しかも相手が自分を満足させてくれないからと逆恨みもしやすい。はっきり言って、救いが無いことこのうえない。
こうした有様をみるにつけても、現実異性に対して「萌える」のはかなり業の深い、残酷なことだと言わざるを得ない。アニメやゲームのなかの美少女キャラクターに「萌える」だけならノープロブレムであっても、それが生身の人間に向けられれば、ひどく人間を痛めつけることがある。ちょっとしたコスプレごっこぐらいならまだしも、継続的に萌えられてはたまったものではないと肝に銘じておきたい。