GWもそろそろ後半戦。
充実した時間を過ごされた方も多いんじゃないかと思う。
反面、身体や神経を使い果たして疲労困憊、とにかく休みたいという人も結構いるんじゃないだろうか。特にGWの場合、ストレスの溜まりやすい4月直後の連休ということもあって“心の充足感”を夢中に求めてしまいやすく、気付かぬうちに疲労を溜め込んで体調を崩してしまいやすい。
メンタルヘルスを語る際、人々は“心の充足感”に着眼するし、“他者への依存”や“承認欲求”などに強い関心を示す。そして、よく語る。世間でも、「コミュニケーションを介して他人から元気をわけてもらう」などといった表現がまかり通っている。
けれども、コミュニケーションやレジャーの類は“心の充足感”には寄与しても、“神経の疲労”をとってくれるわけではない。そして神経が疲労しすぎてくれば、楽しいものも楽しめなくなるし、仕事でもプライベートでも本領発揮が困難になってしまい、最後には“心の充足感”どころではなくなってしまうだろう。にもかかわらず、世間の人の多くは“心の充足感”を優先させまくって、“神経の疲労”を蔑ろにしているようにみえる。
“神経系”は疲れても労わってもらえない、かわいそうな臓器
もちろん、“心の充足”だって大切だ。
“心の充足”のよりどころが地域社会の身近な人達が中心だった時代から、不特定多数とのコミュニケーションが中心の時代へと移行しているなかで、私達の振る舞いや直面するストレスの種類は相当に変化してきている。それに伴い、“心の充足”不足に悩んでいる人が増えているのも事実なんだろう。
だけど、いくら“心の充足”が大切だとは言っても、それは神経系が織りなす多彩な現象の、ごく一部でしかない。人間の神経系は、他にも色んな仕事をやってくれているし、参ってしまえば“心の充足”以外のあらゆる領域*1に影響が出てしまうことになるだろう。そして神経系は、“心”というソフトウェアである前に、生物学的なハードウェア、つまりひとつの臓器organだということを忘れるわけにはいかない。
身体の他の臓器と同様、神経系だって酷使すれば機能不全に陥るし、極端に偏った使い方を繰り返していれば参ってしまう。このあたり、暴飲暴食が過ぎれば胃腸が機能不全に陥ったり、テニスで肘を酷使すればテニス肘になってしまったりするのと、基本的には変わらない。多種多様な神経伝達物質と莫大な神経パルスを発しているこの働き者の臓器は、本来、美食家の胃腸や、テニスプレイヤーの肘と同じぐらい労わってもらっても良い筈だと思う。胃腸が疲れた時に粥を食べるが如く、“神経”が疲れた時には、それ相応の手当てがあっても然るべきだろう。
だというのに、“神経”はちっとも労わってもらえない、かわいそうな臓器だ。特に“心の充足感”を優先させたがっている今時の人達は、“神経”を酷使することをしばしば厭わない。例えば“心の充足感”を求めてインターネットを何時間も眺め続けたり、オフ会をハシゴしたりするような人達というのは、その典型例と言えるだろう。あなたの神経も、悲鳴をあげているんじゃないだろうか。
“神経を労わる”って、どうすれば良いの?
じゃあ、“神経”を使いまくった後、どうやって“神経”を労われば良いのか?
原理としてはそんなに難しくない。負担を減らせば良いだけの話である。
暴飲暴食の後は胃腸に優しい食事にするように、テニス肘をやったら肘に負担をかけすぎないよう大切に扱うように、神経系のほうもまた、こき使ったら一休みさせてやればいいわけだ。GWの前半を全部オフ会で埋め尽くした人は、後半は寝て食べるだけの生活にする*2といった具合に、神経系への負担を減らす生活を2〜3日挟むだけでもGW明けが随分とラクになる。
具体的には、睡眠時間を増やし、頭を使いすぎる本や刺激の強すぎるコンテンツなどは避け、人との交流も身内だけに絞っておく。好奇心や承認欲求や自己愛の充足よりも、穏やかな時間を優先させ、絵画や音楽の類も慣れ親しんだものだけにしておきたい。ネットジャンキーの場合、パソコンや携帯電話の電源を切ってしまうだけでも神経への負荷はかなり減らせるだろう;2chとtwitterとmixiをしじゅう巡回するとか、そういうのは神経の豪勢な無駄遣いであって、本当に神経が疲れている時には停止したほうが身のためである。*3
「楽しいコミュニケーションで疲れが吹っ飛ぶ」という幻想
ここで注意しておきたいのは、「楽しいコミュニケーションで疲れが吹っ飛ぶ」「○○の笑顔があれば、へっちゃらだよ!」といった類の俗説だ。“心の充足感”を重視して“神経の疲労”を軽視する人は、えてしてこういう物言いを信じたがっているようにみえるが、その手の俗説を鵜呑みにするのは危険すぎる。
第一に、笑ったり楽しんだりする事そのものが、大量の神経伝達物質と神経パルスを必要とする神経系の高度な活動の所産である、という点を忘れるわけにはいかない。“心”というソフトウェアのレベルでは楽しく笑っている最中も、それを支えるハードウェアたる“神経”のほうは頑張っているし、時には悲鳴をあげながらドーパミンやエンドルフィンを搾り出しているのかもしれない、ということはもうちょっと意識されてもいいんじゃないかと思う。*4
第二に、ここが厄介なんだけれど、笑ったり楽しんだりすると“神経の疲れはそのまま”でも、“神経の疲れを忘れることができる”という点だ。笑ったり楽しんだりすると、私達は気持ちよく感じるし、実際に疲れが吹っ飛んだかのように体感する。そういう時の私達の脳内は、たぶんドーパミンやらエンドルフィンやらの類がドバドバ出ていて、ラリラリになっているのだろう。
確かに、その手の“脳内麻薬”は一時的に疲れを忘れさせてくれるし、なにより気持ちが良い。しかしそれをいいことに神経を使いすぎるというのは、いうなれば“脳内麻薬でハイになりながら強行軍を続けているようなもの”であって、神経を休めているわけでは決してない。むしろ、脳内麻薬でハイになっている最中の人間は、自分がどれぐらい疲れているのかが分からなくなってしまいやすく、気付いた時には神経が疲弊しつくしていることも多い。「楽しいコミュニケーションで疲れが吹っ飛ぶ」と勘違いしているタイプの人は、ある日突然、笑うのも億劫になっている自分自身に愕然とするかもしれない。
…こんな具合に、楽しんだり笑ったりする行為は、必ずしも“神経”を休めるとは限らないし、むしろ“神経”をさらなる疲弊へと追い込んでしまうリスクすら有り得る。“心の充足”さえどうにかなっていればメンタルヘルスは大丈夫だと思っている人や、“神経の疲弊”を軽視する人ほど、こうした陥穽にはまり込んでしまいやすい。
たまには自分の“神経”を労わってあげてください
ということで、たまには“心”だけじゃなく“神経”のほうも労わってあげませんか。
メンタルヘルスと言うと、私達はついつい、“心”というソフトウェアの次元を考えたくなるけど、“神経”というハードウェアの次元のほうも、軽視すべきじゃないだろう。ハードウェアの調子が悪ければ、ソフトウェアが本領発揮しづらくなるというのはパソコンも人間も同じこと。「神経を使ったら休めること」「神経を酷使しすぎないこと」といった、きわめて単純な心がけだけでも“神経”の調子は随分と整えやすくなる。やってみて欲しい。
GW前半に“神経”を使いすぎた人は、後半は“神経”に休息を。
“神経”のコンディションを整えておけば、GW明けの“心”にも余裕が生まれやすい筈。
[関連]:メンタルヘルスの観点からみて、限界に達しつつある日本型ポストモダン社会(汎適所属)
[関連]:力量も無いのに“友達”“人脈”を膨張させれば自滅が待っている - シロクマの屑籠
追記
神経という言葉の意味が分からないという人もいるようなので、まずはwikipediaあたりをどうぞ。一応、中枢神経系(CNS)を意識してますが、個人的には、中枢か末梢かを厳格に区別しようと拘るのはナンセンスだろうなとも思います。→神経 - Wikipedia