シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』にみるオタクナルシシズム

 
 

俺の妹がこんなに可愛いわけがない (電撃文庫)

俺の妹がこんなに可愛いわけがない (電撃文庫)

 
 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』(略して『俺妹』)という作品が、ライトノベル界隈で話題になっているようだ。売れ行きのほうもけっこうなものらしく、地方の国道沿いの書店でも見かけるようになってきた。
  
 さて、この『俺妹』という作品、オタク向けの消費コンテンツとしてみればかなりあざとい。オタクのナルシシズムを充たすうえで最適のキャラクターと物語が展開されている。オタクな自意識・オタクな後ろめたさを持った読者を、気持ちの良いナルシシズムの境地へといざなう、魔法のライトノベルとさえ言えるだろう。
 
 
 「ところで、ナルシシズムって何?」という人もいるかもしれないので、ここで確認しておこう。
 
 『大辞林*1』によれば、ナルシシズムnarcissismとは、

(1)自分の容姿に陶酔し、自分自身を性愛の対象にしようとする傾向。自己愛。ギリシャ神話のナルキッソスにちなむ精神分析用語。
(2)うぬぼれ。自己陶酔。

 となっている。この定義から連想しやすいのは、たぶん、自分自身を鏡で眺めて自己陶酔しているようなイケメンナルシストではないかと思う。だから『俺妹』を読むことがナルシシズムとどう関係しているのか、すぐにはピンと来ないという人も多いかもしれない。
 
 
 しかし、考えてみて欲しい。
 
 洗面台の鏡にうつった自分の顔をみてウットリするだけが“自分自身を鏡で眺める自己陶酔”といえるのだろうか?
 
 決してそんなことはない。
 
 自分自身の映し鏡として利用できるものならなんでも映し鏡にしてしまうのが、自己陶酔の大好きな人のサガというものだし、えてしてそういう人は、自分自身の映し鏡として利用可能な存在に対して敏感だ*2。そして、オタク界隈にはその映し鏡として利用できるキャラクターがごまんと存在している。自分によく似た心理状態のキャラクター・自分と似た境遇のキャラクターに対して“あたかも自分自身であるかのように”感情移入できる人なら、そのキャラクターを自分自身の映し鏡として、いくらでもナルシシズムに耽溺することが可能だったりするのだ。
 
 

オタクを可愛く映す鏡としての『俺妹』ヒロイン

 
 この視点からみた『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は、オタクがナルシシズムに耽溺するうえで非常に優れた作品、と言わざるを得ない。
 
 たとえばメインヒロインで妹キャラの『桐乃』。
 
 彼女はギャルゲーやエロゲーが大好きだけれども“一般人を装っている”という美少女キャラクターだ。彼女は、本当はオタクっぽい話題で盛り上がる仲間を欲しがっていて、オタク蘊蓄の開陳に快感を覚えるようなタイプなのだが、親やクラスメートとの確執を避けるべく、自分のオタク趣味をひた隠しにし、孤独なオタクライフを過ごしている。そして、オタクにありがちなこの手の心理的葛藤を持て余している程度には、不器用だったりもする。
 
 これって、そこらのオタクの心理や葛藤そのまんまじゃないですか。
 
 [キモオタ扱いされることに怯えてエロゲー趣味をひた隠しにしているオタク] [オタク仲間が欲しいけれども周りにいない孤独なオタク] [オタクならではの心理的屈折を持て余しているオタク]といった人達にとって、『桐乃』の振る舞いや心理は、親近感を感じやすい、オタク自身を重ね合わせやすい部分が非常に多い。すべてのオタクが『桐乃』のような心理や境遇を抱えているわけではないにせよ、親近感をおぼえるオタクならば決して少なくない筈だ。
 
 そんな、“自分自身の似姿のような境遇のキャラクター”が、美少女中学生という外観を与えられ、泣いたり笑ったり、それはもう可愛らしく振る舞うのが『俺妹』というライトノベル作品なのである。
 
 『俺妹』を読めば、鏡に映った自分自身に唾を吐きかけたくなるようなオタクでも、『桐乃』という美少女のテクスチャを貼り付けられた自分自身の似姿を眺めて、自己陶酔に耽ることができる。あるいは、自分自身の似姿を性愛の対象にすることさえ可能になってくる。これこそ、ナルシシズムの辞書的定義そのままである。
 
 喩えるなら、『桐乃』という美少女キャラクターは、自己陶酔が可能なかわいらしい姿にオタク自身を変換する、“魔法の鏡”として機能している、と言えるだろう。
  
 

美少女キャラを映し鏡にしたオタクナルシシズムの源流は、深い

 
 尤も、自分自身を可愛く映し出して自己陶酔するべく、美少女キャラクターという“魔法の鏡”を利用するというオタクナルシシズムの形式は、今にはじまったものではない。
 
 
 例えば、『らき☆すた』の泉こなたや、柊かがみ。
 例えば、コミュニケーション不全なkeyの美少女達。
 例えば、好きなものを好きと言えない、ツンデレ美少女達。
 例えば、ふたなり美少女の系譜。
 
 美少女キャラクターの系譜を紐解けば、男性オタクによく似た境遇や心理的特徴を呈した美少女達のオンパレードである。美しい外観や超常能力などのテクスチャを剥がしてしまえば男性オタクの似姿そのままの、男性オタクが感情移入しやすく、オタク自身をかわいく映す“魔法の鏡”として利用しやすい美少女達が、市場淘汰に耐え、こんにちまで支持され続けてきたのである。
 
 美少女キャラクターを“魔法の鏡”にしたオタクナルシシズムの源流は、深い。
 
 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は、こうしたオタクナルシシズムの最先端を走る作品だ。そして、こういった作品が話題の中心付近に位置しているのが、ライトノベル界隈の現状でありニーズなのだろう。
 
 
 [関連]:オタクの葛藤をかわいく映す、映し鏡としての『らき☆すた』 - シロクマの屑籠
 

*1:三省堂の辞書。goo辞書になっている

*2:ここで、「この文章を書いているやつも敏感だよね」と思った人は、ある程度はビンゴだと思う。もし僕が、自己陶酔的性質に鈍感であれば、こんな文章を書けるわけがないのである