俺の妹がこんなに可愛いわけがない 高坂桐乃 クッションカバー
- 出版社/メーカー: コスパ
- 発売日: 2010/05/02
- メディア: おもちゃ&ホビー
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『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』。
上手にアニメ化して欲しいと気を揉んでいたけど、どうやら杞憂だったみたいだ。三話まで見たが、俺はもう限界だ。典型的なオタクアニメであり、ストライクゾーンの狭い作品なんだろうけど、どうやら俺はそのど真ん中にいるらしく、どうしようもありませんね。ああ、「萌える」ってこういう感覚だったんだと思い出した。桐乃ー!桐乃ー!
妹こと桐乃の描かれ方は、古典的なツンデレ妹キャラクターの範疇に入る。そういう意味では手垢のついたキャラクタージャンルとも言えるが、桐乃の目の描き方や身体の動きの数々に、さりげなく可愛らしさが埋め込まれており、ハイレベルな造型となっている。エロゲーをやっている時の姿勢/女子中学生をやっている時の姿勢のギャップも良い出来映えで、前者の時にはそれなりにオタクっぽい仕草に仕上がっているのもいい。桐乃のコンテンツの好みがややライトなところや、着衣や姿勢を考慮した貧乳の表現にも、細かな気配りが感じられた。
「妹はかわいいんだバカヤロー」という明快な主張は、見ていていっそすがすがしい。
以前、ライトノベル版について、『俺妹』はキャラクターを介した自己投影・自己陶酔に向いていると書いたことがあったが、そのようなキャラクターへの自己投影を妨げるような“粗”は今のところ目につかない。何をもって“アニメの洗練”と言うのかは人によって様々だろうけど、このアニメなりの洗練が含まれているような気がして、好感度大だ。
感情移入するなら兄?妹?――『俺妹』の、マルチロールな感情移入
この『俺の妹が可愛いわけがない』をはじめ、最近、マルチロールな感情移入を楽しみやすいコンテンツが多いと思う。
“対象としてのキャラクター”を鑑賞するという楽しみ方にも、キャラクターへの感情移入や自己投影を介した楽しみ方にも、どちらにも都合良く、なおかつ複数のキャラクターへの対象愛/感情移入を万華鏡のように楽しめるような作品というか。作中のキャラクターを楽しむためのアングルがあらかじめ複数仕掛けられた作品の場合、消費者の側には、対象愛と感情移入のきっかけが複数回提供され、二度も三度もおいしい感じだ。
・京介への感情移入
主人公・京介に感情移入するアングルの場合、桐乃は“対象としてのツンデレ妹キャラクター”ということになり、普段は鬱陶しくて手のかかる妹だけれどチラッとみせる可愛いさを愛でる、ということになる。このあたりは作品タイトルそのままだし、ツンデレアニメとしては古典的と言えるかもしれない。幼馴染みとして麻奈実が配置されている事もあって、京介は、90年代のギャルゲー主人公のような感情移入を許してくれるキャラクターだと言える。
しかし、京介はもう一つ重要な感情移入のフックを装備している。
それは、「僕はオタクじゃないけど、オタク趣味への理解はあるつもりです」という屈折した立ち位置でなければ感情移入が難しい層にも、すわりどころの良い感情移入先となっている、という点である。
実際のところ、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』などというコテコテのオタク向け作品に惹かれる人間は、そいつはまず間違いなくオタクであろう。少なくとも、趣味に占めるオタクコンテンツの割合が、それなりに高い人間であると推測される。
だが世の中には「僕はオタクじゃないけどオタク趣味への理解はあるつもりです(キリッ」という屈折した自意識を持った、オタクへの侮蔑を内面化しながらオタクをやっている人達というのも案外残っていたりもする。そこまでひどくないにしても、人目を気にしながらライトノベルの棚をうろつくような消費者なら、まだまだ見かける。首都圏でオタクのカジュアル化が進行しているというけれども、その一方で、“ぼくは一般人”という古めかしい自意識を引きずったオタクや、オタク趣味やオタクな自分自身に対して一歩引いた目線を身につけたオタクというのも、まだまだ残っている。
こうした人達にとって、京介というキャラクターはいかにも感情移入しやすい。「僕はオタクじゃないけど、オタク趣味への理解はあるつもり」という安全な立ち位置と、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」というやはり安全な立ち位置から桐乃を愛でるという、絶好のポジションを兼ね備えている。オタクな自分自身にも、可愛い妹にも、一歩引かずにはいられないけれども、本当はどっちも大好きでしようがない――そういうタイプの人にとって、京介はド直球なんじゃないかな、と思う。
・桐乃への感情移入
対して、桐乃というキャラクターもなかなか凄まじい。
コミュニケーションがちょっと苦手なツンデレキャラであり、それだけでも自己表出の苦手なオタクを惹き付けるフックを持っていると言えるが、そのうえオタク、である。親やクラスメートにバラしにくい趣味、オタク同士のコミュニケーションにまつわる悲喜こもごも、そしてオタク的自己開陳をしたくてたまらないメンタリティなど、ある種のオタクには強烈なフックとなる特徴を持っている。もし、ただエロゲーが好きなだけの万能ヒロインだったら、誰も見向きもしなかっただろうが、「男性オタクでも、こういう悩みや喜びってあるよね」を、かわいい女子中学生の姿で鏡映したところに、桐乃というキャラクターの持ち味がある*1。
くわえて、桐乃に感情移入している際には、京介のキャラクターが“兄という対象”として効いてくる。桐乃の立場からすれば、兄・京介の存在は、罵倒や無茶なお願いでも引き受けてくれて、自分のことを見てくれていて、手助けしてくれて、あまつさえかわいいとみなしてくれる存在である。いわば、甘えの対象と言って差し支えない。つまり、桐乃に感情移入している最中は、京介という、頼りがいがあって甘え放題のお兄ちゃんにもたれかかることが出来る、ということなのだ。
“かわいい妹になって、困ったことは兄ちゃんに助けてもらいたい。”
もし、こうしたニーズがあるとするなら、桐乃はたぶん最適解に近いものを提出している。
感情移入の万華鏡として洗練された作品
かつてのギャルゲー/エロゲーなどでは、感情移入や自己投影の対象には男性主人公が用いられがちで、だからこそ男性主人公の顔をわざと隠すような造形が主流だった。そして美少女キャラクターは、単にセクシャルな願望の対象としてだけでなく、承認欲求や存在理由をも提供するような対象として、男性主人公に傅く*2存在でもあった。
ところが近頃のオタク界隈を見ている限り、感情移入の対象が男性主人公でなければならない理由も、承認欲求の宛先が美少女キャラクターでなければならない理由も、かなり希薄になってきている。感情移入の対象が美少女の側で、承認欲求の提供者が男性の側であっても、たいした問題にならないらしい。それどころか、かわいい少女に感情移入しながら男性ヒーローが問題を解決してくれるのを待つような、お姫様的アングルも、重宝されはじめてきているようにみえる。
【美少女をかわいがる男性になりたい】という旧来からの願望だけでなく、【美少女になって男性にかわいがられたい】という願望がニーズとして立ち上がっているからこそ、『俺の妹が可愛いわけがない』のような、マルチロールな感情移入に適した作品がそれなりにヒットするのだろう、と思う。もしこれが、10年前ほど昔の、まだ美少女所有願望のほうがずっと優勢な時代だったら、オタクとして描かれるのは京介で、桐乃はオタクな兄についていくようなキャラクターとして描かれざるを得なかったんじゃないだろうか。
ともあれ、複数のキャラクターにマルチロールな感情移入を許し、しかも、そのどちらに感情移入してもキャラクター同士の関係が効果的に機能しているという造りは、これはこれで味わい深く、その面では『俺の妹が可愛いわけではない』は、かなり洗練されたつくりをしている。今回の良く出来たアニメ版が、原作のどのエピソードをどこまで描写するのかは分からないけれども、黒猫や佐織といった他のキャラクターのポジションも含め、楽しみにしようと思う。
*1:桐乃に類するものは、例えば『げんしけん』の荻上さんなどが挙げられるが、ここまでオタクの自己投影を計算づくで造形したものは、あまり類例が無い。一方、『乃木坂春香の秘密』は表面的には『俺妹』に相当近い構図を採っているにも関わらず、何かしっくり来ない造りが気になった。こちらも参照。→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20081018#p1
*2:かしずく:人に仕えて大事に世話をする