シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『俺の妹はこんなに可愛いわけがない』は恋愛を描ききれなかった

 ※この記事はネタバレを含んでいます。
 
 4〜6月の深夜アニメを思い出すと、コンテンツ界隈の流行り廃りの早さが身にしみる。ゼロ年代に輝いていた『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』が、あのラインナップのなかでは古めかしくみえる。『とある科学の超電磁砲』は、妹達編シナリオに助けられて頑張っているけれども、これとて、今期の目新しい作品群や『はたらく魔王さま!』などに比べると前世代風にみえてならない。
 
 流行り廃りは世の常だから、嘆いてもしようがない。『俺の妹はこんなに可愛いわけがない』は、リリース当時、ピカピカに輝いていた。問題がなかったわけではないが、「なるほど、オタクをネタにしたラブコメとして・キャラクターを動かすプラットフォームとして、こういうラノベが台頭してくるのかぁー」という驚きはあった。オタク美少女モノとしては『乃木坂春香の秘密』から数年後発の作品だが、それだけの強みはあったと思う。アニメ第一期も素晴らしかった。最初はネタアニメとして距離を取って楽しんでいたつもりが、いつの間にかキャラクター達を好きになっていた。
 
 けれども、4〜6月のアニメ枠のなかでの立ち位置が象徴しているように、おそらく消費コンテンツとしての耐用年数は過ぎつつあった。2008年に産声をあげ、ゼロ年代後半にジャストフィットしたからこそ、『俺妹』は青魚の刺身のように陳腐化していった。それは嘆くべき陳腐化ではなく、一時代にしっかり寄り添った証拠として、懐かしく思い出されるべき何かなのだろう。願わくは、良い思い出を。
 
 で、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』最終巻。
 

俺の妹がこんなに可愛いわけがない (12) (電撃文庫)

俺の妹がこんなに可愛いわけがない (12) (電撃文庫)

 
 
 賛否両論、議論百出な最終巻だと噂は聞いていたので、覚悟して読んだ。読んで思った。ああ、やっちまったのか、と。アマゾンのレビューを読み、つい、共感してしまった。
 
 主人公の京介が、誰とくっついたのか、誰とくっつかなかったのかについては、たいした問題ではない。おさまるべき鞘におさまっても全く納得のいかない作品もあるし、その逆だってある。最後までラブコメ路線で引っ張る手もあっただろう。だから、いわゆる“誰ENDなのか問題”自体はたいした問題ではない。
 
 しかし、ハーレムラブコメ路線をひた走りに走ってきたこの作品が、“誰ENDなのか問題”に際して恋愛的手続きを取ろうとした挙句、それをマトモに描ききれなかったのは失敗だったと思う。
 
 兆候はそれ以前からあった。
 
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11) (電撃文庫)

俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11) (電撃文庫)

 
 地味子が恋愛戦闘モードに入ると宣言した11巻からは、特に顕著だった。フィナーレを前に、恋愛シリアスモードにうつるんだな、という下準備の気配がみてとれた。11巻までを読んだ読者は「地味子ENDなのかな、桐乃ENDなのかな、黒猫ENDなのかな」という疑問がムクムクと沸いてきただろう。
  
 じゃあ、12巻で何が描かれたのか?ラブコメではなかった。この作品で一番楽しい魅力は、なんやかや言ってもキャラクター同士のキャッキャウフフだったと思うけれども、そういう面白さが出張っているわけではなかった。
 
 恋愛は描かれたか?――これがお粗末だった。京介の心の動きはさっぱりわからない。結末を伏せるための措置かもしれないが、そのせいで、どうして黒猫や地味子を泣かせてまで桐乃を選ぶに至ったのか、京介の情緒面での説得力、自然さを欠いていると感じた。ハーレムラブコメ的に、「京介は、結局誰が好きなのか」を避けてきたツケが回ってきたというか、そのツケを清算しないままシリアス恋愛シーンを迎えてしまったような印象は禁じえない。この“誰に執着しているのか結局煮え切らない男”に、ヒロイン達は次々とアタックし、“討死”していったのである。11巻で、戦機が熟した雰囲気が描かれていたのはわかる。けれども、彼女達はああやって“討死”するしかなかったのか?彼女達の京介ラブはそれほどドライブしていたのか?地味子については11巻からの繋ぎがあるので、決戦に向けてテンションが上がっていった心情が描かれていたけれども、これも12巻ではバッサリ逝った。
 
 この、ラブコメとも恋愛とも言いきれない最終巻は、「エロゲーのフラグ折り」に似ていた――キャッキャウフフな日常にフラグ管理の時間がやってくると、特定ヒロインのエンディングに向かうべく、フラグをバキバキ折ってまわるのである――。そうやってあやせは振られ、黒猫は振られ、地味子も振られた。たいしたページ数も費やさずに、彼女達は、あの“誰に執着しているのか結局煮え切らない男”に儀礼的に・作業的に振られていったのである*1。それなりに恋愛然とした風呂敷のたたみ方を志向するのだったら、もっと早くからヒロインの“剪定作業”を進めておくべきだったのではないか。
 
 そもそも、ヒロイン達に唐突な告白儀式をやらせたことに、一体どれほどの意義があったのかよくわからなかった。恋愛経験の乏しい男性読者にもわかりやすい描写を心がける、という点では全員告白して全員振られるというのは、わかりやすかろう。しかし、さんざんハーレムラブコメをやらかした挙句、いきなり潔癖症的に白黒つけてまわるという流れに、童貞芸以上の意義があったのか。
 
 要約すると『俺妹』最終巻は、ラブコメも恋愛も描けず、エロゲーでいうフラグ管理をやっただけではないのか。
  
 この作品は、桐乃だけが人気を集めていたわけではなく、黒猫も、あやせも、地味子も、ファンに愛されていた。そして多くのファンは一人のヒロインだけを突出して愛していたのではなく、複数のキャラクターを、ひいてはキャラクター同士が掛け合う雰囲気を愛していたと思う。そうした雰囲気に対するフォローは、最終巻後半で一応描かれていた。けれども、無理してまで描写しなくても良かったかもしれない告白儀式を、少ないページ数で、全員にやらせ、ああもフラグをバキバキと折ってまわった手つきのぞんざいさに憤りを覚えた人はたぶんいるんじゃないかと思う。もちろん、俺はそう感じたからこそ、こういう益体も無い文章を30分もかけて打ち続けているのである。
 
 ラノベのフィナーレにきちんと恋愛を描くのは、難しいには違いないけれども、11巻の地味子の雰囲気が雰囲気だっただけに、俺はつい、期待してしまった。気がつかないうちに好きになっていた作品とキャラクターだったからこそ、つい、期待してしまったのだ。しかし、実際には味気ないフラグ管理に終始した最終巻は、この作品の晩節を汚した、と感じた。『とらドラ!』や『狼と香辛料』のような、秘蔵しておきたいラノベにはなってくれなかった。ムキー!!この作品を、ここまで好きになってはいけなかったのだろうか。このモヤモヤは、ブックオフに全12巻を売り払ったらおさまるものだろうか?そうではあるまい。好きになった作品が最後の最後に転覆してしまうのをみるのは、しのびないものですね。
 
 

*1:ついでに言えば、過去のセリフを濃いフォントで時々抜粋して並べてみせるあのセンスは、すこぶる旧エロゲ的というか、2013年にそういう芸をやられても困ってしまうんですけれど、と言いたくなった