倫理や道徳に反する行為を非難するにあたって「悪しきマキャベリズム」という言葉を用いる人が時折いるようだが、それは相当に間違った言葉の使い方だ。もし「悪しきマキャベリズム」というものがあるとするなら、それはただ結果を出せないマキャベリズムであり、理解と実践と覚悟が不十分な、不能なマキャベリズムの事ではないだろうか。
倫理や道徳を問われ、尚かつそれが頓挫の要因となっているようなマキャベリズムは確かに「悪しきマキャベリズム」とは思う*1。だがそもそも、倫理や道徳が不十分さを詰問されて頓挫しているという時点で不出来なマキャベリズムなわけで、本当によく出来たマキャベリズムというものは、倫理や道徳の不十分さを詰問されても頓挫しないか、詰問されること自体を最小化するものだろう、と思う。
追記
ちなみに、自分のことを正義の味方だと思いたい人は、「あいつは悪しきマキャベリストだ」という悪口を思いつきやすいかもしれない。また、自分の行動や計画が頓挫した理由を無能の故ではなく、倫理や道徳の問題に帰結させたい人も「あの失敗は悪しきマキャベリズムの故だったんだ」と思いたがるかもしれませんね。かもしれません、ね。
*1:より正確には、「マキャベリ」の不出来な弟子とか、無理解な自称マキャベリスト、ということになるだろうか