シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

個々のレベルでみれば、「頑張っていない」奴なんてどこにもいない

 
全ての生物は、人間も含めてその瞬間その瞬間において最善の適応を形成しようとする。悪しき状態は改善させようとし、安定した状態や好ましい状態は最大限維持しようとする。
 
 個々の個体(人間)の間では、適応を巡る状況、適応に供することの出来る資源 などは様々だろうが、少なくとも個々の個体にとってのベストが常に形成されるように企図されている、と考えることは可能だ、とは思う。たとい防衛機制を展開して目先の適応維持と危機回避だけを優先させるときでさえ、人はそれが最もマシだという判断(または無判断)のもとに行っている。危機を引き受けて先行投機するよりも、現在の葛藤や危機を回避して現状維持したほうが己は得だという計算が、根底には存在する。
 
 だから、葛藤を回避したり、燻ったり、引きこもったりしている人が最善を尽くしていない、という表現は狭義でしか成立しない考え方で、私は彼らとて最善を尽くしていると考える。「別個体(他人)と比較したときに最適にみえるかどうかはともかくとして、個々の生物や人間は、常に最善を尽くしている」。私はこんな風に考えるので、少なくとも全生物は常に己の適応を最適化するためになんらの手抜きもしてない、と感じている。ライブドア株を高く買って安く売った人も、幻覚や妄想のなすがままに家から出ないでいる人も、ひょっとしたら練炭自殺を考えている人でさえ、よかれと思ってそれをやっている。(第三者からみると)よかれと思いにくいことでさえ、敢えて選択している。
 
 ただ、そのあり方は様々だろうし、適応の来し方行く末もまた様々だろう。「個人にとって」、という視点ではなく「他個体と比較して」という視点を持ってきたとき、怠惰な人や不利な人や幅の狭い適応の人というのは確かにいるだろう。企図したとおりの結果を得やすい適応の人も企図したとおりの結果を得にくい人もいるだろう。どんなに不利で惨めで苦しい生物も、最後まで最善を尽くそうとする。優劣によって帰趨は様々にせよ、効率の良し悪しは様々にせよ、みんな精一杯に選択を続けている。頑張っていない奴なんて、どこにいるというのか。