シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

 
 【一アスカファンの回想】
 しかしアスカはいいねぇ、うん、いい、いい。
彼女はなかなかの病理娘で、なかなかメルヘンチックメンヘルチックな過剰適応&他者からのまなざしが痛くて快感で仕方がないといった呈をなしている。天才のようで天才ではない彼女は、狂気の努力と狂気のすりつぶしによって“天才少女のようにふるまっている”。それが彼女の防衛の形式であり、彼女が自分自身の諸問題からメンタル*1を防衛するための盾として選んだ処世術だったということか。もちろんこれは心身にひずみをもたらす適応スタイルだし、万が一挫折した時にはどっと疲れる&これまで防衛してきたモノに噛み付かれて参ってしまう形式ではある。劇中でも、アスカは自分自身の諸問題から目を逸らせるために“努力する疑似天才”を演じ続ける狂気の舞を、壊れて動けなくなるまで続けている。
 
 リアルの精神科界隈では、彼女同様、過剰適応を選択し“美しい私として”“よく出来る人材の私として”自分のスペックを超えた処世に生きる人は絶えることがない(特に女性!)。彼女らにおいては承認要求が強かったり要求水準が高かったり――ともかく社会や他人に敏感すぎて、過剰なまでに素敵にみせなきゃという強迫性がいっぱいで――心身に無理がかかるような無茶な過剰適応が観察される。特に摂食障害などではこの傾向は非常に多くの症例に認められる、というか認められない症例のほうが珍しい*2。また、過剰適応に疲弊し尽くして大うつ病エピソードに該当する状態で受診する人も少なくない。アスカの姿というのは、この点、過剰適応しがちな現代女性のある種のステロタイプに通ずるところがあると言える。この手の過剰適応型女性(20代〜30代前半)は街のメンタルクリニックに溢れていて、現代病理の析出形式のひとつと言ってもよいように思える。
 
 ただし、過剰適応型のリアル女性とアスカの精神病理がイコールとするわけにはいかないだろう。なぜなら、過剰適応型の女性にしばしばみられるような、リストカットやODを通して葛藤を解消したり、“私、お薬まとめ飲みしちゃった…○○クン、助けて…”的に他者の助けを求めるような適応行動はアスカにおいては認められないからだ。この点、過剰適応を進め、綺麗な姉ちゃんとして振る舞う&いい男を捕まえつつも自傷をやめられない『NHKにようこそ!』柏先輩などとは似て非なる存在と言えるし、もちろん柏先輩のほうが“現代的でリアル”な印象を受ける。柏先輩もがんばるが、アスカと違ってその適応形式には“自傷”というコーピングが含まれている。アスカには、それが無い。(臨床でも偶にはいるけど)アスカは過剰適応しまくっているけれど自傷によって自分を慰めることもなく、“神経症的悲劇のヒロイン”を通して周囲にhelp me!を求めることもない。もちろんこれは適応形式としては負担が大きく、ストイックな形式と言える。また同時に、適応水準を果てしなく上げることが可能な形式かもしれないし、逆に果てしなくあげるしかない形式と言えるかもしれない。
 
 自傷や“悲劇のヒロイン”というコーピングがあれば、アスカはもっとラクだったかもしれないし、致命的な決壊には至らなかったかもしれない。だが、それではステロタイプなメンヘル女そのままになってしまう。アスカはそうではなかった。ただひたすら真っ直ぐに過剰適応し、本物の天才と厳しい現実の前に散っていったのだ。メンヘル女と一線を画している点、メンヘル女よりも彼女が(私にとって)輝いて見えた点は、そこなのだろうか。彼女は確かに過剰適応型の、無茶で愚かな女だったとは思う…が、その過剰適応は真っ直ぐすぎて、“自傷”や“悲劇のヒロイン”といった妥協も甘えはみられなかった(それらがあれば彼女はパイロットとして大成しない代わりに、決定的破綻を避けられたかもしれない)。その辺りが、私がアスカに惹かれたポイントなのかもしれないし、“何悲劇のヒロイン気取ってやがるんだ氏ね!”と思わずに済んだポイントなのかもしれない。アスカがホントに純メンヘルだったら、同人をやろうとも思わなかったんだろうな、あの頃。
 

*1:心、と書いてみてうんざりし、神経、と書いてみてやりすぎだと思い、暫定的にメンタルと書いてみた

*2:ただし、統合失調症や精神発達遅滞を合併している場合はちょっと話が違うけど