シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

テキストサイト~はてな村の思い出(シロクマ編)

 
orangestar.hatenadiary.jp
 
 今朝は紅茶を飲みながら、優雅な土曜の朝を過ごしていたが、インターネットに「集会!」の狼煙があがっているのを見つけてしまい、今、キーボードを叩いている。
 
 id:orangestarさん、つまり、小島アジコさんが語ったテキストサイト~はてな村~はてなブログの記憶は、だいたいあってると感じるが、ところどころ私の記憶と食い違ってもいる。それは当然だろう。あの頃から既に、インターネットは広大で、ニッチは細分化されていて、アジコさんが見聞きしたインターネットと、私が見聞きしたインターネットは違っていたのだから。
 
 けれども、こういうテキストサイト老人会みたいなイベントが起こり、はてな村の古いアカウントが集まりそうなネットの風が吹いた日には、みんなの思い出話を並べて、読み比べることができる。ひとつひとつの思い出話は食い違っていても、当時を思い出す一助にはなろうし、小さな物語が寄り集まって、インターネット・サーガができあがるのだろうと思う。
 
 というわけで、アジコさんに便乗して、私なりに、テキストサイト時代~はてな村時代~はてなブログを使用している現在までを回想してみる。
 
 

テキストサイトと私

 
 テキストサイト。
 
 わかったような、わからないようなインターネットの文化圏だが、それが、ひとまとまりのコミュニティ=カルチャーだったのは間違いないと思う。アジコさんがおっしゃっているように、それはreadmeにだいたい登録しているものだったと思うし、readmeについてグダグダと言及しているテキストサイト運営者はそれなりに見かけたと思う。21世紀初頭のささやかなインターネットの一幕とはいえ、侍魂をはじめ、アクセス数*1の大きなテキストサイトは存在していたのだから、readmeに執着する人がいたのは当然だと思う。今でいえば、twitterのフォロワー数にこだわるようなものだろうか。
 
 私はテキストサイトといわれる文化圏の、辺境に住んでいた。
 
汎用適応技術研究[index]
 
 オタクの社会適応と、脱-オタクファッションがメインテーマだった私のサイトは、テキストサイト文化圏の中心からはかなり遠かったと思う。それと、当時の私の中二病感覚がこう告げていた――「readmeを気にするなんて、格好悪いんじゃないか」と。
 
 そのreadmeと距離を置く感覚は、当時やりたかったことがテキストサイトの本流とズレていたこと・テキストサイト文化圏で囁かれていた「モテるモテない」「ネゲットがどうたらこうたら」「オタク自虐芸」が気に入らなかったこと、等々と繋がっていた。ゲームをやりこむことよりアニメを視ることが流行っていて、アニメを視ることよりミステリーを読むことが流行っていたのも、私の感覚にはフィットしていなかった。だから私は、自分はテキストサイト文化圏の辺縁にいるのがお似合いだと思っていた。
 
 けれども、テキストサイト運営者とコミュニケーションするのは楽しく、ドキドキすることだった。日記を書いている者同士がお互いをdisったり、議論らしきことをやったりするのを視ているだけで、やたら楽しかった。結局それは、2017年のアルファツイッタラーの醜聞やらネット人士の屈辱やらをヤンヤと眺めるインターネット愉悦行為とだいたい同じだったのだが。
 
 私も、BBSにあれこれの意見を書いたりお話をしたりした。コメントを書き、そのコメントについたレスポンスを読むに至るまでの時間は、今よりもゆっくりしていたけれど、見知らぬ人と人が、ウェブサイトの運営者同士であるということで繋がれるのは、かけがえのない喜びだと感じた。BBSに投稿する際、自分のハンドルネームと自分のウェブサイトのURLを書き込むのが名刺のような感覚で、ああ、ウェブサイト持ってるっていいよなーと思っていた。
 
 いろいろな人とお喋りした。そのなかには、後のはてな村時代にコミュニケーションしていく人や、はてなブログ時代にすら健在な人も存在する。手斧文化なところがあった反面、馴れ合い的なところもあったと思う。ただ、みんな素朴で、みんな若かった。そして社会的オーソリティがテキストサイトのオーソリティと結合するような雰囲気は、私にはまったく感じられなかった。たとえば弁護士のアカウントだから偉いとか、たとえば起業家のアカウントだから偉いとか、そういう雰囲気はテキストサイト時代にはなかったと思う。そして、小さなテキストサイトという圏域で、人気を巡って、ネゲットを巡って、小さなプライドを巡って、人はお互いを見つめ合いながら、基本的には、自分が書きたいテイスト、自分が書きたい情念を大切にしていたと思う。
 
 「芸」をやるテキストサイトはたくさんあった。だが、「芸」をやるテキストサイトは、自分の「芸」を信じていたと思う。それじゃあ現在のブロガーやツイッタラーが「芸」を信じていないかのようにみえるかもしれないけど、いや、実際そうなのだ。これは、私が歳を取ったからそう感じるのかもしれないし、「芸」や「キャラ」を巡っての人々の捉え方やマネジメントが変わったか、私よりも若い世代のメンタリティの構造自体が変わっていったせいなのかもしれない。
 
 

はてなダイアリーと私

 
 私がはてなダイアリーに引っ越してきたのは2005年10月なので、それ以前に盛り上がっていたといわれる、ギークや知識人がはてなダイアリーを持て囃していた頃のことをあまり知らない。ただ、はてなダイアリーというものが盛り上がってきたという空気自体は入植以前から感じていて、はてなブックマークが実装され、それが自分のウェブサイトにもたくさん承認トークンを落としていってくれるのを実感して、これはいいなぁと思った。そんな矢先にお誘いを受け、はてなダイアリーをスタートした。
 
 はてなダイアリーは、手斧の飛び交うモヒカン族の土地だった、らしい。
 
 ただ、テキストサイト時代と比較しても、はてなダイアリー、いや、旧はてな村は、賞賛も批判も憎悪も率直に言い合う文化圏であるなぁと感じていた。私がそう感じた原体験のなかには、おおつねまさふみさん(otsuneさん)の存在があったと思う。いや、彼ははてなダイアリーを書いていたのでなく、はてな村のあちこちに出没して言及をしていたのだけど。この、おおつねさんに限らず、はてな村にいる人達は、ストレートにモノを書く性質があった。私はオタクの社会適応についてあれこれ書いていたので、非モテ論壇をはじめ、色んな人からブッ叩かれた。非常に心を打つ批判もあった反面、ただの罵倒、ただの脅迫も少なくなかった。しかし、それがブログの世界なのだと私は思うことにしてしまっていた。はてな村だけがブログの世界、インターネットの世界ではなかったのに。
 
 アジコさんは、はてなダイアリーの全盛期を2008-2009年頃と書いておられたし、「ハックルベリーに会いに行く」「ちきりんの日記」に軸を置くなら、それはそうだったのかもしれない。
 
 ただ、そこはそれ、見える風景は個人によって変わるわけで、私にとってのはてなダイアリーの全盛期は2006~2007年頃だった。
 
 つまり、「分裂勘違い君劇場」が、現在の基準では非常に長いブログ記事を投稿していたにも関わらず、連日のようにホットエントリを賑わせて、その周辺に綺羅星のようなブログが輝いていた頃だ。文学フリマに親和性のありそうな、ポストモダンをかじって中毒症状が出ているような若いオタクサブカルが、考え抜かれたような、それとも考えの足りないようなテキストを、ブログ上にモリモリ吐き出していた。非モテ論壇は非モテ論壇で、気炎をあげていたと思う。涼宮ハルヒの憂鬱。秋葉原の路上パフォーマンス。はしごたん。要は、勇気が無いんでしょ。
 
 2006-2007年のはてなダイアリーは、いや、はてな村は「層が厚かった」と思う*2
 
 テキストサイト時代の生き残り、オタクサブカル論壇、2005年以前からのギークや知識人、新たにスタートするブロガー、等々が本当に入り乱れていた。そうした人達が、はてなブックマークやトラックバックを通じて文通したり、手斧を投げ合ったり、賛意を示したりしていた。一部のアルファブロガーだけが目立つのでなく、新参から古参まで、なんとなくお互いを認識しあいながら、手斧を投げ合うことが許容される狭い狭いネットコミュニティ。もちろん、それが快適だった人もいれば、それが不快だった人もいただろう。私も、良い思いばかりしていたのでなく、ときには嫌な思いをすることもあった。でも、それがブロガーの世界、はてな村の世界だと思っていた。
 
 ところが、2008年頃から、その多様なはてな村の層が薄くなったと私は感じていた。
 
 ちょっと目先の利く人はtwitterに魂を奪われ、そちらで承認欲求を充たしてしまうようになった。今のような、あざといアルファツイッタラー狙いな人は珍しかったけれども、「ふぁぼ界隈」には、readme時代から連綿と受け継がれる、承認欲求の匂いがふんわり漂っていて、近付きすぎないようにしようと思ったものだ。
 
 綺羅星のようなブロガー達も、一人、また一人とブログからtwitterに軸足を移していった。海燕さんのように、niconicoに向かった人もいる。非モテ論壇は壊滅し、オタクという言葉も急速に陳腐化し、アイデンティティを仮託できるようなものではなくなった。2ちゃんねるのまとめサイトが隆盛をきわめた時期だから、読み専の人達は、多くが2ちゃんねるまとめサイトに向かったのではないだろうか。なんにせよ、はてな村・はてなダイアリーが寂れたような印象を当時の私は持っていた。
 
 あと、はてな村の衰退にちょっと関係しているのは、はてなダイアリーのフォーマットを使って中堅ニュースサイトをやっていた人達の撤退だと、個人的には思っている。はてなダイアリーに存在していた幾つかの中堅ニュースサイトが、オタク寄りなブロガーのコミュニケーションに果たした役割は小さくないと思う。たとえばSu-37さん、神コップさん、後発のゴリラブーツさん、これらに代表されるようなはてなダイアリー内のニュースサイト網は、放っておくとはてな村の歴史から漏れてしまいそうなので、ここに書き記しておきたい。
 
 2013年にブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。ブログがSNSからトラフィックを集める時代が始まっている。 - シロクマの屑籠に書く少し前まで、はてな村は、一部のアルファブロガーや準アルファブロガーはともかく、滋味深い中堅がどんどん流出し続ける状態だったように私の目にはうつった。それは寂しいことだった。しかし、旧はてな村が衰退しはじめたとしても、新はてなタウンが興隆しつつあったのだ。
 
 

はてなブログと私(の2017年現在)

 
 (株)はてなは、はてなダイアリーの後継としてはてなブログをリリースしていた。しかし私はノーマークだった。せいぜい、「B!KUMA」程度の意味しかないとたかをくくっていた。あるいは「どうせ、はてなハイクみたいに失敗するんでしょ」と。
 
 ところが、はてなブログは頑張った。旧はてな村とはどこか違ったユーザーがどんどん入ってきて、存在感が増していった。私は、旧はてな村とコミュニケーションの作法がちょっと違うなと戸惑った。
 
 私がはてなブロガー内のまとまりをはじめて意識したのは、「サードブロガー」だった。
 
d.hatena.ne.jp
 
 未知との遭遇。
 
 しかし、今にして思えば、この「サードブロガー」に含まれていたブロガー達の文化習俗は、自分が慣れ親しんだものとそれほど隔たってはいなかった。その後、はてなブログで遭遇した様々なブロガー達の文化習俗は、サードブロガー以上に、はてな村のソレと違っていた。
 
 そして、はてな村の、殺伐とした、それでいて拳に力と心を込めて殴り合って、喧嘩しても仲直りできる者同士が友誼を培っていくような文化習俗は、明らかに時代遅れになっていった。
 
 もう、見知らぬブロガーに力一杯噛み付いてはいけないらしいのだ!そういう言及は、いけないこととみなされかねない。
 
anond.hatelabo.jp
 
 上記リンク先は、「いまどきの若者や子どもにとって「批判」はタブーだ、はてなの中高年はそれがわかっていない」という主旨だ。だが、これは、旧はてな村民と、最も新しいはてなブロガーの間にもあるていど当てはまるように思う。
 
 旧はてな村民の流儀でもって、新規のはてなブロガーに批判記事を書くのは難しくなった。少なくとも、批判を通して意思疎通し、「雨降って地固まる」のような、友誼のきっかけとして批判的な記事をやりとりできる若いブロガーというのは、なかなかいないと思う。昔のはてな村では、それが一種の流儀として強制されていたが、同じことを新規のはてなブロガーに対してやったら、悪役とみなされるだけだろう。
 
 

 *3
 
 もちろん、旧はてな村の流儀は、単なる批判というより、手斧というメタファーが似合うようなものだった。だから、それを蘇らせるべきだとは思わない。しかし、旧はてな村民が手加減に手加減をほどこし、そっと言及したものですら、新規のブロガーが目を回したり、怒りを感じたり、絶対にスルーするのをみて、ブロガーがブロガーに言及すること、ブロガーがブロガーに批判や意見を書くことの根本的な意味が、テキストサイト時代やはてなダイアリー時代とも違っているのだろう、と私は感じるようになった。
 
 現在も私は、はてなブログに言及する時に、どう言及をすれば良いのかわからなくなることが多い。テキストサイト時代からの知り合いや、旧はてな村民が相手なら、今までどおりの言及で構わない。あざなわさん、hagexさん、ポジ熊さん、サードブロガーの皆さんなどに関しても、そんなに気にしなくても構わないだろう。
 
 だが、たとえばミニマリストのブロガーの集まりに言及するとしたらどうすべきなのか? たとえば「勉強になりました!」「参考にさせていただきます!」とブックマークするのが当たり前だと思っているブロガーコミュニティに言及するとしたら、どうやるべきか? こういった事が、今の私にはわからない。
 
 旧はてな村は、はてなブロガーの増加によって、はてなタウンに吸収された、と言われることがある。それが間違っているとも思えない。
 
 だが、結局私は、テキストサイト時代~はてな村時代に身に付いた文化習俗をフォーマットとして考えたがり、コミュニケーションしたがるので、新はてなタウンに流入してきた人達からみれば、「得体の知れない、野蛮な原住民」とみなされるのは不可避なのだろう。同じはてなブログを使っているとしても、歳の差があり、価値観の差があり、奉じるインターネットの規範意識の違いがある。
 
 旧はてな村民は、さしずめ、若い世帯がたくさん暮らすピカピカのニュータウンの真横の限界集落で、動物の皮を剥いで肉を取り、ゲテモノを料理して屋台に並べ、焚き火を囲んで焼酎を飲みながら大声で喚いている、そのような中年存在とうつるのではないか、と自嘲気味に思うこともある。だが、それでいい。
 
 すっかり長くなったのでそろそろ終わるが、ここに書いた回想は、id:p_shirokumaという個人の思い出話で、当然、他の人には違った風景が見えていたはずだ。だから、違和感がある人や、もう少し違った角度から昔を振り返りたい人は、どしどし記憶を書き記して欲しい。たくさんの人の記憶が寄り集まって、どうか、良いサーガを。
 
 [関連]:俺の主観で書いたインターネットの文化と流行の歴史(2005-2007)
 [関連]:俺の主観で書いたインターネットの文化と流行の歴史(2008〜2016)
 

はてな村奇譚上

はてな村奇譚上

 
 

*1:PVという表現は当時はあまり使われていなかったと思う

*2:はてなダイアリーのなかには、当然、はてな村とは言えない、もっと静かな圏域や、ハロプロ界隈のように独自の文化圏を築いているものもあった。この文章でいうはてなダイアリーとは、はてな村とその周辺を指していると思っていただきたい

*3:このシロクマは小島アジコさんが描いたもので、転載をご承諾いただきました。ありがとうございます。