シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ある三十代ガノタによるガンダムAGEの感想、または感傷

 

 『ガンダムAGE』をやっと見終わった。尺の長いガンダムとしては『ガンダム00』以来になる。途中、げっそりして視聴から脱落すること数回、HDDに録画してなければとっくに脱落していただろう。この一事が示すのは、「全体的な出来不出来はさておき、幾つかの場面で、俺は、この作品の続きを見るのがおっくうで仕方なかった」という主観的事実になる。

  • 尤も、これはHDDに録画していた「から」視聴をぞんざいになっていた可能性はある。ガンダム00の頃は、まだHDDにアニメを録画する習慣が出来ていなかった。このあたりが怠慢を生んでいた可能性は、ある。
  • とはいえ、『スマイルプリキュア』は録画してあってもほぼリアルタイムで観ていたので、録画バイアスの問題は小さいものかもしれないが。
  • また、加齢により長編アニメを観るだけの集中力が落ちているせいかもしれない。人は、ひとつのことにアテンションや情熱を集中することが加齢とともに難しくなっていく。よほどの情熱や執着が無ければ、散漫になっていきやすい。そういう意味では、昨今の深夜アニメにありがちな尺の短さは、中年アニメファンには優しい仕様なのかもしれない。BDを買うような作品の場合も、12話程度なら見返しやすい。

 
 観ていてマジで面白い、と感じたのは、二代目アセム編中盤以降と三代目キオ編の終わり頃。このあたりは、おお、と思った。一代目フリット編は、アセム編とキオ編の成立条件として必要不可欠だったのはわかるけれど、次の展開を固唾を呑んで見守りたいようなワクワク感は伴っていなかった。というか予定調和に耐えるのが大変だった。

  • フリット編と他の長編ガンダムを比較してみると、序盤のワクワク感というか、「どんなガンダムが出てくるんだろう?」「どんな展開になるんだろう?」感が非常に乏しかった。この視点で観るなら、ガンダム00、ガンダムSEED、ガンダムWあたりは相当研究されているというか、序盤に「どんなガンダム&パイロットが出てきて、どんな性能を見せつけてインパクトを与えるのか」に相当な注意が払われている。キャラクターデザイン、戦闘、なにより「ガンダムヤバい、マジヤバい」を見せつける説得力。この手の説得力に関しては、ガンダムW以降の非-宇宙世紀系のガンダムは、本家の宇宙世紀ガンダムシリーズの大半よりインパクトがあったと思う。ところがガンダムAGEにはこれがまるっきり欠けていた。
  • 尤もこれは、俺という三十代から観てインパクトが弱かった、という話で、小学生な視聴者にとってガンダム00やガンダムSEEDを上回るインパクトがあれば、それでオーケーには違いない。ところが、じゃあ小学生に無事アピールできていたかというと、これもこれで怪しい。近所のスーパーに置かれていたガンダムAGEモノの筐体は、放送開始当初は一番見栄えのいい場所にあったけれども、早々にゲームコーナーの隅に移動してしまっていたし、「小学生の間でガンダムAGEが大人気」という話は寡聞にして聞かない。どうなんですか、ねえ。
  • このあたりは、『ガンダムUC』が年長者向けガンダムとして幅を利かせまくっているので、それと競合しないような作品づくりを目指した結果、という弁護も可能かもしれない。けれども、それならそれで、もっと小中学生向けガンダムとして明確なアピールをすべきだったのだ。不幸なことに、ガンダムAGEは過去のガンダムファンへの未練を捨てきれず、中途半端にガノタ向けアピールを混ぜてしまっていた。初めてガンダムを観る子には意味のわかりにくく、古参ガノタからは冷笑を買うようなオマージュなら、ないほうがまだいいし、ほとんど無意味に登場人物を殺してお涙を誘うような演出は小学生向きロボットエンターテイメントには要らない*1
  • ただ、「中途半端だからガンダムとして駄作なのか」という設問に溺れると、ガンダムの値打ちを見誤る可能性はある、と、エチケットペーパーを挟んでおく必要はある……VガンダムやZZガンダム、もっと言えば初代ガンダムにだって、なんとも中途半端な描写はあるわけで、中途半端か否かでガンダムとしての評価をすると、(特に昨今のまとまり良く尺の短いアニメ群と比べたとき)ポジティブな側面を見逃してしまいやすいとは思う。「当時、年長アニメファンは酷評していたが、後になって若い世代が導火線になって人気が爆発したアニメ」「後世になって意義が評価されるようになったアニメ」は数多いわけで、俺ら年配アニメファンが現時点で何を言っていようが、この作品の存在意義が将来どう転がるのかは予測できない。

 
 そう、ガンダムAGEは祖父-父-子どもという世代交代の問題に取り組んでいた。取り組もうとしていた。その取り組みがどこまで実を結び、どこまで世代間の対立→融和を描けたのかはともかくとして、狙いどころとしては非常に面白かった。ロボットアニメで、世代間の葛藤や和解を三世代にわたって描ききった作品はあんまり無いし、それほどヘビーではない作品テイストのなかで、フリット、アセム、キオの考えや才能の違いを描いていたのはよかったと思う。

  • アセム編は、父とは異なったアイデンティティをアセムが身につけていく思春期的な題材。ありきたりな題材なのが幸いしてか、相対的に丁寧に描かれていたと思う。
  • 対してキオ編は、フリットとアセムの考え方の相違、フリットとキオの考え方の相違がストーリーのなかでそれぞれ生かされていて、なおかつ小学生が観てもストレス過多にならないぐらいの描写に留まっていた。これも良かったんじゃないかと思う。キオ編では、アセムがフリットの劣化コピーに至らない方向に育った設定が随所で生きていたと思う。フリットが爺さんになっても捨てきれなかった妄念を中和するにあたって、アセムとキオの存在は不可欠で、その彼らを育て導いたのはフリットをはじめとする家族や大人達だったわけだ。そういう、世代間の因縁の連なりみたいな構図は、リアルとは言えないにしてもわかりやすく描いていたと思う。小学生が観ても、後になって「あれはああいう意味だったんだ」と思い返せる可能性があるかもしれない。
  • ただし、構図としてはわかりやすかったけれども、構図ばかりがハッキリしすぎていたとは感じた。「なるほど、こういう家族関係を描きたいんですね。でもフラグが丸見えですよ」みたいな。
  • そう、この作品はどこもここもこうなのだ。話の構図、戦闘の転帰、どれもハッキリしすぎていて、予想もしやすい。いや、予想のしやすさ自体は、必ずしも罪ではない。しかし、死亡フラグが立った人間の予測された死までのプロセスを「消化試合」と取られてしまうのか、それとも「ベタだけど凄かった」と評価されるのかは常に問われるところなわけで、残念ながら、ガンダムAGEのソレは「消化試合」と取られやすい、粗さが目立っていたと思う。「先読みのしやすさ」を説得力に化学変化させていくためのディテールを欠いていた、というか…。

 
 モビルスーツ、特に歴代のガンダムのデザインについては、そんなに悪くなかった。悪くなかったということにしておこうよ。ヴェイガンのモビルスーツは…うーん。しかし、「中二病の入った格好いいお兄さんが、これまた格好いいガンダムに乗って縦横無尽に活躍する」という最近のガンダムを見慣れている人間にとっては、モビルスーツ戦はちょっとトロく感じられ、このトロさはプラモデルの購買意欲を削ぐだろうな、などとぼんやり思った。

  • 小中学生の男の子に玩具を買わせようと思ったら、まずはじめに「このモビルスーツマジたまんねぇ!」と思わせてくれるインパクトがなければならない。小中学生の頃にガンプラを買った俺が言うんだから間違いない。格好良くない、ましてインパクトのある戦闘演出すら欠いたモビルスーツのプラモデルを買い求める小学生は滅多にいない。良いデザイン、インパクトのある戦闘演出、格好いいパイロット、こうした要素が揃っていればいるほどガンプラ欲が高まるし、脇役モビルスーツの売れ行きにも影響が出るだろう。この点において、ガンダムAGEの戦闘は、ただガンダムであるということ・歴代ガンダムのオマージュ的武装であることに、あぐらをかきすぎていたのではないか、という勘ぐりを禁じ得ない。
  • この「モビルスーツ登場のインパクト」という視点で見ると、ガンダムW〜ガンダム00までのガンダム達は、ちゃんとガンダムそれぞれにインパクトがあったと思う。そして、それぞれのガンダム達の強さとインパクトを強調する装置として、ガンダム以外の脇役モビルスーツ*2と、ガンダムに抗う人達の描写がキッチリ機能していたと思う。ガンダムSEEDのザフトにせよ、ガンダムWのOZにせよ、物語序盤の「ガンダムに決して勝てないし脅威を感じてはいるんだけど最善を尽くす人達」として必要不可欠だったわけだ、ところがガンダムAGEの場合、物語序盤に敵役の描写がびっくりするほど省かれていたので、ザフトやジオン公国軍に相当するような「ガンダムのインパクトを支えるための相方」を欠いていた。しかも、ヴェイガンが表立って出てきた後も、それほどガンダムにビビっているようにも見えない。火星人は、もう少し白い悪魔を怖がってあげないと。
    • 「オーパーツとしてのガンダム」より「オーパーツとしてのヴェイガン」のほうがむしろ目立っていたような?!
  • この観点から初代ガンダムを振り返ってみると、やっぱり凄かったんだなと思う。ガンダムはもとより、ジオン軍のモビルスーツも演出面でインパクトがあった。ガンダムは常に圧倒的性能を見せつけていて、ジオンの人達は、小学生にもわかる演出具材として、ときには中学生以上にしかわからないストーリー伏線回収の生け贄として、死んだり失踪したりしていった。そして新型モビルスーツ達は、お決まりのおどろおどろしいBGMのもと、きっちり一度はガンダムを追い詰めていたし、それでいて「やっぱりガンダム&アムロは強かったんだ」を強調するようなかたちで撃破されていった。こうした、「こいつ、バケモノモビルスーツだ!→でもやっぱりガンダムは強くて格好いい!」と小学生でも納得できるような丁々発止がガンダムAGEにあったかというと、微妙だったのではないか。MS同士の組みあいとか、パイロットの自負や気合の見せ方が、変なところで大人しいというか。
  • 「ガンダムであればリアリティの感じられる戦闘でなければならない」という命題は、Gガンダムが示しているように、必ずしも真ならず。しかし、リアリティを欠いているうえに迫力やメリハリすら無い戦闘では、誰の琴線も刺激しないのではないか、という印象は禁じえない。他のガンダムシリーズだけでなく『コードギアス反逆のルルーシュ』などと比べても、ガンダムAGEのソレは、手ぬるい戦闘だ、という印象が否めない。それに加えて、先に述べた「誰がどこで死ぬかの先読みのしやすさ」があったせいで、あたかもペナントレース後半のBクラスチームの消化試合を眺めているような、それでも個別の選手の打率や防御率を楽しみに一応俺は愉しんでいるんですよと自分に言い聞かせているような、息苦しさはあった。

 
 いざ文字列にしてみると、俺の『ガンダムAGE』に対する要求水準の高さというか、不満に思いながらも我慢していたものが図らずも溢れてしまう格好となってしまった。しかし、ガンダムの名を冠した作品である以上、俺のように「ガンダムなんだからこうであって欲しい」と期待に胸を高鳴らせて視聴した人は多かったと思うし、on air された現実と期待との落差に落胆した人も多かったのではないか。
 
 とはいえ、今ではそこそこ評価されているガンダムSEEDにしたって、放映直後は年長ガンダムオタク達が憤慨していたわけだから、現在の、まして俺自身の感傷は、将来の評価とは無関係と見ておくべきなのだろう。そもそもガンダムシリーズには「保守的な古参が新作に対してダメだしする」という妙な伝統と、その古参によるダメだしを跳ね除けて評価を勝ち得てきた作品が少なくないというジンクスがある。だから、もう何年か経った時にこの『ガンダムAGE』がどのような位置づけられているのか、これからも観測を続けてみると面白いかな、とは思う。
 

*1:もちろん、ガンダムAGEの作中で命を落とした幾人かは、ストーリー上必要不可欠な死を迎えた。けれども、思春期向けならさておき、子ども向けだったら助命嘆願が許されてもいいキャラクターは、いたと思う

*2:ザクやジンやリーオーなど