シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

らき☆すた最終話感想。

 
 (ネタバレだから、避けたい人は引き返してね)
 
 
 
 
 
 フランス料理にはフランス料理の良し悪しが、ポテトチップスにはポテトチップスの良し悪しがあるだろう。本格派から肩の力を抜いて楽しむジャンクフードまで、多様なジャンルと多様な味わいがあって然るべきだ。アニメだって同じで、例えば『ハルヒ』に『攻殻』と同質のものを求めるのは、モスバーガーに懐石料理を求めるのと同じく、滑稽なことだろう。
 
 僕にとっての『らき☆すた』は肩の力を抜いて、オタクガジェットを楽しみながら、かわいい女の子に素直に萌えるアニメとしてまず楽しむものだったし、最初から最後まで同じ姿勢で楽しめたと思う。所々じーんと来るような話を織り交ぜたりしつつも、あくまでそれはアクセントで、オタオタしながら、萌え萌えしながら、キャラクターアニメを堪能させて頂いた。嫁との話し合いで、一応DVDを奉納する予定ともなった。めでたいことだ。
 
 最終話は文化祭、魅せてくれた。二度と振り返ることの出来ない文化祭を、慣れ親しんだ女の子キャラ達が通過していく。どたばたしつつも最後までキャラ個人個人の魅力や属性の一貫性を失うことなく、文化祭の準備シーンやリハーサルで動き回るキャラクターをみていると、こっちまで“あー、これっきり一度きりなんだなー”という気分になってくるわけだ。これはやっぱり最終回の御利益なんだろうか。最終回をみている自分達も、こなたやかがみ達も、この文化祭を通り抜けるのは一度きりなのだ。引き返せない文化祭、皆で思い出をつくろう、一つのものをつくろう、と汗をかくキャラクター達の姿が生き生きと描かれている。『らき☆すた』はグラフィックの精度的にも『エヴァ』や『ハルヒ』に及ばないけれど、ストーリー立てや表情づくりで一回きりの文化祭をちゃんと疾走出来るてるんだなと感心した。チアリーディングの企画から練習に至るシーン、リハーサルの気分、汗、先生からのジュースのおごり…こういう出来事は絶対にリピートできっこないし、リピートしないからこそ、これらには掛け替えのない意味と思い出と体験が宿るわけだ。萌えキャラである彼女達が、一回きりの文化祭に全力で飛び込み、高校生活最後のひとときを(なんやかや言いながら)創っていくシーンに、おっさんな僕は不覚にも感動した(し、おっさんらしく、自分の学生時代の文化祭やらなにやらの回想にも浸ることが出来た)。オタがDVDをリピートしようがしまいが関係なく、こなた達は戻らぬ瞬間を駆け抜けてゆく。
 
 文化祭当日のシーンもいい。他にも色々とやりようはあっただろうに、制作者サイドは敢えて本番前の緊張感やら、携帯電話の不意の着信やらを描写してきたわけだ*1。本番で出し物をやっている時よりも、ああいう待ち時間のほうが妙に記憶に残るものだし、あの思わぬ着信を彼女達は数年後も思い出すことが出来るだろう----一度きりの、通り過ぎた思い出として。緊張がとれた後のみんなの表情が最高だ。ああいう表情でステージに向かえるなら、本番で多少の演技ミスがあろうがそんなものは些末な問題にもなるまい。彼女達は間違いなく自分達のステージを踊ったのだろうし、きっと楽しい文化祭を“過”ごしたんだろうな*2、と僕は思いこむことが出来た。自分の大好きなキャラクター達の将来への歩みを予感しながらお別れ出来るなんて、なんて自分は幸せなんだろう。コミックのほうはまだ残っているし、卒業式までのひとときをかいま見れれば嬉しいだとは思うけれど、とりあえず今回のアニメ放送終了にあたって、ループする文化祭などという憂鬱ではなく、個々人にとって一度きりの文化祭・汗をかいて準備し体験し通り過ぎていく文化祭として彼女達が歩いていく後ろ姿を見送って、僕の『らき☆すた』アニメ鑑賞は終了した。今は、満足な気持ちでいっぱいだ。
 

最後に。

 みんなかわいかったなぁ。なんやかや言ってもツンデレは強いよなー。かがみかわいいよなー。萌えるよなー。チアリーディングでかがみをついついみてしまう自分にかなりの自己嫌悪を感じつつも、またしても視てしまうキモオタな俺なのであった。へっへっへきもくてすいません。
 

*1:もちろん、絵を描く暇がなかったから、という意地悪な解釈の仕方もあるだろう。しかしそういうのは料理を出来るだけ楽しもうという気分の時にはあまり良い作法ではないような気がするので、数ヶ月後にとっておく。

*2:=通り過ぎることが出来たんだろうな