シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

あなたは馬鹿で不幸な小悪党にでもなりたいんですか?

 
 ああ駄目だ駄目駄目。話にならない。

  • 悪魔の証明に付け込んで人を追い詰めましょう。
  • 時効と恫喝をうまく利用しましょう。
  • 恩は必ず仇で返しましょう。
  • 騙される人が悪いのです。人の善意を利用してとことん騙しましょう。
  • 個人情報は売りましょう。
  • お金が落ちていたら必ず拾いなさい。
  • 良い事をするとあなたの信仰しているカミサマには褒められますが、周りの人間には嫌がられます。
  • 正義の味方が現れたら被害者ぶりましょう。
  • 気に入らない人がいたら悪い噂を流しましょう。
  • ばれなければ何をやっても構いません。
  • 弱いものはいじめましょう。
  • できるだけ働いてはいけません。
  • 見下せる人間が存在するなら徹底的に見下しましょう。
  • 悪い人は悪くない人ですが、悪くない人は悪い人です。
  • 募金箱にはカメムシの死骸でも入れておいて下さい。
  • 暴力を振るうのを躊躇ってはいけません。
  • 「重罪も みんなですれば こわくない」
http://anond.hatelabo.jp/20070918034401

 
 なるほど、確かにここに書いてあることはどれもこれも悪いことに違いないですね。他人を嫌な気分にしたり、不幸に陥れたりするには、まぁ悪くない方法でしょう。しかし、悪を通して幸せになるにしても、大悪人として大成するにしても全くなってないと思うので、僭越ながらアドバイス申し上げてみます。
 

  • おまえ、幸せになる気あんのかよ?

 あなた、本気で幸せになる気があんですか?“うさを晴らす”という一点だけをみれば、他人の足下に落とし穴を掘る作業は確かに有効でしょう。しかしそんなのいつまで続けるんですか?自分のルサンチマンが尽きるまでですか?そんな日、来るわけないですよね?益々真っ黒になっていく、益々惨めになっていくであろう悪事の果てに、ルサンチマンの地平を超えられるとは私には思えません。やればやるほど、塩水多飲のようにあなたの魂は塩漬けになっていくのではないのでしょうか?カメムシを募金箱のなかに入れて愉悦を感じられる時間は僅かで、心に澱のように降り積もる宿業は永遠です。唯一、あなたが突然変異者で、三歳ぐらいの頃から生物が苦しむ姿をみるのが唯一心地よいと感じられる悪鬼だったとすれば業の蓄積はむしろ金貨の山かもしれませんが、今更増田にこんなものを列挙するようなあなたが、稀少で忌まわしい悪鬼の類にはみえないわけです。
 
 じゃあ心的メリットではなく物質的メリットを確保するうえでこれらの“悪事”が有効かと言ったら、どう考えてもそうは思えません。これじゃあ、三日先の事も考えられない超厨房ですよね。「ばれなければなにをやってもかまいません」?「お金が落ちていたら必ず拾いなさい?」あなたの損得勘定は、極めて狭い時間的単位のなかで、極めて狭い価値体系のなかで、決められているんですか?同じ悪事を働くのであっても、二手三手先まで考えて、金銭や物質的メリットが眼前に転がっていても先の先まで考えて、慎重かつ大胆に行動するべきではないのですか?悪人だったら馬鹿でも幸せになれるとか、悪人だったら視野狭窄起こしていても幸せになれるとか、まさかそんな風に思ってるんですか?駄目です。あなたが幸福なる悪人を目指すなら、やくざ屋さんのように、クレバーに、慎重に、大胆に、先の先まで読まなきゃとても無理ですよ。個人的には、幸福なる悪人、というやつは幸福なる善人や幸福なる一般人*1になるよりもハードルは高く、頭良くないと無理だと思います。そんなんじゃ、皆から嫌われてはいるけれども不幸せなチンピラ崩れに終わってしまうんじゃないですか?ただ他人を不幸にしてルサンチマンの一時的解消を繰り返したいというのなら、そしてその挙げ句に自家中毒起こして生き地獄に落ちたいというのならあなたの手法でも可能にみえますですが、悪いことをして幸せになるには、あまりにも見識が足りないと思います。ついでに言えば、その手法では物質的メリットすら十分に稼げそうにありません。もしあなたが、小金を分捕ったりゆすったりして満足できて、幸福感にもありつけるっていうぐらい執着の浅い人だとすれば話は違ってきますけど。
 

  • おまえ、でっかい悪人になる気あんのかよ?

 それに、あなたがもしも広範囲に恐怖と暴悪をばらまきたいと思っているのなら、もっと先の先まで考えたほうがいいんじゃないですか?バスジャックでもやらかしてダークヒーロー気取りになって、刑務所入ってカタルシスというような自慰識だけ満たしたいならともかく、あなたが立派な悪人になって、日本を征服するぐらいの気持ちでいるのなら、こんな小学生のような悪事に耽っていては全く駄目です。『ジョジョの奇妙な冒険』のDio様とまではいかなくとも、せめて『るろうに剣心』の志々雄真実さんの爪の垢でも煎じてお飲みになったほうが良いのではないですか?自分の悪の野望を開花させる為に、自分自身の高い判断力、優れた人材を惹き付ける魅力、どのような場に出ても恥ずかしくない教養、などなど準備すべきものは沢山ある筈です。一人の力で、しかも一回のマイクロテロぐらいで出来る悪事というのは、多分、それほど大きな悪事ではないでしょう。もしもでかい悪事をやりたいのなら、こんな路上の石拾いにも劣る悪事にかまけているべきでもないし、もっと長期的展望に立って、野心に向かって邁進すべきではないのですか?悪の県会議員、悪の会社役員、悪のアルファブロガーetc…まぁ最後のは冗談としても、チマチマした小悪事を重ねてルサンチマンの一時的解消に浸っている暇なんてないでしょうに。
 

  • 善人とか、悪人とか関係なくですね…。

 悪人だって、損して得とれとか、努力は必要条件とか、そういうのは同じです。でっかくなろうと思ったら、能力も要るし、人材も要るし、運だって引き寄せなければならない。善悪の問題じゃないですよ。善だか悪だか、他人の幸不幸だかは知りませんけれども、あなたが幸せとやらに到達するにも悪人として立派に大成するにしても、視野狭窄したまま憂さはらしに耽ってるだけじゃ、いつまで経ってもあなたは今のままで、たぶん不幸なんじゃないかと私は思います。あなたがもし、幸せとやらを追い求めているのなら、悪人ルートなどというかなり骨の折れる生き筋を選ばず、もっと楽な善人ルートを選ぶことをお勧めします。どのみち、あなたが書いた処世訓は悪人ルートで幸福になるにはあまりにも視野が狭すぎます。それぐらいなら、“愚かな善人”として生きたほうが、まだどこかに救いが残っているかもしれません。小悪を重ねて周りの人間と自分を不幸にするのは確かに簡単ですよ。でも、小悪を重ねれば自分が幸福になれるなど痴者の妄想でしかないですし、ましてやそれでビッグなダークヒーローになれると思ったら大間違いですからね。
 

*1:この言葉、マジックワードくさくてちょっと嫌い。でも対比として使わせてもらいますね