シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「上から目線」という名の劣等感ゲーム

 
「興味深い」と「上から目線」 - novtan別館(コメント欄も必見)
 
 或る人が、
 
 何か文章をネットで書いた
 ↓
 言及された
 ↓
 言及に対して「それは上からの目線ですね」と言及し返した。
 
 というパターンはネット上のコミュニケーションでは結構みかける。「上から目線」という批判的なフレーズは、一時期の非モテ界隈あたりではよくみかけたものである。コメント欄でid:otsuneさんが書いている通り、「上から目線」というフレーズは、ほぼあらゆるタイプの言及に対して発生し得ることが既に観測されており、言及者の心的傾向や態度よりも、むしろ被言及者の心的傾向や態度いかんによって出現するか否かが決定づけられることはほぼ間違いない。
 
 ある人が、「上から目線である」「対等な議論ではない」「メタの高みから見下ろしている」etcと表現をする時、その人は自分にコメントをつけた人と自分自身との間で落差なり傾斜なりを(少なくとも主観レベルにおいては)感じている、と私は考える。自他の間に何らかのヒエラルキーを感じ取り、自分が下である事に苛立ちを覚えた時にはじめて「上からの目線はやめてください」と人は発言し得る1.自分が下だと感じ取って、且つ2.苛立った人だけが「それは上からの目線ですね」と不満を漏らすことが適うのであり、どちらの条件が欠けていてもこのフレーズは出てこない。繰り返すが、これは言及者が実際に見下ろしているか否か・言及者と被言及者のどちらが実際に偉いかにはあまり影響されるものではなく(言及者が実際に極めて高圧的でパワフルな人物なら別かもしれないが)、被言及者が主観レベルにおいて自分のほうが下だと感じていて、しかもその事に苛立ちを隠すことが出来ない時にこそ口の端から漏れ出るフレーズである。
 
 結局のところ、このフレーズはまず劣等感ゲームとして解剖されるべきものだと私は考える*1。「上からの目線ですね」というフレーズは、自分が劣等感を感じたことに苛立ちを覚えている人にとってなかなか良い効能を有していると思う。というのも、「上から目線」は、自分よりも優等と感じた人間の不当性を告発することを通して対象人物を低く引きずり下ろす機能を持っており、しかも自他の間のヒエラルキーなり傾斜なりを、自らのコンプレックスに求めるのではなく相手の態度のせいにする機能も有しているからである。それっぽい表現をするなら、ルサンチマンな発言による劣等コンプレックスの防衛であり、自身の劣等感に由来する不安や怒りを外在化させることを通した心的ホメオスタシス維持の営み、とでも言えば良いのだろうか。「それは上からの目線ですね」と自分が感じた感情を相手のせいにすれば、自分自身を省みる必要は無くなるし、つまり、自分自身の劣等感は適切に目隠し(防衛)される。「上から目線」という表現は必ずしも建設的でない場面で建設的でない使われ方をすることの多い言葉だが、しかし、当人の劣等感を防衛する為の盾としては、有効に機能するだろう。
 
[お断り]:「上から目線」というフレーズは、実際、特定の心的傾向を持った被言及者において目立つ現象なので発言者当人の問題としてまず検討すべきなのは事実だけれど、なかには殆ど全ての人に一斉に「こいつ、何高い所から気取ってやがるんだ」と反発されるような、言及者側に甚だ偏った心的傾向があるケースも存在する。また、ブックマークというシステムは実際にメタ言及を可能にしてしまうので、ブックマークに対して「見下ろされた印象」を受ける人が多いことは想像に難くない。
 

*1:しかる後、「上からの目線ですね」と言わしめた言及者の心的傾向の検討に移るのが筋ではないだろうか。なぜなら、「上からの目線」と発言する人は大体決まっているのに対して、「上からの目線」と言わしむる発言者は必ずしも決まっていないからである。この特徴もまた、第一には「上からの目線」を頻繁に口にする人達の心的傾向を検討すべしと勧める根拠である。