シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

劇場型ブログ――煩悩是劇場

 
 id:ululunさんには因果が回ってきたんですよ - シロクマの屑籠
 
 上のリンク先テキストに、今回のululun騒動のコミュニケーション上の一考察を書いてみたが、実際には、もう一つの考察を思いついていたりする。こちらのテキストでは、そのもう一個の考察――ululunさん個人の素養に関する考察――を書いてみよう。いや、これは考察というよりも空想や邪推に類するものなのだが。とりあえず、ululunさんはこのテキストの邪推を否定することが出来るし、その否定は言説空間においては一定の有効性を期待出来るものだろう、とは思う。私自身も、このテキストには全然自信が無い。
 
【劇場型ululun】
 
 実は私は、ululunさんは「自分自身への読者の評価に敏感な」タイプのブロガーではないか、と思っていたりもしている。ただならぬ数のエントリと被ブックマークや、ネタ師としての素養、などなどには天性のものがあるように思う。どこまでが意図的でどこまでが無意識のものかはこの際問わない。はてな村というクネクネ空間の内部において、ブックマークという演台の上でスポットライトを浴びる素養を持ち、事実浴び続けるululunさんは、自分自身が読者に執着されているかどうかに対するセンサーは発達させている、と思う。ただし、先にも述べた通り、そのセンサーは“個々の被ブックマークやトラックバックで何を言われたか”には敏感であっても、“自分の発言が蓄積した結果として、読み手のうちにどのようなululunができあがるのか”には鈍感なのかもしれないが。
 
 ただし、単に被ブックマークを集めたり人気エントリを連発しているだけでは劇場型だ何だと言うにはあたらない。そんな事を言い出したらすべての情報発信者は劇場型だという事になってしまう*1。では、どういう所が劇場型なのか?
 
 個人的には、uluunさんのトラックバックやエントリには、人を振り向かせる集客力のような何かが潜んでいるように思えてならないのだ。沢山のネタ記事はもとより、他のブロガーへのトラックバックにしてもタイトル付けにしても、“衆目”という名のスポットライトを惹く何かがある。それこそ、短いネタエントリでさえブックマークさせるような何か、である。その何かを上手く説明し尽くすことが出来ず、私はやきもきするんだけれど、リアクションやイントネーションの一つ一つに、大仰なものを感じることがあったのだ。
 
 今回のプライベートモード移行→はてな匿名ダイアリー潜伏→公開モード再開 の流れに関して、実は私はululunさんが劇場型かどうかを試す試金石として注目していた。もし、劇場型ululunであれば、絶対にプライベートモードに耐えることも匿名に耐えることも出来ない筈だ。あくまで顕名として、衆目の中心にいなければならないに違いない、と推定したわけである。勿論このような推察を行う時点で、私は自分自身こそが劇場型ブロガーとしての性向を併せ持っている事を意識しなければならない羽目にはなったわけだが、しかし好奇心が勝った、というわけである。
 
 予想通り、ややあってダイアリーは公開モードに復帰した。穿った見方をすれば、怒りの表明も、匿名ダイアリに引きこもったアクションさえ、劇としての、ネタとしての「煩悩是道場」を盛り上げる上でのショーとして捉えることさえ可能かもしれない。こんな穿った見方は、ululunさんの意識する所とは一致しないこと間違いないわけだけれども、このような解釈が合致してしまう程度には、ここ数日の「煩悩是道場」はドラマチックだった、という点には着目する価値があると思った次第だ。
 
 繰り返すが、これがululunさんが意図した結果として招いたものかどうかは問わない。ご本人の発言を真に受け止めるならば、これは意図せざる結果なり構造なりである、と理解するのが筋だろう(ちなみに、fromdusktildawnさんあたりは対照的に、随意下で劇場や釣り堀を運営している、という意識が伝わってくる。あれはあれで潔い)。しかし当人の思惑がどうあれ、あまりにも「煩悩是道場」は「煩悩是劇場」なのである。おそらく生真面目なエントリさえも、しばしばこの劇場型構造に埋没してしまって読み手側が「ドラマ」として消費されていることさえあるかもしれない。この劇場化によって、ululunさんは真剣に言いたい事も“劇的ですね”と言われてネタ消費されやすくなるという弊害を被っているかもしれない。一方で、劇場であるが故に衆目を集めやすく、多大な被ブックマークを引っ張る一因ともなっているかもしれない。
 
 
【劇場型ブログの由来となる心的傾向はどんなものだろうか?】
 では、何が「煩悩是道場」をこれほどの劇場型ブログにしているのだろうか?一つの答え方としては、上のテキストで書いたような、読み手側におけるululunイメージの蓄積、という回答があり得るだろう。では、そのようなイメージを先行せしめるululunさんの心的傾向とはどういうものなのか?これに関しては、私は的確な答えを得ずにいる。しかし、劇場型のブログをここまで大がかりに運営し続けるからには、それ相応の特異な心的傾向が潜んでいるのではないか、と邪推することは依然として可能だ。そしてひょっとすると、劇場型ブログを牽引する人の心的傾向、または精神病理というものは、多かれ少なかれ(顕示的な我々)ブロガー達にも共有されるているものではないだろうか。
 
 
【私自身の防衛機制がブロックをかけているようです】
 あるいは、私が彼の心的傾向を考察しきれずモヤモヤしているということは、防衛機制を通して私自身に対して隠蔽されている心的傾向が、ululunさんに含まれている兆候なのかもしれない。この、認知の奇妙な空白を通して、私は自分自身がやはりululunさんと心的傾向を共にする劇場型ブロガーの端くれであると自覚しても構わないのだろうか?しかし、私の足元に関しても、ululunさんの足元に関しても、真っ暗のままであまりにも手がかりが乏しい。誰かがスーパーバイズしてくれない限りは、私は直面化を避けたまま防衛機制を展開し続ける、可能性が高い。所詮、今の段階では推測というよりも空想や邪推の域を出ない。泣く子と防衛には簡単に勝てるものではない。
  
 ※そもそも、そんな自分自身の振る舞いに対してこういったテキストをメタ視的に展開すること自体、すこぶる防衛的、である。→と書くこと自体はすこぶる(略→無限メタ後退へ
 

*1:事実すべての情報発信者は劇場型なのが現代なんだろうけれど、程度問題として今回は限定