シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「市場に出ない」「理想の異性」について考える際の視点

 
これから書くのは、できるだけ理想に近い異性とパートナー関係になりたい人に本来必要な視点なのに、世間では語られることの少ない(=たぶん人気もない)視点だ。そういう異性とパートナー関係になりたいけどどうすればいいのかわからない人に、こういう視点もあるんだよって知っていただけたらうれしい。
 
 

理想の異性は「市場」に存在しない

 
はじめに、理想の異性に出会いたい人がしばしば忘れているか、忘れたふりをしていることを確認しておきたい。それは、理想の異性は原則として「市場」に存在しないってことだ。
 
世の中では、ときどき「市場に出ない物件」みたいな言葉を耳にする。あまりに良い土地、あまりに良いマンション、そうした最優秀の物件は売買のマーケットに出るまでもなく、その手前で(たとえば既知の人間関係の内側で)取引成立されるから、自由市場にそれが並ぶことはない、みたいな話だ。
 
これって異性だって同じ。
実際、婚活市場でも「市場に出ない物件」って言葉を耳にする。
 
そう言うと、理想の異性には個人差があり価値観や性格によってさまざまだ(よって、理想の異性が市場に存在する可能性はある)、と反論する人もいるかもしれない。だけど、実際にはそうした価値観や性格のさまざまな異性にもそれぞれ理想そのものといった人から問題だらけな人までいるわけで、宝石にたとえるなら、完璧なダイヤモンドやルビーもあれば欠けたダイヤモンドやルビーもあるのと同様、ピンからキリまである。
 
だから、たとえば体育会系っぽい男性であれ学者肌の男性であれ、完璧なダイヤモンドやルビーに比喩されるような男性は需要がものすごく高く、パートナー探しの自由市場からは一瞬で消える。一方で、欠けたダイヤモンドやルビーに比喩されるような男性は、パートナーとしての需要が少なく、自由市場に残り続けるだろう。女性も同様だ。性格・価値観・体型・職業のさまざまな女性がいるが、完璧なダイヤモンドやルビーに比喩される女性は、どういうタイプであれ需要がものすごく高く、パートナー探しの自由市場からは一瞬で消える。
 
結局、どういうタイプの男性や女性であれ、理想の異性と呼べる人は、パートナー探しの自由市場に持続的に存在することはまずない。理屈としても現実としてもそうで、まさに「市場に出ない物件」だ。理想の異性は、どのタイプや類型のものであれ、パートナー探しの自由市場には存在しないか、まばたきしないうちに選ばれて消えてしまうと想定しておいたほうが現実的だろう。
 
  

サーチすべきは「これから理想の異性になりそうな人」

 
じゃあ、どうやったら理想の異性とパートナー関係になれるのか。
 
私なら、「これから理想の異性に近づいていきそうな人」を探して、そういう人をパートナーにするしかないだろ、と思う。
 
さきほど理想の異性のことを完璧なダイヤモンドや完璧なルビーに比喩したが、その完璧なダイヤモンドやルビーになる手前の異性、そうなっていく潜在力のある異性も存在する。というより、完璧なダイヤモンドやルビーになっていく手前の、いわば宝石の原石にあたる異性のほうが人数的には多く、こちらのほうがパートナー探しの自由市場にはまだしも存在している。
 
「理想の異性がいないから妥協する」という言葉を聞くこともあるが、この視点からみた場合、単に妥協して異性を探すのと、今は未完成でも将来に期待できそうな異性を探すのでは、着眼点はおそらく違ってくる。この場合、これからもずっと理想から遠いままであろう異性と、将来は理想に近づいてくれそうな異性を見分ける鑑識眼がものすごく重要に思えてくる。
 
いわば、理想の異性の青田買いができる人こそが「市場に出ない物件」を市場に出る前に抑えてしまえるわけで、「『市場に出ない物件』とパートナーシップを築いている人の正体は青田買いに成功した人」と考えてみると、いろんなことが説明できる気がする。
 
 

理想の異性とは「組み立てキット」でもある

 
でも、この青田買いの視点だけではまだ足りない。
 
もうひとつ、理想の異性、ひいてはこれから理想の異性に近づいてくれそうな人は「組み立てキット」みたいなもので、途中からは自分で完成させなければならない、という視点ももっと知られていいように思う。
 
さきほど書いたように、完璧なダイヤモンドやルビーに相当する理想の異性は、「市場に出ない物件」であり、パートナー探しの自由市場で探しても見つからないと思っておかなければならない。そこで実際には「これから理想の異性に近づいてくれそうな人」をサーチし、まずはアプローチする格好になるが、宝石の原石が研磨しなければ輝かないのと同様、これから理想の異性に近づいてくれそうな異性にそうなってもらうためには、その人が育つように、その人が開花するように、その人が輝くように、エンパワメントしたりサポートしたりしなければならない。
 
ということはだ、これから理想の異性になりそうな人と首尾よく巡り合ったとしても、ほったらかしにしておいたらその人は理想の異性までたどり着かない、ということでもある。それどころか、自分自身の応対が最悪だったりしたら、潜在力豊かな異性のポテンシャルを奪ったり、曇らせたりしてしまうかもしれない。
 
宝石の原石のような異性を曇らせてしまうのか、それとも輝かせるのか──こういう風に考えていくと、理想の異性とは、ある程度までは異性自身の能力や素養の産物ではあっても、ある程度からは自分自身の能力や素養の産物なのだと思う。つまり、異性をより理想的な異性へと育てたり高めたり手伝ったりする能力が高ければ、パートナーとなった異性はより理想に近づくし、そのような能力が低ければパートナーとなった異性はより理想から遠ざかる。
 
異性をより理想的な異性へと育てたり高めたり手伝ったりする能力は、いろいろな要素によって上下する。職業的な事情、経済的な事情、相性上の理由、等々によって、異性を育てたり高めたり手伝ったりする能力は上下動する。年齢や経験によっても変わる。たとえば一般に中高生ぐらいのパートナー同士の場合、経験の不足によってそうした能力が双方に足りないことが多い。またたとえば、大学が別々になった・ライフスタイルや価値観がもともと大きく異なっている、等々によっても異性を育てたり高めたり手伝ったりする能力は低下するだろう。
 
そして一部の男女は甲斐甲斐しく世話を焼きすぎることで理想的な異性を育てるよりもだめにしてしまう。「手間さえかければ良い」「情熱を注ぎこみさえすれば良い」というほど単純ではないのが、この話の難しいところだ。そのうえケースバイケースな部分もあるし、健康も含めたコンディションによって左右される部分もあるかもしれない。
 
そのように多岐にわたる要素を視野に入れたうえで(または直感的にそれを察知したうえで)、異性を輝かせるベターなアプローチを打てる人は、だから理想の異性に手が届きやすい人だと言える。逆に、どんな異性と巡り会ってもそれができない人は、理想の異性から遠い人だと言える。
 
ちょっとかしこまった言い方をするなら、「理想の異性とは、育成や手伝いをする人によって支えられている、ひとつの現象である」と言い換えられるかもしれない。既にパートナーのいる理想の異性は、きっとそのパートナーによって支えらえてそのように出来上がっている一面がきっとあるのだ。
 
 

努力の勘所を間違えてはいけない

  
であるから、理想の異性、またはそれに近い異性とパートナー関係になりたい人は、努力すべき勘所を勘違いしてはいけないのだと思う。
 
まず、理想の異性そのもの、いわば完璧なダイヤモンドやルビーのごとき異性をサーチしてアプローチしようとするのは不可能に近いから、そういう努力はしてもしようがない。多くの場合、サーチすべきはこれから理想の異性になりそうな人・これから理想に近づいてくれそうな人のほうだ。
 
もうひとつ、理想の異性がこれからできあがっていくかどうかは、自分自身がどれだけ異性を輝かせるための適切なアプローチを打てるかにかかっている。異性を育てたり高めたり手伝ったりできるほど、異性は理想に近づいてくれるだろう。逆に、そうしたアプローチができないほど、異性は理想から遠ざかっていくだろう。だから「できるだけ理想に近づいてくれそうな異性」をサーチすることにばかり執心してもしようがなくて、「そのような異性を少しでも理想へと近づけていけるかどうか」のエンパワメントやサポートの能力も高めたほうがいいんだと思う。
 
ここからもう一歩メタな視点をとるなら、異性の理想像の一端として、そうしたエンパワメントやサポートの能力の多寡が含まれているかどうかは、パートナーシップの成立与件として重要かもしれない。すばらしい異性とは・理想的な異性とは……と考えていった時、エンパワメントやサポートの能力が高い異性って、プライオリティ高そうじゃないですか。そういう男女同士が結びつけば、お互いにお互いを助け合い、磨きあい、高め合っていけるだろう。自分自身と異性にそういったエンパワメントやサポートの能力が潜在しているのか、潜在しているとして開花させていけるのかは、本当はとても大事なことのはずだ。だけどパートナーシップについてインターネット上でささやいている人たちが、自他のそういう部分に着眼し、大事にしている話を聞く機会はあまりない。
 
それもわからなくもない。エンパワメントやサポートのうまさを定義するのが難しいからだ。エンパワメントやサポートの能力が高い異性とは、いつでもそばにいてくれる異性とイコールとは限らないし、いつでもやさしい異性とも限らないし、いつでもお金をくれる異性とも限らない。そしてエンパワメントやサポートのしやすさ/しにくさは相性によっても左右される。だからこの話の奥まったところは非常に複雑で、一般論にまとめにくく、実地で読みを働かせるのも簡単ではない。
 
とはいえ、理想の異性の完成型だけを追い求めるよりは、まだしも見込みがあるように思える。「これから理想の異性に近づいていきそうな人」をサーチし、そういう異性にいかに輝いてもらい理想に近づいてもらうかに意識的なストラテジーのほうが現実的だと思うので、これを書いてみた。もちろん、これを読んだ誰もがうまくいくわけではないけれども、こういうことを考えたことがない人のヒントになったらいいなと思う。