ちょっと高齢者の健康についてしゃべりたくなったので、しゃべらせてください。
[B! 医療] 「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過" いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機の状態
2022年の10月頃、なとろむ先生*1が、いきなり容体が悪化する高齢者の話をなさっていた。誤嚥性肺炎や心不全といったかたちで心臓・肺・腎臓の機能が一気に悪化する。でも、それは本当の意味で急激に悪化したのでなく、もともとエイジングによってかなり弱くなっていたのだ。ちゃんと機能を保つギリギリの低空飛行をしていたものが、そのギリギリが保てなくなってホメオスタシスを維持できなくなった高齢者のケースは、医療に携わる者なら誰でも出会ったことのあると思う。
だから高血圧や肺気腫を放置していても元気に振舞っている高齢者も、案外、そのホメオスタシスは余裕綽々で保たれているわけでなく、ギリギリの低空飛行をしている……のかもしれない。
精神医療に携わっていると、これの脳バージョンをしばしば見かける。心臓・肺・腎臓などと同様、脳の機能だってギリギリのところでホメオスタシスが保たれている場合がある。そのギリギリのところで保たれていた機能が、ある日、ちょっとした負荷(身体の病気の場合もあれば、ライフイベントによるストレスや過労の重なりの場合もあり得る)によって一線を超え、これまでの機能を保てなくなってしまう。見慣れていない人には、これが「一気に認知症になったかのように」みえる。
【架空のケース】80代前半男性(モンタージュ症例)
脳の機能もギリギリのところでホメオスタシスを保っている例として、架空のケースを提示してみたい。
この80代前半の男性は、開業医として現役の先生だった。
学会や研究会にも出席し、仕事の評判も良く、生来健康そうにみえたが、風邪をひいて3日寝込んだ後から失禁をしはじめるようになり、それがショックで落ち込んだ。やがて自分の勤め先の医院までの道筋を忘れるようになったため総合病院で検査を受けることになった。頭部MRIの断層写真では年齢相応の変化しかみられず、海馬の体積も縮小している様子ではなかったが、認知症のスクリーニング検査では軽度の認知症というスコアが出た。認知機能の低下にくわえて抑うつを合併しているとみられ、精神科病院に紹介された。
このケースなどはかくしゃくとした高齢者の代表例で、いまどきは珍しくもない人だ。とはいえ、やはり高齢は高齢。認知機能のホメオスタシスもギリギリのところで保たれているなら、心身が悪化するイベントが重なればそれが維持できなくなることは十分にあり得る。心臓・肺・腎臓が悪くなればNATOROM先生のところのようになるかもだし、脳の機能がギリギリをオーバーすればこの開業医の先生のようになる。ちなみに脳の機能といった時、それは記憶の問題だけでない。感情や情緒の問題が先行したり併存したりするのも高齢者のケースにはありがちだ。
この先生はめったにひかない風邪をひいて寝込んだうえ、失禁が大きなショックとなったことも手伝って「唐突にみえてならない」認知機能の低下を来してしまった。こうした「唐突にみえてならない」認知機能の低下のトリガーになるのは、もちろん風邪やコロナウイルスや心理的なショックだけでなく、たとえば間違えていつもの薬を飲んでしまったせいであることもある。若い人には影響の少ない飲み間違いでも、心身の機能が低空飛行でギリギリのところでホメオスタシスを保っている人にはそれが決定的な一撃になってしまうこともある。だからこそ高齢者の薬の管理はひときわ注意が必要……なのだが、まさに高齢者だからその内服薬の管理が難しいことも多い。
一線を超えるか超えないかなら、元にもどせばいい……こともある
こうしてギリギリのホメオスタシスが崩れてしまった高齢者はもう元には戻らないだろうか。
認知機能の低下に関しては、案外、持ち直してくれる患者さんも多い。
たとえば睡眠薬などを飲み間違え続けて徘徊や記憶障害を起こしてしまった患者さんの場合、うまく薬の量を再調整すればすっかり元の認知機能に戻ってくれることが多い。飲み間違えで徘徊や記憶障害が起こるほどなら、もちろん今までの睡眠薬をそのまま飲み続けるのはリスクが大きいし、こうした患者さんは睡眠薬の用量が若い頃からそのままだったりすることも多いので、できるだけ認知機能の負担にならないような再調整が必須だ。
あるいは、ストレスや抑うつが改善すれば認知機能が回復することもある。高齢者におけるうつ病と認知症の境目はあいまいで、ストレスの元から遠ざかり、抑うつが回復すると認知機能も回復するケースは割と見かける。高齢者のうつ病については、もともと仮性認知症(仮性痴呆)という言葉があり、本来うつ病として治療すべきものを認知症と間違えてしまう、そういうまぎらわしいうつ病があると昔は習ったものだった。が、実際の高齢のケースはもっとグダグダというか、両方が混在している病態がしばしばみられるので、仮性認知症という言葉より、両方の境界がまぎらわしいさまをご本人とご家族に説明することのほうが多い。
こうした事情があるので、くだんの先生のような事例の場合、ホメオスタシスを壊してしまった一撃から立ち直ると認知機能がかなりのところまで・ときにはほとんど完全に回復することがある。そういう復帰を果たした場合、本人や家族から名医だと勘違いされることがあるが、実際はそうではない。その人のホメオスタシスがたまたま素早く回復してくれたから復帰できたに過ぎない。または、その人のホメオスタシスを壊してしまった病態が比較的簡単に・かつ素早く回復するものだったからに過ぎない。
そして残念ながら、すべての高齢者がそのように回復するわけではない。
認知機能の低下が長期化すれば、回復の度合いは低下するし身体的なトラブルを合併してしまう可能性も高まる。抑うつのようなメンタルヘルスの問題にしても、長引けばベッドに臥している時間が長くなり、身体機能も認知機能もどんどん低下していく。二次的に骨折や誤嚥性肺炎を合併して衰弱に拍車がかかれば、一週間前には元気にみえたはずの高齢者がたちまち不可逆な認知症に至ってしまうことも珍しくない。特に90代や100代の人の場合、あっという間に死の転帰を迎えることもある。
高齢者の健康状態がホメオスタシスの低空飛行によってギリギリ成り立っている以上、その僅かな一線を超えてしまったものを元に戻せるかどうかは治療してみなければわからないのが現状だ。してみれば、80代や90代の高齢者が元気に活動し続けているのは、本当は儚いホメオスタシスのうえに成り立っていることで、どれほど認知機能が万全にみえても明日も知れない命かもしれないと(特に医療者は)肝に銘じておかなければならないのだと思う。
高齢者の健康についてちょっとしゃべりたくなったので、当科的にしばしば見かけるタイプの、ホメオスタシスがギリギリのところで保たれている高齢者について時々見かけるケースについてしゃべってみました。ご参考までに。
*1:はてなブログではNATROM先生として知られている