男は筋トレすればいいけど、「なめられない女」になるのは難易度が高すぎる | Books&Apps
上掲リンク先の"男は筋トレすればいいけど、「なめられない女」になるのは難易度が高すぎる"という記事は賛否両論だったようだ。読んでみれば、否定的な意見が寄せられるのもなんとなく察せられるところではある。
ところで、舐められる/舐められないはどういった要素によって決まるのか。
舐められる確率を上下させる要素は、見た目や外見以外にもいろいろあると私なら思う。
手短に書くと、舐められる確率を上下させる要素として
1.見た目・外見 (顔面の形態、服装、アクセサリやガジェット、体格など)
2.動作・挙動 (歩き方・姿勢・表情・目線の動き)
3.認知 (周囲の人間の動きをどれだけ察知・哨戒しているか)
を挙げておきたい*1。筋トレや脱オタクファッションは、主に1.に働きかけるものだが、人間は1.だけで相手を値踏みすることはなく、1.2.3.を総合的にみて値踏みするので2.3.が筋トレや脱オタクファッションの結果に釣り合っていなければあまり効果が無いのではないかと思う。3.の認知は2.の動作に近いが、たぶん少し違う。目の前にいる人間が何を見ていて、何を見ていないのかを人間はかなり意識しあい、スキャンしあっている。駅のプラットホームですれ違うぐらいの時間ですら、そうした相互スキャンは素早く働きあう。
余談だが、たとえば風邪をひいている時には2.3.が弱くなるのでいつもよりも舐められやすくなる。そういう意味でも風邪をひいている時はむやみに出歩かないほうがいい。実際に相手が舐めてかかるかどうかはさておき、いつもより弱っている人間は弱っている人間としてスキャンされる。少なくとも、そういうスキャニングを素早くこなす人間はぜんぜん珍しい存在ではない。
……きりがないので、この話の続きは後日にしよう。
それよりも、筋トレと脱オタクファッションについてだ。
筋トレを行う理由は人によってさまざまなだろうが、ネットで語られる筋トレの理由のひとつとして、人に舐められないためとか、自信を身に付けるとか、そういったものがある。コミュニケーションを円滑にするための外見を手に入れることとコミュニケーションの主体としての自分自身を強く持つことの二点を主な目的とするような、そういう筋トレだ。そういう筋トレを勧める人は若い世代から中年世代まで、わりと幅広い。
冒頭リンク先の記事を読んでいるうちに、私はこうした筋トレが脱オタクファッション(00年代前半に流行した、オタクの社会適応を向上させるためにオタクっぽい外見をやめて身なりを整えようというムーブメント)になんだか似てるなと感じた。今までそう感じたことは無かったが、ひとつの記事が私のなかで両者をカチーンと結び付けちゃったのだ。
こんな感じの書籍が並んだ時期をおぼえていませんか。
脱オタクファッションも、その目的はオタクっぽい外見で他人に舐められないこと、それから自信を身に付けることだった。言い換えれば、コミュニケーションを円滑にするための外見を手に入れることとコミュニケーションの主体としての自分自身を強く持つことでもあった。
脱オタクファッションの頃は、しばしば「服を買いに行くための服がない」と言われたものである。舐められないようにするための服を買いに行きたいのに、服を買う時に店員に舐められないようにするための「鎧」がないから最初の一歩が踏み出せない、そのジレンマを言い表したフレーズである。そう、脱オタクファッションを語る人々はしばしば「鎧」という言葉を使った。自分自身が舐められないようにするための「鎧」としてのオシャレな服。あるいは自分自身に自信を与えてくれる装備としてのオシャレな服。
筋トレも、少なくともその心理-社会的な目論見という点ではこれに似ている──筋トレをして体格が変われば、きっと舐められなくなるに違いない。また、筋トレをすることで自信を涵養し、コミュニケーションの主体としての自分を強く持てる。服を変えるか筋肉を変えるかという違いはあるにせよ、目論見はよく似ている。
また、心理-社会的な効果を当て込むあまり、そこに依存してしまったりやりすぎたりする人がいるのもどこか似ている。手段が目的になってしまい、筋トレオタク、ファッションオタクになってしまう人が現れるのも似ている。そういったことが起こってしまうのは、服を買い替えるという行為や筋肉を鍛えるという行為が、コミュニケーション能力の改善や自信の涵養に役立つだけでなく、自信の無さの糊塗に役立ってしまうからかもしれない。自信の無さの糊塗と自信の涵養には、紙一重のところがある。その紙一重を綱渡りしなければならない点でも両者は共通しているように、みえる。
脱オタクファッションという00年代のムーブメントは、若者がパルコや伊勢丹で服を買うという習慣がまだ残っていて、ユニクロが(現在に比べて)あてにされていない状況下で起こったものだった。2020年にはそのような習慣はすっかり衰退し、ユニクロの服がむしろ高いと評されることすらある。00年代に若者だったマスボリュームが丸ごと中年になり、そのうえ日本が貧しくなったのだから、服という「鎧」ではなく筋肉という「鎧」にアプローチするのはわかる気がする。中年男性が服にお金をかけようとすると際限のないことになってしまうのに比べれば、筋トレはまだしもローコストにみえる。そのうえ中年男性の関心領域となりがちな健康にもプラスに働く。
繰り返すが、これは、ネットで語られる筋トレの理由のひとつについて感想を述べたものである。すべての筋トレがこのような理由に基づいているわけではない。しかしこのような理由に基づく筋トレについては脱オタクファッションに似ているといえるし、その落とし穴も似ているのではないか思う。
*1:もし、会話を行っている場面なら4.として会話内容も要素のひとつとなる