シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

歯止めのかからないゲームシステムや人を放置できる局面ではないと思う

 
『「みんなが課金しないところに課金してしまうプレイヤー」問題』が酷い - 空白雑記
 
 言及ありがとうございます。ブログ記事をとおして問題点を指摘し、意見を述べてくださるのは嬉しいことです。私が元記事を書いて、上掲リンク先のブログ記事があって、そこにまた返信記事を連ねる──そういう文章の応酬が第三者にも閲覧できるかたちで残されるのが、ブログにおける議論というものではないかと、私は考えています。
 
 まず、パズドラの最近の動向については、ほかの方からもご指摘があったように、私の知識不足はそのとおりです。ここは突っ込む人はいるだろうなと思いつつ、文章の大意として構わないだろうと考えパズドラに言及しました。惨たらしい課金に最近遭遇し、考えさせられたゲームがパズドラだったというのもあります。
 
 この点に関する反駁に身構えてもいたのですが「気持ち良くガチャが回せる」(概要)といった内容だったので、これをどう受け取るべきか当惑している部分はあります。とはいえパズドラが狙い撃ち型の課金ブラックホールが顕著ではなく、FGOのようにたくさんのプレイヤーにガチャ欲求を惹起する作品だとしたら、確かに、私の仮定でパズドラを挙げたのは拙かったと反省します。
 
 ご論の後半には、FGOの★5サーヴァントの宝具5について記されています。私は、高額を投じて宝具5にする人たちが下手くそとは思っていません。あれはファン表現の一種*1だったり、衝動だったり、フレンドシステムに関連した承認欲求の発露だったり、さまざまなものを反映した現象だ思っています。
 
 ただ、お金持ちのプレイヤーがポケットマネーの一部でガチャを回して宝具5を実践するのと、金銭的猶予の少ない人が「欲しい」という気持ちに引きずられるままそれを実践するのでは、同じ宝具5でもその意味合いは違います。本来ならきっちり金額制限を守るべき未成年までもが「欲しい」に負け、歯止めがきかなくなって親のクレカを使ってしまうような事例もまた違うでしょう。
 
 ランキング制度とその周辺の課金フィーチャーについても同様で、資産家のプレイヤーがポケットマネーを用いてランカーになれるシステムが、歯止めのきかない人が廃課金に陥り生活を破綻させやすいシステムでもあるとしたら、あるいは判断力に制約のある人や未成年にまで悪影響を及ぼすとしたら、そんな遊び方ができてしまうシステム、そういうプレイスタイルが許容される状況じたいも、ゲーム規制やゲーム障害周辺の議論の対象になってしまうのではないでしょうか。
 
 「幅広いプレイスタイルが守られること」自体は私も望ましいと思っています。ですがまさにその「幅広いプレイスタイル」が可能なシステムによって無視できない数のプレイヤーの生活や健康に悪影響を及ぼしていると判明してきた時、そのようなゲームデザインはいつまで・どこまで許されるものなのか?
 
 言い換えると、そのようなゲームデザインがまかり通り、そのようなゲームデザインが雛型たりえるようなゲームシーンを、ゲームシーンの外側の人々、たとえば消費者庁や厚労省や政治家といった制度や行政にかかわる人々が黙って眺めているものでしょうか。
 
 本日2月6日、厚労省はゲーム依存症対策関係者連絡会議を開催します。以前からゲーム障害・ゲーム依存関連については議論が進められてきましたが、ICD-11にゲーム障害が記載されて以降、関係機関の動きがとみに活発になっていると私は感じています。ICD-11に記載された診断基準をみる限り、ゲーム障害を適正に診断すれば臨床的に価値のある枠組みになるだろうと期待している一方、診断が一種のブームとなって過剰診断を招いたり、ゲームに関する世論を紛糾させたりする事態は回避していただきたい、とも願っています。
 
 ゲーム障害という診断基準が日本でも用いられるとしたら、長期間にわたって社会生活に悪影響を及ぼし、歯止めやコントロールがきかなくなっている事例をピックアップできるような運用と研究をお願いしたい、と私は望んでいます。ですが医療の側が出張るだけでは片手落ちで、そのような歯止めやコントロールがきかなくなっている事例が発生しにくいゲームデザインになるよう、業界の方は工夫する責を負っていると私は思います。
 
 kuuhaku2さんは、

 金の使い方は自由だ。高級時計に1000万出すことも、バーキンと呼ばれるカバンに200万使うことも、宝具を5にすることも、俺には等しくバカに思えるし、それを咎めるつもりはない。バカだなあと言うこともあるかもしれないが、「それを売ってるやつは悪徳企業」とは絶対に言わない。買いたいやつが買ってる以上詐欺ではないからだ。

 とおっしゃいます。しかし私は、そのような取引が買い手の歯止めやコントロールが難しい状態下で行われているとしたら、とりわけ行動経済学的手法を組み合わせて歯止めやコントロールを困難にしているゲームデザインシステムのもとで行われているとしたら、「現行制度ではセーフ」だとしても「褒められたものではない」と思わずにいられません。私がFGOに一番やられていた時期には、ガチャを回している時にむしろガチャに回されていると感じていたので、自由意志の建前を守りながらあの手この手でプレイヤーを動機づける現行のゲームデザインの威力には警戒の目を向けています。
 
 それと健康への悪影響が懸念される状況・状態も、詐欺か否かでは論じきれません。自由に金を使って良いとはいえ、健康に悪影響の出るゲームユースを長期間続けている事例がそれなり発生しているなら、健康を司る立場の人々が着眼し、対応を図るのは自然な流れです。たとえば、FGOのギルガメッシュやエレシュキガルの宝具を5にすること、それ自体にはなんの問題もありませんが、宝具を5にするプロセス(や、そのほかの様々なフィーチャー)が歯止めやコントロールを困難にして、その結果としてプレイヤーの行動や振る舞い、社会生活や社会適応に悪影響が出ている事例が次々に明るみになるようなら、ゲーム障害という医療のフレームワークにたいする社会的要請は高まっていくことでしょう。
 
 私は一人のゲーム愛好家として、ときにはプレイヤーは一心に自分の好きなゲームに打ち込む瞬間があるはずだし、あって良いとも思っています。とはいえ、そのような無我夢中のゲームライフの最中でさえ、社会生活や社会適応をだめにしてしまうところまで行ってしまってはいけないし、歯止めやコントロールが失われれば結局、愛好家としての幸福は長く続かず、ゲーム体験を豊かにすることも難しくなりましょう。
 
 歯止めやコントロールがきかないゲームユースが未成年者も含めて論点となり、厚労省が本腰を入れ始めている局面において、ゲームシステムもゲームスタイルも自由という一言で押し通すのは難しいのでは、と私は考えています。もちろん、そんなことはないと考える人もいらっしゃるでしょうし、それもひとつの見解です。いずれにせよ、これからディスカッションの季節が始まります。
 
 この問題にかんする私の問題意識や懸念をもう一度文章化でき、良かったです。 
 重ねて御礼申し上げるとともに、豊かなゲームカルチャーが守られ、ゲーム障害という新しいフレームワークがうまく機能するような未来を祈念し、本文の結びといたします。
 
 

*1:私はオタク界隈の"お布施"という風習が好きでしたし、そういった風習が宝具5に込められていることもあるとも思っています。他方、そういう"お布施"という風習をハックしてお金をもうける仕組みもあるだろうとも思っています。とりわけ据え置き機時代の"お布施"に比べ、色々と洗練されているご時世ですから。