若者の間に「エセオタク」が激増しているワケ | さとり世代は日本を救うか? | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
エセオタク、ねぇ……。
博報堂の原田曜平さんの耳目を騒がせるぐらいには、エセっぽい自称オタクが増えているのか……と改めて思った。
しかし、なんだか了見の狭い話ではある。
リンク先を読む限り、オタクを自称するからには「詳しくなければならない」「ディープでなければならない」といった暗黙知があるかのようだ。はてなブックマーク上のコメントを眺めても、そのような意見がみられる。じゃああれか、詳しくない人・ディープじゃない人・濃くない人はオタクを名乗るな、そいつはエセオタクかオタクモドキだ、と言いたいわけだろうか。
そういう気持ちもわからなくはない。見知ったアニメ数百本、万巻のライトノベルを積み上げ、ゲーム歴数十年……といったお歴々からみれば、促成栽培のごとき自称オタクなど、いかにも胡散臭い存在に違いない。
けれども、そうやってカジュアルにオタクを名乗るような人々が流入してきたからこそ、オタク方面のサブカルチャーはここまで繁盛してきたのではなかったか。
- 溶けてなくなったも同然な“オタク”という語彙
私も、先日、ある集まりで、
「好きなアニメは何ですか?」
「『ワンピース』と『フェアリーテイル』です。」
「へぇ、オタクだねぇ」
「えへへ」
という会話を間近に聞いてビックリ仰天したことがあった。
ちょっとアニメを齧っている人なら、「好きなアニメが『ワンピース』と『フェアリーテイル』」からオタクという言葉を想像するまい。が、こういう会話を目の当りにする程度には、オタクって言葉は薄まったのだな……と改めて驚いた。
少数派のサブカルチャーだったオタクが、ポピュラーなサブカルチャーとして裾野を広げ、と同時に、オタクとしてのスタイルやアイデンティティの輪郭が融解した結果がこれなのだと思う。
90年代の頃、私は頻繁に「濃いオタク」「薄いオタク」という言葉を耳にした。濃いオタクがちゃんとしたオタクで、薄いオタクはダメなオタク、というやつである。そういった意識がある程度までコンセンサスになっていた時代であり、その裏返しとして、「一般人」という言葉がオタク同士の会話に頻繁に登場していたと記憶している。
それが、00年代の中盤~後半にかけて一気にライト化・カジュアル化していった。
[関連]:「今、そこにあるオタクの危機」 第1回
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かつて、オタク的な表象やコンテンツとみなされていた文物が、コンビニやショッピングモールに陳列されるようになった――と同時に、オタクという人種、オタクというライフスタイル、オタクというアイデンティティもまた、ライト化・カジュアル化し、サブカルチャーとしてのまとまりも希釈されていった。
リンク先で原田曜平さんは、
少し前まで「オタク」と言えば、少しマイナスイメージでくくられる存在だった。しかし現在では、自分がオタクであることを主張する芸能人やモデルなどの存在が、社会の「オタク」へのイメージを大きく変えた。今や「オタク」は立派な個性のひとつなのだ。
と書いているが、後半は違うと思う。
もはや、オタクという言葉に個性やアイデンティティを仮託することは難しい。それこそ、エセオタクなどと揶揄されるようなライト層においてさえそうだ。今はもう、00年代ではないのだから。
だってそうだろう?
これだけたくさんの人がライトノベル*1を読み、深夜アニメを眺め、通勤電車でゲームをいじっている状況のなかで、「私はオタクです」と言ってみたところで、いったい何程の個性が得られると言うのか? 『ワンピース』や『ドラゴンクエスト』や『ソードアートオンライン』で獲得できる個性とは、コンビニエンスストアに並んでいるような没個性以外の何者でもない。
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拙著に詳しく書いたが、「オタク的なコンテンツを消費しているから」「オタクを自称しているから」個性やアイデンティティが得られる時代は終わった。もし、まっとうな意味でオタクとしての個性やアイデンティティを獲得したいなら、融解してしまったオタクという言葉にもたれかかるのではなく、求道的に趣味を究めるなり、生涯の趣味として愛好するなり、実践を積み重ねるしかないだろう、と思う。
状況がグルッと一周して、原義の「おたく」や「オタク」に近いライフスタイルでなければオタク-アイデンティティが手に入らない時代になったと言えるかもしれない。
- だとしても、エセオタクとか言うのは違うんじゃないか
だとしても、私はエセオタクだとか、オタクモドキだとかいった言葉は、あまり流行って欲しく無いな、と思う。
なぜなら、趣味の道に入っていく人は皆、最初は一年生で、ベテランや求道者からみればエセだったりモドキだったりヒヨッコだったりするからだ。経験豊かなオタク達が、ハシャギ気味にオタクを名乗っているビギナーを難詰するのは、ちょっとまずい気がするし、それが空気を読まないものであれば、それこそ「キモオタの所業」にならざるを得ない。まあ、そうしたほうが選民意識をくすぐるには好都合なのはわかるけれども、カジュアルな入口をバッシングしたり小馬鹿にしたりするジャンルの未来は暗い。
「若いの叱るな、来た道だ。年寄り笑うな、行く道だ。」
私は、なるべくなら、カジュアルなビギナーには暖かい目を向けたいと思う。そしてライトオタクやオタクビギナーといった言葉を使うことはあっても、エセオタク、という表現はできるだけ使わずに済ませたいと思う。なぜなら、かつて「薄いオタ」であり、「ぬるオタ」であった頃の私は、先輩達からそのように扱ってもらいたかったからだ。薄いオタクを嘲笑するような振る舞いを、私はしたくない。
*1:や、ライトノベル近縁の読み物