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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化

オタク趣味

 
 
誕生でも発見でもなく、越境が始まったんだと思う - 未来私考
「脱オタ」が無意味になる時代は来るか? - Something Orange
 
 「ライトオタク」が、話題になっているらしい。
 
 “筋金入りのオタク”ではない人達も『東方』や『アニソン』などを楽しむようになり、オタク文化がクラブミュージックやファッションのような他文化と交流するようになってきている、という現状認識は、じつにその通りと思う。秋葉原やコミケなどの敷居が低くなっているのに加え、ニコニコ動画のような、気軽につながりやすい場が整備されたことによって、こうした動きが加速された、というのもなるほどと思う。そして「ライトオタク」に該当する人達が、“筋金入りのオタク”とは違った振る舞いをみせるだろう、というのも予想できる。
 
 では、これから「ライトオタク」がもっと流入してきたらどうなるのか?
 
 オタク文化圏の外側では、おそらく、クラブミュージックとの融合や、テレビドラマへの影響など、さまざまな変化があるだろうし、複数の文化圏の長所の交じり合った、興味深い作品が登場してくるに違いない。ヘレニズム文化やジャポニズムを例示するまでもなく、複数の文化が交じり合い、ときに競合しあうような文化シーンからは、きっと面白いものが生まれてくるだろうし、確かにそれは歓迎すべきことだろう。
 
 いっぽう、オタク文化圏の内側では何が起こるのか?例えばライトノベル・ギャルゲー・深夜アニメといった領域は、この先どんな風に変化していくのか?「ライトオタク」の割合が増大し、オタクコンテンツが他文化と交流・融合していくなかで、オタク文化の本家本元というべき領域で何が起こり得るのか?その辺の未来予想を、いくつか提示してみようと思う。
 
 
 

オタク文化圏が、他の文化圏と相対比較される日

 
 オタク文化の内側しか知らない消費者が多数を占めていた状況から、オタク文化以外にも首を突っ込んでいる消費者が多数派を占める状況に変化してくれば、“他の文化と比べてオタク文化ってどうよ”ということが今以上に語られるのが自然だろう。オタク文化圏は、他の文化圏との相対比較に曝されることになる。ライトノベル、ロールプレイングゲーム、深夜アニメなどの作品が、テレビドラマ、古典芸術、クラブミュージックなどの作品と、直接比較されるようになる。
 
 従来、アニメコンテンツやゲームコンテンツとしての評価は、狭い領域の内側に籠もりきったオタク自身によって語られることが殆どだった。だから、それらのコンテンツの評価は「オタク文化圏のなかでは、こう」というものではあっても、外部の人間に説得力を提示できることは稀だった。例えば「『Fate』は文学、『CLANNAD』は人生」などという文句が流行ったのも、オタク文化圏の外側をろくに知らない(そして知ろうともしない)消費者が大量にいればこそ、であった点は見逃すべきではない。
 
 しかし、これからは、そうはいくまい。アニメやエロゲー以外の領域にも知見を持った人間が、『Fate』が文学と呼ぶに値するか、『CLANNAD』が人生に喩えるに相応しいかを、相対評価する時代になってくるのではないだろうか。そのなかで、相対評価という荒波に揉まれながらも優れた評価を勝ち取る作品もあるだろうし、「なんだ、オタが吹き上がってただけだったんだね」という評価に甘んじる作品も出てくることもあるだろう。
 
 

“脱臭”されるオタク文化

 
 他の文化圏との相対評価の促進や、ライトオタクの増大が進めば、「口当たりの良い」、つまり、キャッチーなコンテンツに人気が集まると同時に、キャッチーではない作品・ライトオタクにはついていけないような作品は、メインストリームから外れていくと予想される。『ハルヒ』『東方』『ガンダム』のような作品が人気を博するのとは対照的に、エロ度の高い幼女コンテンツや、コンプレックスの塊のような男性主人公が美少女ハーレムに耽溺するようなコンテンツは、ライトオタク達への受けの悪さや他文化圏との相対比較者への受けの悪さから、敬遠されるようになるだろう。ライトな消費者にはドン引きされそうな“癖のあるコンテンツ”は、市場淘汰のもと、少なくなってくるのではないだろうか。
 
 つまり、オタクコンテンツの“脱臭”である。
 
 ライトユーザーがこれからの多数派になっていく限り、ライトユーザー達がキモがるような作品・ライトユーザー自身がキモがられるような作品は、隅っこのほうに追いやられずにいられない。例えば幼女や処女に拘泥するようなオタク向けコンテンツなどは、この“脱臭”プロセスを通して、多数派から少数派へ、そして天然記念物へと変貌していくのではないか。
 
 

「屈託だらけのオタク」の楽園が失われる

 
 また、ライトオタクの増大と、そんなライトオタクが安心して楽しめるコンテンツの増加によって、古参のオタク達の居場所が失われていく可能性がある。
 
 1990年代〜2000年代初頭のオタク文化圏というのは、良くも悪くも閉鎖的な、アニメやゲームに耽溺しまくって外の世界に視野を向ける余裕の少ない男性達の“安全地帯”としても機能していた*1。あるいは、数少ないアイデンティティの求め先として機能することも多かった。オタクというアイデンティティを引き受けている限りは、自分自身のコミュニケーション能力やコンプレックスを直視することなく、美少女コンテンツに耽溺しながら仲間と吹き上がっていられる----オタク界隈には、こうした「屈託だらけのオタク」の楽園としての機能もあったと思う。
 
 しかし、ライトオタクが増えてくれば、そうはいかない。ライトな消費者が増えればその分だけ、コミュニケーションや異性にまつわるコンプレックスを抱えたオタクの割合は少なくなってくる。また、駆け込み寺としてオタク界隈を選ばざるを得なかったような、苦悩する人達も少数派になってくる。そうなってくれば、こちらにも書いたように、もはやオタク界隈はコミュニケーション弱者の為の駆け込み寺としては機能しなくなる。オタク系のオフ会ならコミュニケーションの巧拙は問われない、なんてことは無くなって、「キモいやつはキモい」「痛いやつは痛い」ということが、くっきりと認識され、許容されなくなっていくだろう。「コミュニケーション下手なのはお互い様だから」なんて寛容が、ライトオタクが多数派を占めるような状況下でも通用するとは思えない。
 
 

「屈託だらけのオタク」向けの作品が、相対的に減っていく

 
 また、従来のオタク界隈では、コミュニケーションへの劣等感や女性コンプレックスを持っているオタク達が多数集まっているおかげで、オタク自身の願望やコンプレックスにフィットした作品が常に需給されるという構図が成立していた。この構図が、オタク界隈で注目を集める作品・ヒットする作品の方向性を決定づけ、市場淘汰に大きな影響を与えていたのはほぼ間違いない。もし、「屈託だらけのオタク」が多数派を占めているというバックボーンが無ければ、名作の誉れ高い『雫』『CROSS†CHANNEL』といった作品にスポットライトは当たりにくかっただろうし、『ローゼンメイデン』『灼眼のシャナ』なども、こんなに売れなかったに違いない。
 
 ところが、ライトオタクが増えてくれば、ライトオタクの嗜好にあわせた作品が増える分、「屈託だらけのオタクにぴったりの作品」の割合は相対的に減っていく。そうなってくると「自分の願望やコンプレックスに沿った作品かと思ったら、ライトオタク向けのコンテンツ内容だったからげんなり」、などといった現象が、増えてくるかもしれない*2。屈託だらけのオタクにとって、これはあまり良い話ではない。
 
 

楽園を追い出された中年オタク達が、難民化する

 
 以上のような変化に伴い、旧来からのオタク達----とりわけ、ライトオタク的な変化についていくことの出来ない、保守化した中年オタク達----は、オタク界隈から放り出され、文化的に難民化するのではないだろうか。
 
 

  • 古いオタクは、自分達の安住の地を失う。ライトオタクの流入によって、コミュニケーションの問題に直面させられるからだ。
  • 古いオタクは、自分達のコンテンツを失う。自分達の屈託にぴったりの作品が、主流から傍流へ、多数派から少数派になってくるからだ
  • 古いオタクは、アイデンティティをも喪失する。他の文化圏との相対比較に曝されたうえに、オタク界隈の周辺にオタク文化が拡散しすぎて境界が曖昧になってしまうからだ。

 
 これだけ条件が揃えば、文化的難民という喩えがぴったりではないか。
 
 
 
 近未来のオタク界隈は、多文化と交じり合い、ライトオタクの割合の増えた、“開かれた場”へと変貌していく。メジャーなカルチャーになっていくというのは、つまりそういうことなのだろうし、そうやって周囲の文化と溶け合って輪郭を失いながら、次世代の礎となっていく。それは、喜んだって良いことなのだろう。
 
 その一方で、日陰のダンゴムシのような人達の“よりどころ”としての機能は、オタク界隈からは失われていくし、オタクとしてのアイデンティティも拡散していく。今後、コミュニケーションが不得手だからオタクになったという人達や、屈託だらけの願望をオタク界隈で充たしていた人達には、“よりどころ”や“アイデンティティ”は次第に与えられなくなっていくのではないか。
 
 とはいえ、狭いジャンルの内側だけにしがみつき、外の文化から目を背けて生きてきた中年オタク難民に、新しい行き先を発見する力があるとは到底思えない。せいぜい、地盤沈下する一方の保守的なジャンルにしがみつきながら、新世代の作品を扱き下ろして憂さ晴らしする*3ぐらいが、関の山ではないだろうか。文化的に行き先を失って難民化していく人達に、鎮魂歌や手向けの花の一つも、あって良いのではないか。
 
 

新しい時代は、すぐそこまで来ている。

 
 新しい時代のなかで、興ってくるものもあれば、消えていくものもある。
 オタクの世界だって、たぶん例外ではない。
 
 生まれてくるものには、祝福を。
 失われていくものには、鎮魂を。
 
 

*1:男性達、と敢えて断っておいたのは、女性オタクの場合は、必ずしもオタク趣味だけにのめりこまず、社会適応とバランスを取る者が昔から多いからである。また、女性オタクが“カタギ”になっていく確率が非常に高いからである

*2:この観点から『かんなぎ非処女騒動』を眺めると、あの騒動もまた「屈託だらけのオタクの為の作品とみせかけて、実はライトオタク向けのコンテンツだったので失望しまくった」という流れに合致していることに気付く。

*3:「最近の若いモンは、オタクをわかっていない」みたく