あなたは「人から笑われない趣味」を持っていますか?/小説『アニソンの神様』感想 - デマこい!
リンク先のタイトルを読んで、かつて、オタクがサブカルチャーの三等人種のように位置づけられていた時代があったこと・高校生や大学生がアニメ趣味やゲーム趣味をおおっぴらに口にしにくい*1時代があったことを思い出した。
もちろん、最近の十代や二十代においてはそうではない。アニメやゲームはすっかり市民権を獲得し、「格好悪い奴のダサい趣味」から「格好いい奴がやっていてもおかしくない趣味」になった。90年代のオタクの精神を特徴づける、あの屈託や鬱屈とは無縁の、伸びやかなオタクライフを愉しんでいる若い人がたくさんいる。
ここ数年の間に、アニメ/ゲームは「隠しておかないと格好悪いアイテム」から「見せびらかして格好をつけるアイテム」へと変貌しつつある、というやつだ。
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年長世代の多くは、今でもオタクを気持ち悪がっている
さて、そういった変化は、インターネット上のオタク界隈をずっと観測している人や、若い同人ファンと面識のある人にはなじみ深いものだと思う。だから、インターネットの内側で言われる「アニメやゲームはクールな趣味になった」「オタク差別は過去のもの」的な言説は、ある面では正しい。
しかし、インターネットの外の、より年長の世代においてはどうだろうか。
私は、自分より年長世代の人達――具体的には、バブル世代〜団塊世代ぐらいの人達――が、アニメやゲームを快く思っていなかったり、オタク趣味を気味悪がっていたりする兆候を今でも見かける。具体例を挙げると、
・「あの根暗なやつ、どうせアニメとゲームばっかりやってるようなタイプでしょ」
・「(TVに映った初音ミクを指差しながら)あんなもののどこがいいんだ」
・「(オタクって)何を考えているのか、気味が悪いよね」
彼らとて、アニメやゲームを積極的に貶したがっているわけではない。けれどもTVにアニソンや初音ミクが映った瞬間、「アニメやゲームを大人が趣味としてやっていることへの違和感」「アニメファンやゲームファンに対する嫌悪感」が口からポロっと零れるのだ。おそらく、当人はほとんど無意識のうちに口にしているのだろう。
私は三十代のオタクだが、二十代の途中からはオタク以外の文化圏とのコミュニケーションを行うよう努めてきた。今では年上世代との“呑みニケーション”の類にもだいぶ慣れ、その手の席でもリラックスして愉しめることが多い。それでも、楽しく宴席を共有してきた人達の口から、「(オタクって)何を考えているのか、気味が悪いよね」と笑顔で同意を求められると、表面的には対応できても、一抹の寂しさは覚える。しかし、そういった情況というのは意外に多い。
おそらく私は、私より年長の、非オタクな人達から、同じような言葉をこれからも何遍も聴かされるのだろう。もちろん、今となっては上手にオタク趣味を開陳できなくもない。しかし、それはそれで別種の面倒事を呼び起こすかもしれないし、何より、年長者と知り合うたびにそれをやる面倒さに比べれば、黙っておいたほうがラクなので黙っている。
「隠れオタク」という処世術は、若い世代にとって、死語以外の何者でもないだろう。けれども年長の非オタクとのコミュニケーションに際しては、「隠れオタク」という処世術はまだ現役だと思う。
「おとながアニメやゲームを趣味にすること」にまつわる世代間格差
何を指摘したいのかというと、アニメやゲームの市民権獲得を認めている度合いには、世代間格差があるのではないか、ということだ。
80〜90年代生まれの人達においては、アニメやゲームを「格好悪い趣味」と思っている度合いはかなり低くなったし、カジュアルな認識が広まっていると思う。この世代においては、アニメやゲームは日陰者の趣味ではなく、日向者の趣味に近い。
ところが70年代前半生まれあたりの世代からは、そうでもなくなってくる。いわゆる「M君事件*2」絡みのメディア報道に疑問を感じることのない思春期を過ごし、そのままパパやママになっていったような人達の場合、アニメやゲームに対する趣味感覚が思春期で止まったままになっていることが多い。
もちろん彼らも大人になっているので、積極的にアニメファンやゲームファンの悪口を言おうとはしない。けれども、ふとした瞬間に「大の大人がアニメやゲームを愉しんでいることへの違和感」「オタクなら馬鹿にしてもOK」という、90年代で時計の針が止まった感覚を漏らす人が、まだまだ珍しくないように見受けられるのだ。ただし、これは田舎に私が住んでいるからそう思うだけで、首都圏などでは、もう少し軽いのかもしれないが。
さらに年上の世代になると、和田アキ子が『アッコにおまかせ!』のなかで初音ミクに示したジェスチャーを地で行くような、そういう反応を見かけるようになる*3。つまり「近頃の若い人達の趣味は理解できない」というやつだ。このような人達においては、「凶悪犯罪の犯人が女児向けアニメファンだった」的な報道は、さぞかし不安感とアテンションを煽るだろう。
こんな具合に、アニメ・ゲーム・オタクの市民権は、年長世代ほど認められていないように見える。それもそうだろう、四十代より年上の人達は、とうの昔に自分の価値観やライフスタイルが固まってしまっていて、その内面化した価値観やライフスタイルをわざわざ変更しようという動機も乏しいだろうから。今までアニメやゲームを子どもの遊びとみなしていた人達が、今更若い世代に迎合し、アニメやゲームを再評価する必要性なんて見当たらない。
インターネット上の、特に若い世代の動向だけを見ていると、アニメやゲーム、そしてオタクに対する差別的な目線が無くなってめでたしめでたし、という風に見える。それはそれで、時代の流れの一面ではある。だが、ひとたびインターネットを離れ、年長世代とコミュニケーションをしてみれば、旧態然とした「大人がアニメやゲームを愉しんでいるのはおかしい」「オタクは気持ち悪い」的なセンスが残存し、どこまでも広がっている。そのことは覚えておいたほうがいいだろう。
最近は少子化高齢化が進んでいるので、向こう数十年程度は、そうした年長者が世間の多数派を占めると推定される。ということは、「犯人はプリキュア愛好者でした」的な煽りで視聴者のアテンションを集めるような手法は、マスメディアにとってそれなり魅力的な手法であり続ける、ということでもある。