シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

大震災以後、オタクコンテンツは本当に激変するの?

 
 竹熊健太郎氏( @kentaro666 )の語る、3.11以後のオタク的な表現 - Togetterまとめ
 
 リンク先では、竹熊健太郎さんが興味深いことをツイートしている。主旨としては、3/11の大地震を機に、オタク界隈のコンテンツの表現が変化するのではないか、というものだった。以下に、一番重要そうなツイートを抜粋しておく。
 

3.11から先の世界はマニュアルのない世界だ。オタク的な表現は変質するしかない。なぜならオタクは豊かな日常を前提にしたライフスタイルだからだ。マンガもアニメも当然残るが、表現の質が変わるだろう。どう変わるかはまだわからないが、必ず変わる。それは不安であり楽しみでもある。

http://twitter.com/#!/kentaro666/status/58173115523530752

 
 これだけ広範囲の災害が起こり、社会不安を引き起こせば、コンテンツの表現に影響が起こるだろうという読みは、確かにそうだと思う。しかし、ライトノベルや深夜アニメといった、オタク界隈の中核的コンテンツ群に決定的な変化が起こるのかというと疑問に思えたので、自分なりに考えてまとめてみることにした。
 
 

オタクにとっての“日常”とはどんなものか

 
 竹熊さんは、「オタクは豊かな日常を前提としたライフスタイル」と表現している。これは、おたく第一世代*1の方の現状認知としてはしっくり来るものかもしれない。またそもそも世代を問わず、「現代のオタクライフ全般が充実した都市インフラを前提としている」という観点から見ても間違っていないと思う。
 
 おたく第一世代の場合、実際におたくをやる為には、相応の時間的・金銭的余裕が必要だった。あくまで現代と比べての話だが、SFであれ漫画であれマイコンであれ、それなりに時間・金銭・収納スペースを持っていなければおたくはやるのがしんどかった*2。さらにインターネットも無い時代、首都圏や大都市圏へのアクセシビリティは今よりずっと決定的で、ぶっちゃけ、「金銭的にも時間的にも恵まれている、都市部の坊ちゃん」でなければおたくをやるのはかなり困難だった。このような「おたくをやるための必要条件」をバックボーンとしている世代の人においては、「おたくは豊かな日常を前提としたライフスタイル」という表現は間違っていない。
 
 一方、後世のオタクになればなるほど、オタクをやるための時間・金銭・収納スペースが要らなくなってくる(情熱も要らなくなってきているかもしれない)。ハードディスク・インターネット・ニコニコ動画などの登場は、時間の無い人・お金の無い人・収納スペースに恵まれない人にもオタク趣味の継続を十分可能にした。忙しくても、貧乏でも、オタクをやれる時代が到来した。昔ほどの豊かさは、現代のオタクライフの必要条件ではない
 
 とはいえ、それでもなお「オタクは豊かな日常を前提としたライフスタイル」という言葉は現代のオタクライフにも当てはまる部分はあると思う。 なぜなら現代のオタク達が当たり前のように享受している環境――インターネット接続環境・ネット通販・道路網や鉄道網・夜中にコンビニに行けるような治安――などは、途上国と比較して十分に豊かと言えそうだからだ。あいさつも満足に出来ないようなコミュニケーション技能でもいっぱしの趣味人として生きていける日本の生活空間は、これはこれで恐ろしく恵まれている。
 
  
 では、現代のオタク達――人口比的にはオタク第二世代以降によって多数が占められている――は、自分達のオタクライフを「オタクは豊かな日常を前提としたライフスタイル」と実感しているだろうか?
 
 その答えはNoだと思う。
 
 オタク第二世代以降、(相対的に)金銭的にも生活的にも恵まれていない人達もオタク趣味をやるようになった。特にバブル崩壊以降、時間的にも金銭的にも余裕の無いオタクの数は増大していった。同時に、オタク界隈が社会適応に辛さを感じている人達の避難場所として機能しはじめ、“豊かな日常”というより“悲惨な日常”をバックボーンとした人達が流入していく*3。「自分達は豊かな日常を前提としたライフスタイルを送っている」と自認しているオタクは、たぶんあまり多くはあるまい。むしろ現代のオタク達の多くは、少なくとも主観レベルにおいては、「豊かとは言いづらい日常」や「辛い日常」のなかでオタクをやっているようにみえる。*4
 
 いくらブロードバンドなインターネットを得ようとも、就職難・社会適応困難・将来への不安がたゆたっている状況下では、日常は豊かとは感じられない――そんな、後発世代の多くのオタク達にとって、「豊かな日常を前提としたライフスタイル」という表現は、違和感をもって聞こえることだろう。よしんば「豊かな日常」と感じているオタクの場合でも、友人が就職出来なかったとか、仲間がメンタルヘルスをこじらせてダウンしたとか、豊かと見える日常が実は薄氷の上の安寧でしかないと思い知らされるような出来事を、二十代の頃から間近に見ている人が多かろう。
 
 こうしたオタクの世代状況を鑑みれば、現代のオタクにとって、「豊かな日常を前提としたライフスタイル」など望むべくもないし、端から期待もしていまい。オタクにとっての日常は(あるいは一定年齢以下の人達にとっての日常は)、辛いものか、厳しいものか、手強いものだ。豊かさな日常にあぐらをかいていられるような呑気な気分は、今ではそう多くはあるまい。
 
 まとめると、おたく世代の人達が認知する「日常」と、オタク世代の人達が認知する「日常」は、相当乖離しているしているのではないか、ということだ。
 
 

“オタクコンテンツに描かれる日常”とは何か

 
 これらを踏まえたうえで、現代のオタクコンテンツのなかで描かれる日常とは何か、と考える。
 
 たとえば京アニの『けいおん!』は、オタクの日常を前提としている作品だろうか?
 
 私にはそう思えない。
 オタク達にとっての日常から、嫌なものや辛いものを脱臭し、望んでも手に入らないものや、既に手の届かなくなったものを沢山パッケージしているのが『けいおん!』という深夜アニメではなかったか。いや、『けいおん!』に限らず、オタクコンテンツ、特にライトノベルや深夜アニメのなかで描かれているのは、「手の届かない日常の描写」にせよ「派手な非日常の描写」の類にせよ、オタク自身の等身大の日常からは遊離しているようにみえる。ファンタジー・超常能力・女子高生のキャッキャウフフetc……どれをとっても、オタク自身の日常や、オタク自身の疎外から距離を取るのに都合の良い装置のようにみえる。
 
 もともとオタクには「無限の日常」なんて無くて、
 あるのは「日常からの無限の後退」ではないのか。
 
 だから現実が幾ら厳しくなったとしても、「日常からの無限の後退」というオタク界隈の通奏低音は変わらないだろう。また、人生が危険行路であることを知悉しているからこそ、つくりごとの世界を懸命に愛でているのではないか。そうやって、疎外や不安にみちた日常をしのいでいるのではないか。
 
 仮に、大震災の余波が長く厳しく残るとしても、オタクコンテンツの趨勢に大きな変化は無いだろう、と私は推定する。
 
 もちろん、広域災害が題材として登場する確率は上がるだろうし、大勢が首都圏から脱出しなければならないような事態にでも発展すれば、そういった社会情勢の不安や葛藤を防衛する為のモチーフが特別に幅をきかせる可能性はあるかもしれない。自分自身のジェンダーを浄化するべく“男の娘”や“女子だけのキャッキャウフフ”が役立つように、あるいは疎外にみちた無力な日常を補償するために“まったりとした仲間関係”や“非日常的な超常体験”が役立つように、災害による社会不安を防衛するのに好都合なモチーフが台頭してくる可能性は(現時点では、一応)否定できない。
 
 とはいえ、現代のオタク達にとっての日常が、もともとリスクや不安に満ちたものである以上、「豊かな日常という前提」→「豊かではない日常という前提」といった大転換は起こりようがない――「豊かな日常」という幻想を、とうの昔に追放されたのだから――。今回の大震災のオタクコンテンツに対する影響も、「日常からの無限の後退」という既存の性質をさらに強めることこそあれ、そうでない何か*5への移行を迫るものではあるまい。地下鉄サリン事件の時や9.11の時が、そうだったように。
 
 「豊かな日常」というより「薄氷の上の日常」を常から実感している世代のオタクにとって、日常とは、アニメを見ているときぐらい忘れていたくなるような代物だ。オタクコンテンツは、そんな過酷な日常から一歩退いてメンタルを整えるサプリメントとしてのニュアンスを、今後も色濃く残し続けるのではないだろうか。
 
 
 [関連:]希有馬氏、「震災原発事故でオタクのリアリティが変わる論」への疑義 - Togetterまとめ
 

*1:1960年代生以前。平仮名で「おたく」と表現していた頃の世代

*2:ハードディスクのような超便利アイテムが登場し、現在の姿に近づくのはずっと後のことだ。そしてLDやビデオテープのような嵩張る品物を収蔵するには「一人部屋」を持つ必要があった。

*3:そんななかで、社会適応との軋轢を昇華した作品が話題をさらったことも付け加えておく。『雫』や『CROSS†CHANNEL』、『AURA』などがまず思い出される

*4:『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』で例えるなら、「佐織バジーナのようなおたくが相対的に減って、黒猫のようなオタクが増えた」、と言えば良いだろうか。

*5:例えば写実的なオタク日常描写