シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

灯台もとを照らそうという強迫性に憑かれて

 
 こんばんは、nitinoさん。今日もブログでゲロ吐きストリップの変態シロクマです。本エントリの顕示性と汚濁混入率に、どうかあきれ果てないでください。いえ嘘です、あきれ果ててもオッケーです。どちらにせよ、ブログに踊る私の一部分が、少しでも防衛機制の雲間から漏れ出てお手元に届き、何らかの蟠りを生じることを祈念しています。
 

自分で自分の書いた文とか絵を見返すと気分が悪くなる。わかった様なこと言いやがってやな女だとか自分で言いかけるのでちっともよろしくない。私なんかがわかってることなんか何もねえやっ!伝えたいことは何もねえ!(と伝えた

http://fragments.g.hatena.ne.jp/nitino/20070423/p5

 このid:nitinoさんの言葉に、id:p_shirokumaは過敏に反応して、以下のようなコメント上のやりとりを行ったのでした。*1

p_shirokuma
そのような視点は五年後の自分が現在の自分を見返した時にとっておいて、精一杯己の文章に自惚れてエヘラエヘラしている俺がきましたよ。

nitino
個人的には、シロクマ先生の精神の御開帳自慰まな板ショーは観客にファックされやしないか密かに心配していたりしますが、尊敬できる方向性の一つだと心底思います、いやもちろん茶化している訳では有りません(ちょっと変態だなとは思っていますが変態大好きです

私もみならい…うーんちょっと考えます。

 
 ああ、nitinoさんにはそこの所が通じたみたいです。ブロガーとしての日々の私は、ご開帳自慰まな板ショーに耽ってはヘラヘラしています。それが、私という個人なのでしょう。いずれ、因果が回ってきて正しくボコられる日が来ることは避けられますまい。

 とはいえ、「ボコられるという結果を引き受けなければならない」というのが私個人の拘るところでもあります。なぜなら、「ヘニャチン恰好つけ野郎」としてボコられるのではなく、等身大の己自身に近似出来るブログがボコられたり喜ばれたり貶されたりしてこそ、ようやく私はボコられたり喜ばれたり貶されたりすることを近似的に体験出来るのです(あるいは体験したと思いこむことが出来るのです)。そんなわけで、今日も私は愚民界のフナムシとしてカサカサと動き回ることにします。自分の藁人形がボコられても痛みが伝わってきませんし、自分を美化して書いた肖像画を褒められても褒められた気分にはなれません。出来るだけブログに生に近い自分を放り投げてみなければ、痛みも歓びも私にはよくわからないらしいのです。
 
 私は、(例えば)優越感ゲーム・衆愚2.0・適応への意志・己の為の善行 といった様々な性質をも実際に引きずって歩いているわけですが、そのような有様を隠して聖人ごっこに耽りますと、まさに「自分を美化して書いた肖像画状態」になってしまいます。これでは痛みも歓びも薄くなってしまいますし、読者の方にもJAROで無用な誤解を招きかねませんので、今後も清濁明暗併せ持ったケダモノ然とした姿のままでいたいと勤めていきたいものです。
 
 むろん、こうした試みも、私自身の「メタ「メタ「メタ「メタ「防衛機制」」」」等によって非随意的にレギュレートされちゃっているんでしょう。それは私の不徳の為すところです。尤も、「本当の私」なるものはどこにも無いわけで、そのような防衛機制を含んだ小狡さと善良さも、いかにも私然とていると言われたら確かにその通りかもしれません。例えばこんな理解の仕方もあるわけです。

 「精神の御開帳自慰まな板ショー」を通して、シロクマは嘘と隠し事に満ちた等身大の自分自身を防衛している!要は、シロクマは自分自身の中に存する嘘や隠し事が許せない性質なんだ!それ故に、偽善者や防衛の強い相手を見つける同族嫌悪(投影)を引き起こしやすいんだ!あいつのエントリの多くは(逆)転移に違いない!

 私はこれからも、ブログというツールのなかにおける限りにおいては「精神の御開帳自慰まな板ショー」に拘っていきたいと思います。ですが、その営為は常に防衛機制なり何なりの暗闇と無自覚を除外しきれない旅路になる筈です。防衛メタ無限後退を取り除けないが故に常に暗闇を残存させたまま、私は私の灯台もとを顕微鏡で覗き込みたいと思っていますし、その有様をこの日記に書き残していきたいものです。勿論読者の方からは、「それが彼の拘りよね」「それが彼の強迫性よね」等の指摘があるでしょう。いいんじゃないでしょうか。
 

*1:nitinoさん、これ、引用したらまずかったでしょうか?もしまずかったようでしたらご指摘ください。消します。速やかに。