シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

つまんないおっさんになりそうな人に説教

 
成功や欲望を「たいしたことねーな」と実感できるようになることにこそ、成功体験の意味はあるのかもしれない - 世界のはて
 
 ※この文章はid:Masao_hateさんへの私信です。
 
 成功体験に飽きた?もし、これがある種のポジショントークじゃなくて本音の類としたら、これは一体どういう事だろうか。嘘だと言ってよMasao_hateさん!まぁいいや、Masao_hateさん相手だったら、歯に衣着せずに率直な所を申し上げても関係性が壊れないだろう。これは痛烈にdisっておいたほうが良さそうな文章だ。
 
 id:Masao_hateさんは、「成功体験を重ねれば、その瞬間では幸せだったとしても、飽きてくることがわかってくるし、がっつかなくなってくる」と主張していらっしゃる。確かに、悟りを開いたお釈迦様も、出家なさる前にお城で贅沢な生活をしているうちに出家を決意なさったというから、一見するとわからなくもない話…にみえる。それでもって、Masao_hateさんが俗世の垢とサヨナラして、仏門に入るというなら、ストーリーとして成立しているような気がする。また、成功体験と銘打つことが出来るような経験が無い人にとって、成功体験の蓄積が「飢餓感減弱」のうえで重要なことだというのが主旨だとしたら、それはそれでわかる話だとは思う。
 
 しかし、Masao_hateさん個人の人生行路において、今こんな事を仰ってるのをみると「なんだよそりゃつまんない」とイチャモンをつけたくなってしまう。二十代後半の男子の発言としてあのテキストを捉える限りにおいて、私は以下の二点について再検討をお願いしてみたい。という事で以下を読んでみて下さい→id:Masao_hateさん
 

【1.日本有数のDJがつまらないんじゃなくて、あなたがつまらないんじゃないですか?】

こういうことを繰り返していくと、たとえ僕が日本有数のDJになったりしても、たぶんしばらくすると飽きるんだろうなぁということが、容易に想像できてしまう。そうすると、若い頃みたいに無我夢中ってのは、なかなかできなくなってきますわな。

 はっはっは、何を仰る。日本有数のDJの皆さんは、果たしてそう思っているでしょうかね?或いは、日本有数の脳神経外科医は、飽きちゃってますかね?「日本有数の」なんて言葉の似合う諸分野において、長年にわたって活躍している人達をみる時、彼らが「飽きちゃっている」なんて到底思えないし、「飽きちゃわない」からこそ、彼らの芸なり技術なり研究なりが際限なく伸びていくような気がしてならないです。そりゃ、なかには一度頂点に達しただけで飽きてしまう人もいるし「こんなものか」で止まってしまう人もいるけれど、そんな人はすぐに淘汰されてしまうだろうし、各分野で頂点付近に居続けるする人が「飽きちゃっている」事って本当にどれぐらいあるのかな?という疑問は沸くわけなんです。シューティングの全一とってる人達においても、長く現役に踏みとどまっている人達って「飽きちゃっている」んでしょうかね?私、そこが疑問です。
 
 率直に質問するなら、それは単にMasao_hateさん自身がつまらないって話ではなんじゃないでしょうか?最先端の研究をし続ける人、ビジネスに傾倒する人、芸術を追いかける人、趣味趣向にこり続ける人は、何年も何年も一つのテーマに好奇心を抱き続け、新しい発見や習得を己が内に見出し、その分野の中で変化していく自分自身と付き合い続けることが出来るもんなんじゃないでしょうか。私の知る範囲の「日本有数であり続ける人」というのは、ネトゲ廃人とかは別として、基本的に何年も何十年も興味ある一分野に魅力や好奇心を抱き続ける人が殆どだと思います。飽きてやってるんじゃ、日本有数であり続けることなんて出来ない。それは、DJの世界なりシューティングの世界なりでも同じではないかと私は思います。
 
 だから思うんですよ。「たとえ僕が日本有数のDJになったり」なんて事まずあり得ないし、よしんばあったとしても一発屋でお終いなんじゃないですか?一つの対象に対して飽きずに続けることの出来ないとしたら、それはとてもつまらないことに違いないですが、それはシューティングであれ音楽であれ医学であれ適応であれ人間関係であれ、あなたの飽き性がつまらないのであって、シューティングや音楽や医学や適応や人間関係がつまらないわけでは無いと私は思います。成功体験の有無とも関係ないですよ。これでもかというほど成功し評価されていても、それに溺れるでも飽きるでもなく、精一杯前に進み続ける人は各分野にいらっしゃるし、そういう人達こそが輝いているんじゃないでしょうか。皆に頭をナデナデされたら満足しちゃって筆を折るなんて、つまんなすぎます。男女関係でもブログでもシューティングでも何でもいいですが、飽きずにソレを眺め続けて、新しい面白さなり、新しい発見なりを探し続けてこそ、面白いんじゃないですか?いや、一つの対象に縛られたくないというなら、Masao_hateさん個人の人生そのものにおいて新しい面白さなり発見なりを突き詰めていくでも構いません。まだ三十路にも達していない人が、諸事つまらないと悟ったような事を言って、何事も浅く通り過ぎる適応を形成するとしたら、痛みも少ない一方、さぞかしつまんないおっさんが一人できあがることでしょう。もったいない!
 
 或いはMasao_hateさんは、「飽きる」という事が一種の執着制御の処世術だと仰るかもしれません。確かに、執着しすぎることが四苦八苦を生むというのは事実でしょうし、だからこそ執着を減じること適応上必要には違いありません。しかし、執着を減らすことと好奇心や無我夢中を殺すことは、果たして等号で結ばれるものでしょうか?必ずしもそうではないような気がするんです。執着をある程度制御しつつも、己の芸や仕事を徹底的に追求した人はいると思うし、執着を抑えながらも個々の人間関係に常に新しさを感じ取る人もいると思うんです。また逆に、飽き性だけれど執着はたっぷりという人もいるような気がするんです。少なくとも、Masao_hateさんが執着の因業から十分距離をとっているようにはあまりみえないわけで、そこの所どうなのかなと疑問を感じてしまいます。
 
【2.飽きるから関わらない、などというあなたの人生には何が蓄積していくんでしょうか?】
 
 DJなりシューティングゲームなりといった、個々の活動をしばらくやってそれなりに評価されて、飽きちゃう事が分かったから「たいしたことねーな」と思う人生において、Masao_hateさんには一体何が堆積していくのでしょうか?過去、一生懸命やりこんだり、精一杯冷や汗を流しながらふんばった経験がMasao_hateさんには沢山あって、だからこそ今のMasao_hateさんが余裕こいて「たいしたことねーな」などとうそぶいていられる事を私は知っています*1。あの時の踏ん張りやら頑張りがあってはじめて、色々なものがMasao_hateさんのなかに堆積して、その結果として、思春期の出口にさしかかっているMasao_hateさんは余裕ぶっこいていられるわけです。ですが、これから先「たいしたことねーな」で行った場合、未来のMasao_hateさんには一体何が堆積していくんでしょうか?ツマンネツマンネツマンネが堆積していくのでしょうか?
 
 Masao_hateさんは、それこそ死にものぐるいで思春期を駆け抜けてきましたし、それが今まさに終わろうとしているとは想像は出来ます。が、もしここで立ち止まってしまったら十年後のMasao_hateさんは、今のMasao_hateさんをただ老け込ませただけの中年男になっているんじゃないでしょうか。熱意や好奇心を維持し続けることが出来た中年と、三十に入る前にツマンネしちゃった中年、果たしてどちらが魅力的な中年になれるでしょうか。また、どちらの心に深い年輪が刻まれることでしょうか。それを思うと、「たいしたことねーな」なんてふかすのはあんまりだと思うんです。そりゃ、思春期終わったんだとしたら、走り続けることはもう出来ないでしょう。家庭を持てば尚更です。でも、歩き続けることなら出来ると思うし、一つの分野なり、一つの人間関係なりに集中することによって、まだ前に進めると私は思います(そして、私より歳くった人達のなかでも、やはり前に進み続けている人達は沢山いるし、そうした人達は概ね魅力的です)。家庭に関して熱意や好奇心を持ち続けるっていう手もありますし。
 
 ブログなりシューティングなり、いったん区切りがついちゃってるものをもう一度飽きずにやれと申し上げるつもりはありません。ですが、足を止めないで下さいね。今の余裕綽々のMasao_hateさんに至るプロセスとして、私は(将来飽きるとも知らずに)必死に希求し続けてきた過去のMasao_hateさんの積み重ねを重視したいし、だからこそ将来のMasao_hateさんが余裕綽々であるには、飽きるとか飽きないとかグダグダ言わないでがんばってくしかないと思うんです。子育てとか仕事とかだってそうです、飽きるに違いないからとかそんな馬鹿げたこと言ってないで、それぞれの場面それぞれの分野で精一杯やるしかないじゃないですか。そうやってまた、十年後二十年後のMasao_hateさんに向かって色んなものを堆積させていくってもんじゃないですか。
 
【そんなわけで、前に前に適応していってください】
  とにかく、「飽きる事が分かっているから」深入りしないと仰る今のあなたは、とてもつまらないです。繰り返しますが、あなたがつまらないのであって、あなたが関わる対象がつまらないんじゃありません。それと、ツマンネツマンネ言っていると、将来のあなたが本当につまんなくなっちゃうんじゃないかと危惧します。今のMasao_hateさんの魅力を形成しているのは、過去の堆積プロセスがあってのこと、と私は理解します。故に、何事にも深入りしない姿勢にMasao_hateさんがなってしまう事を残念に思います(きっと10年先のMasao_hateさんがつまんなくなるから)。ゲームだろうがDJだろうが夫婦関係だろうが子育てだろうが、この際どんな対象でも構わないですから、好奇心や熱心さを失うことなく、程々に相対化しつつも、立ち止まらず歩いていってください*2。すっかり陳腐化した五年後十年後を迎えて、それこそつまんない中年になっちゃったMasao_hateさんを見たくない、と私は個人的に思うんです。
 

*1:参考:症例2(汎適所属)

*2:勿論、好奇心や熱心さは執着増大と紙一重のリスクを負っています。ですが、執着地獄の断崖沿いを歩くしか無いと思うんです、出家でもしない限りは。