シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『ラグナロクマスターズ』プレイ開始の所感

 
 おとといから正式稼働している『ラグナロクマスターズ』をプレイし始めた所感を書いておく。ちなみに私はPC版の『ラグナロクオンライン』を2012年頃まで続けていたので、前作とは7年以上の付き合いになる。そういう人がこれを書いていると思っておいて欲しい。
 
  

 
 
 

キャラクターはかわいらしい

 
 
 
 ラグナロクの魅力の何割かは、2Dグラフィック時代のかわいらしいキャラクター、昔の言い方でいうなら「萌え」っとした感じの絵に由来していた。当時はそういったデザインのオンラインゲームが無かったのでひときわ輝いてみえた。
 
 今作のキャラクター選択画面は、まさにそのとおりの雰囲気になっているが、自分のキャラクターを実際に動かす段になると、さすがに2D時代とは質感が少し違う。とはいえかなり頑張っている。合格レベルなんじゃないか。
 
 なにより、モンスターのかわいらしさがほとんど喪われていないのが嬉しい。ポリン、ルナティック、ヨーヨー、ペコペコ、いずれも昔のかわいらしさを失っていない。マップ切り替え時に表示されるモンスターの姿を見るに、むしろ前作よりかわいくなっているとさえ思われる。よくわかっていらっしゃる。
 
 

街並みやマップも雰囲気が出ている

 

 
 この写真のように、プロンテラの床の質感は、前作の雰囲気をしっかり受け継いでいる。やたら土地が広かった前作に比べて手狭だが、現時点では問題を感じない。同様に、全体マップも縮小していて隣町までの距離が近くなっているが、これも問題だとは思えない。魔法使いの街・ゲフェンもいい雰囲気だった。ただし、プロンテラ南にずらりと並んでいた露店取引はもうみられない。
 
 自分のキャラクターを中心に、360度視点を回転させる/真横~真上にビューを切り替える機能は失われている。カメラで撮影する時にはあるていど融通がきくが、戦闘中などは自分のキャラクターを眺める角度が同じだ。街の景色も、その前提で眺めることになっている。
 
 

オート狩りは便利、BOTみたいだ

 

 
 ラグナロクとは切っても切れない狩りは、手動でもできるけれども自動でもできる。コンソールがスマホで初期段階ではソロ狩り中心だろうから、自動の狩りに頼ることになりそうだ。前作では悪しき風物詩であった「BOT」をこんな風にゲームシステムに組み込むのかと感心した。いまどき、単調な狩りを延々とし続けられるプレイヤーはそれほどいないだろうから、良いことだと思う。もちろん、手数の多い戦い方をしたい時は手動でやったって構わない。
 
 スキルスロットが減っているため、上級職のパーティープレイで困るかもしれないが、アイテムスロットと別扱いになっているのでおそらく困らないだろう。現段階では、そもそもパーティープレイをやる機会をどうやって作るのかが問題ではある。
 
 

クエストの効率は良い。クエストのストーリーはいまいち

 
 現時点ではクエストをこなしたほうが実入りが良いので、狩りもほどほどにクエストをこなしていくわけだけど、あまり面白くない。前作でもクエストの筋書きは平板というか、お世辞にもアドバンテージとは言い難い感じだったが、今作もそれは変わらない。ところが、キャラクターの成長や冒険ノート埋めを考えると避けて通るのも難しそうにみえる。
 
 仕方がないと思って最初は頑張ってテキストを読んでいたが、中途からはテキスト送りをしてクエストが終わるのをじっと待つ……といった「おつかい作業ゲー」になってしまった。
 
 前作に熱中した人の大半は、ラグナロクというゲームは好きでも、そのクエストには魅力を感じていなかったように思う。今作のクエストも、現段階では魅力を感じさせるものではない。2010年以降に私がプレイしたソーシャルゲームたちに比べると、いかにも貧弱なテキストを読まされている感がある。にも関わらずクエストの重要性が高くなっているものだから、やらないわけにはいかない。
 
 この、クエスト周りの仕様変更は、前作とは相当違う考え方で付き合っていかなければならないと思う。考え方を変えてまで付き合う値打ちがあるのか、よく見極めなければならない。
 
  

スマホが熱い、バッテリーが焼ききれそう

 
 今回、いちばん心配になったのはスマホの放熱と激しいバッテリー消耗だ。
 
 充電器を繋がずに『ラグナロクマスターズ』をプレイすると、かなりの勢いで電池が減っていく。体感では『ポケモンGO』や『FGO』よりも早い。外で持ち歩いてプレイするならモバイルバッテリーが欲しくなる。
 
 かといって、充電器を繋いだままプレイすると発熱がひどくていけない。充電器に繋いでオート狩りをさせながら料理しをしていたら、過熱で強制終了を食らってしまった。充電しながらプレイするためにはヒートシンクが必要そうにみえる。
 
 このゲームには疲労度設定というのがあって、狩りは一日300分までとあるけれど、そんなにスマホを酷使したらスマホがかわいそうだ。スマホのバッテリーが簡単に交換できた時代ならいざ知らず、いまどきのスマホのバッテリーはあまり痛めつけたくない。
 
 

タブレットが欲しくなるが、今は買い時ではない

 
 電池の問題にくわえて、インターフェースの細かさもスマホにはきびしい。
 
 ひとつひとつのアイコンが小さく、マップのつくりも細かいので、「このゲームはタブレット向きなのだろう」と思うことにした。いや私が中年で、老眼だからそう思うだけで、若い人ならスマホ+タッチペンでも大丈夫なのかもしれない。どちらにせよ、電力消費や過熱の懸念もあるので、やるならタブレットで、遠慮なく遊ぶのがよさそうにみえる。
 
 問題は、今、Androidのタブレットをどう調達するかだ。
 

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 我が家では長いことASUSのnexus7が活躍していたが、もうASUSはタブレットを作る気が無さそうにみえる。価格と性能を考えるとファーウェイが良さそうに思えたのに、国際的な問題によって手が出しにくくなってしまった。こんな、Androidタブレットを選びづらい情勢のなかで、わざわざこのゲームのためにAndroidのタブレットを買うのは勇気が要る。
 
 

今、背伸びしてまで遊ぶべきゲームか、まだわからない

 
 このほか、現代日本では時代遅れな「萌えっ」とした雰囲気やアスキーアートのたぐいも含めて*1、2019年のゲームとしてはどこか敷居が高いというか、人を選ぶゲームのような気がする。前作には思い入れがあるので、私にとって次期主力ゲーム候補の筆頭だったのだけど、スマホ前提でこのゲームに深入りするのは躊躇われるし、さりとてAndroidのタブレット購入という背伸びをしたくなるほどの「買い」材料はまだ見当たらない。
 
 とはいえ、前作の性格からいっても真価はギルドやゲーム内の付き合い次第だろうから、とりあえずログインボーナスをもらいながら、少しずつゲームの世界には慣れていこうと思う。ミッドガルドに、再び賑やかさが戻ることを期待したい。
 
 

*1:この、露骨で古くさく感じる「萌えっ」とした雰囲気がかえって海外人気に繋がっているのかもしれないが

東浩紀さんの回想と、はてな村周辺の話

 
blogos.com
 

—— とすると、もう我々にはネットで議論することは難しいという感じなんでしょうか

いまはもう難しいですね。議論というのは本来、論点を抽出して、その勝敗を決めれば誰もが納得する結論が出るというものではないわけです。そもそも最初から意見は違うんだから。その最初の「意見が違うということ」の意味を深く考えず、勝ち負けだけ決めようとすると、不毛な罵倒合戦しか生まれない
 
自分はAが正しいと信じている。にもかかわらず、こっちには全然違うBが正しいと信じている人がいる。これはなんでなんだろう。まずはそう考えるのが大事なんです。説得や論破が大事なのではなくて、違う意見が存在するのはなぜなんだということを考えること。これは、違う考え方を持っている人に対する一種の尊敬の念がないとできないことです。そして、それがどうやって生まれるかというと、時間だったりコミュニティの感覚だったりが必要です。

 
 哲学者の東浩紀さんが、ネットコミュニティの10年を振り返るインタビューをBLOGOSに公開しておられて、少なくとも私はかなり共感し、ところどころ感銘を受ける部分すらあった。
 
 東浩紀さんのネット上での言動には動揺もあり、失礼ながら、東日本大震災後の一時期は揺れに揺れていたように私にはみえた。また時々エゴサーチをしていた気配があり、伴って、やたらブロックを繰り返していた時期もあった。
 
 なんらかの背景にもとづいて動揺している時には、ネット、とりわけSNSからは距離を取るのが好ましいネット処世術だと思っている私には、それらが危なっかしいもののように思えた。が、そのような時期に見ず知らずの私が何かを言っても、何かを言うだけのコンテキストが無いし、東さんがtwitterをそれでも続けざるを得ない事情があったとしても知らないわけで、私は黙ってみていることしかできなかった。
 
 そういった経緯を踏まえるなら、東さんが「説得や論破が大事なのではなくて、違う意見が存在するのはなぜなんだということを考えること。これは、違う考え方を持っている人に対する一種の尊敬の念がないとできないことです。」と述べても、難癖をつける人はいるだろうし、実際、それはあったように見受けられた。
 
 しかし私のなかでは、東さんの上掲の発言と、東さんのtwitter上でのご経験とは整合性があるように思えた。そのことを、過去のはてなダイアリーとはてなブックマークの時代、つまりはてな村を思い出しながら、あれこれ語ってみる。
 
 

「議論できる場」としてのはてなダイアリー・はてな村

 
 冒頭リンク先の文章で、東さんは「はてなダイアリーには村に所属している意識があって、議論もできていた」と書かれている。
 
 そうだったと思う。少なくとも、今日のはてなブログのありよう、ましてtwitterのありように比べれば、はてなダイアリー(とそれに付随するはてなブックマーク等)はアカウント同士の議論が成立しやすい場だった。大まかに言って、それは「はてな村」という言葉が現役だった時期とだいたい重なり合う。
 
 はてな村ではなぜ議論が成立しやすかったのか。東さんは、「はてな村」への所属感があったから、アカウントの名前とアイコンをお互いに認知できていたから、世の中ではマイナーなものを自分たちがやっている自負心があったから、といった要素を挙げているが、どれもそのとおりだったと思う。
 
 はてな村のメンバーは村全体の歴史やイベントを共有していて、誰と誰が揉めていたのか、誰が何をやらかしたのか、誰がどんな性向を持っているのかをお互いによく知っていた。
 
 たとえば『はてな揉め事史』に列挙されている揉め事、出来事のたぐいも、当時現役だったアカウントならだいたい知っていることだろう。そのうえ、それぞれのアカウントがどのような出来事にどう反応するのか、お互いに予測することもできた。「顔のみえる付き合い」という言葉があるが、はてな村は「アカウントとアイコンのみえる付き合い」のコミュニティだった。だから極端なことをいうアカウントがいても「あの人はあれが平常運転だから」とあまり気にする必要も無かった。とりわけ周りがそのように見ているなら、自分もそのように見やすかった。
 
 もちろん、どこのネットコミュニティにもどうしようもない人、サークルクラッシャー的に作用してしまう人はいて、それらがはてな村でも火種になっていたことは付記しておく。
 
 とはいえ、はてな村というコミュニティがあり、お互いに見知った仲だったからこそ議論の場が成立していたのだろうと思うし、そうした見知った仲を深めていくアーキテクチャとして、はてなブックマーク、idコール、はてなキーワード、はてなハイクなども機能していたように思う。
 
 それと当時のはてなダイアリーの時間感覚と、議論の形式。
 
 はてな村は長文のやりとりを厭わないコミュニティだった。twitterに比べると長いタイムスパンで、お互いの思うところを応酬しあっていた。はてなブックマーカーもしばしば自分のブログを持っていて、長文を書くためのホームグラウンドにしていた。誰かのブログ記事がトピックスになると、複数のブログが反応して関連する記事を書き、それらがトラックバックを介して繋がりあっていた。トラックバックを介して繋がりあっていたから、複数の意見を後から追いかけることもできた。
 
 東さんは、議論とは、「説得や論破をしなければならないものではない」とおっしゃっていたが、私も同感だ。
 
 ひとつのブログ記事に、誰かが関連したブログ記事を書き、それらが読み比べられる状態になっていれば、私はそれで議論は成っている、と思う。どちらか一方だけを正しいとみなすのでなく、複数の意見が通覧できる状態になり、それらを後から読み返す人が自分なりに考えられる状態ができあがったなら、たとえ誰かを論破していなくても、たとえ結論が出ていなくても、それを議論と呼んで良いのではないか。
 
 当時のはてなダイアリーには、時間をかけてでも長文を書いてトラックバックを交わすという習慣や気風が残っていた。それも、仲良しに対してだけトラックバックするのでなく、誰が誰に対してであれ、対等に議論に参加して構わない習慣や気風があった。ただし対等であることによって、零細ブログが書いた曖昧なブログ記事にアルファブロガーが厳しいトラックバックを送ってくることもあり得たし、その逆もしばしば起こった。このあたりも「はてな村は怖い」「はてなは殺伐としている」と指摘される一因になっていたかもしれない。
 
 お互いに「アカウントとアイコンが一致」する間柄で、はてな村というコミュニティの歴史を共有していて、はてなブックマークをはじめとする複数のアーキテクチャで繋がりあったはてな村だからこそ、あの時、あんなに議論に熱くなれたのだと思う。議論の質の高低はここでは於こう。だが、議論しても構わないという雰囲気と、議論をするためのアーキテクチャが、往時のはてな村には揃っていた。
 
 

「議論できない場」の典型としてのtwitter

 
 twitter、とりわけ沢山の人に使われるようになった2010年代以降のtwitterは過去のはてな村とは対照的だ。
 
 ツイッターランドはあまりにも広大で、アカウントとアイコンが一致するような「顔パス」の関係など作りようがない。twitterにはフォロー/被フォローという仕組みがあり、自分の視界をデザインできるが、往時のはてな村のような、さまざまな思想信条を持った人が一定のまとまりのコミュニティ意識を持ち、お互いに顔見知りになっていくのに適したアーキテクチャではない。
 
 twitterは、思想や嗜好の共通した者同士を強く結びつけるが、思想や嗜好の異なった者同士が同じコミュニティに所属し、はてな村のような意識を持つにはまったく向いていない。
 
 文字数も良くない。twitterは、ひとまとまりの意見を交わすには全く向いていない。もともとtwitterはつぶやきをつぶやくためのツールとして出発したのであって、議論を交わすためのツールとして出発したわけではない。複数のツイートを連ねても、それは140字以内のつぶやきの応酬にしかならない。togetterは、そういったtwitterの議論しにくい性質を垣間見るには絶好のツールになってしまっている。 
 
 

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論―人間の拡張の諸相

 
 
 マクルーハンが言った「メディアとはメッセージである」というあれになぞらえるなら、twitterというメディアはそれ自体、人を議論させるのでなく、似た者同士を共鳴させ、思想信条が異なった者同士を分断させるメディアではないだろうか。
 

 私は、SNSは、人に自由にオピニオンを語らせる社会装置ではないと思う。むしろ、本来なら言わないで済んだはずの言葉、言語化するどころか意識にすらのぼることすらなかったはずの言葉を、巻き込むように吐き出させる社会装置ではないだろうか。
 加えてSNSには、フォロー/フォロワー、リツイート、シェア、いいね、ブロックといった機能がある。これらの機能により、SNSには似た者同士が群れやすく、そうでない者同士が結び付きにくいSNSならではの偏りが生じる。
 引用:SNSは人を「繋げる」より「分断」している | Books&Apps

 
 はてなダイアリー上では議論できていた人が、twitter上では政治の渦に巻き込まれ、異なる思想信条を非難するスピーカーになり果ててしまうのは、よくあるパターンだし、ある程度は仕方のないことだと思う。よほど意図してさえ、twitter上で議論をやってのけるのは難しい、なにせ議論は相手(や第三者)あってのものだから、自分一人では成立しない。そして自分自身はもちろん、相手も第三者もtwitterというメディアの上では議論するよりツイートするように自ずと振る舞ってしまうのだ、なぜならtwitterというメディアがそういうものだから。
 
 こうした、twitterをはじめとするSNSの影響下のもとに、現在のはてなブログの世界があると、私はみている。
 
 元々はてなブログは、トラックバックを廃止したり、コミュニティとしてのはてなダイアリーにあった機能を削ったきらいがあった。そこに、twitterもやっているような新規のブロガーが続々と入植し、2015年以降はブログでお金儲けしたがる人々がやたらと目立つようになってしまった。ユーザー数は、はてな村時代よりもずっと増え、「アカウントとアイコンが一致する関係」はますます成立しにくくなってしまった。
 
 現在のはてなブログで00年代のような議論を、同じはてなのユーザーだからというよしみでやってのけるのは難しい。そもそも、議論、という様式じたいが避けられているようにもみえる。はてなダイアリー時代と同じ感覚で余所のブログに言及した時、いったいどのような結果が起こるのか全く予測できない。少なくともはてな村的な、「ここは自由に議論しても構わない場所」といったコンセンサスははてなブログには無い。
 
 

数のスケール、非対称性の問題

 
 このことに加えて、とりわけ東さんのような立場の場合、ユーザー数の非対称性が議論を阻むことになる。
 
 2019年5月現在、東浩紀さんのtwitterアカウントの被フォロワー数は187000以上。これほど沢山の人に読まれているアカウントで、対等な議論を、コミュニティ感覚を伴いながらやってのけるのは、私には不可能にみえる。芸能人のアカウントのようなアナウンス専用のアカウントと割り切ってもおかしくない水準だろう。
 
 ひとつの発言に数多の人間からリプライがつき、それでもやりとりを続けるのは簡単ではない。ましてや議論だなんて。
 
 たとえばひとつのツイートに1000以上のリツイートがつくと、さまざまな意見や反論、無関係な文字列などが届くようになるが、それらをいちいち読んで返信すべきか確かめてまわるのは、精神衛生にものすごく悪い。一年に一回程度しかそういうことが起こらなない人なら喜々としてやってのけられるかもしれないが、年に何十回も大量リツイートを経験する人は、いちいち反応を見ていられなくなる。
 
 はてなブックマークも同じだ。このブログには年間数千のはてなブックマークコメントがつくが、大量のはてなブックマークコメントをじっと見つめ続けると、正気度がだんだん下がってくる。まして、はてなブックマークコメントのひとつひとつに言及するなど不可能である。
 
 ここでも書いたように、たとえコメントの6割が賛成や肯定で、2割が中立的で、否定的なコメントが1割、文章が読めていないコメントが1割程度でも、人はかなりのストレスを感じる。6割の賛成や肯定というのは、ブログ記事としては大成功の部類に入るが、そのぐらいの水準でもしんどい。毎回炎上している人は、いったいどれぐらいストレスを感じて、どのようなストレスコーピングを働かせているのだろうか。
 
 はてな村の頃は、私はこのような非対称性をあまり意識することがなかった。なぜならはてなブックマークにせよ、はてなダイアリーからのトラックバックにせよ、それらは大抵「アカウントとアイコンが一致する」間柄からのものだったからだ。
 
 ときには私のブログにはてなブックマークが集中し、一時的に非対称性を意識することはあっても、そこに集まったブックマーカーの大半も「はてな村の人々」だったので、誰がどういう反応をするのかはだいたい予測できた。もし、見覚えのない奇妙なアクションをするブックマーカーが現れた場合も、やがてはてな村内部でマークされ、あるていどの自浄作用も期待できた。
 
 だが、今日のtwitterやはてなブックマークでは、これらは期待できない。どこのどういったアカウントなのか全くわからない、自浄作用も全く期待できない状況のなかで、ツイッタラーやブロガーは無数の声に晒される。
 
 [関連]:『ネットの発言にいちいちムキになる方がおかしい』という風潮が当たり前になるくらい、みんなが発言責任を取らなくなってしまった今のネット社会では、議論なんて成立するわけがない - 自意識高い系男子
 
 こちらのブログ記事の問題意識とも重なるのだけど、今のtwitterやはてなブックマークには、自分の好き勝手なことを書いたうえでそのことを指摘されると「いちいちムキになる方がおかしい」と言いかねない人が少なからずいる。
 
 いや、昔のはてな村にだってそういう人はいたのかもしれない。だが、はてな村は現在のtwitterやはてなブックマークよりもずっと規模が小さかったし、どこの誰がどの程度の人間なのかをお互いが周知していたからまだ良かった──村のなかで行儀の良くない言動を繰り返しているアカウントには、そういうアカウントであるというコンセンサスが形成されていったからだ──。人が悪くなったという以上に、スケールレベルの問題として、無責任の極みみたいなアカウントを無責任の極みみたいなアカウントとして周知することが不可能になってしまった。おそらく、現在のはてなブックマーカーのカルマの汚れ具合を、いちいち点検できている人はいないのではないか。
 
 こうした諸々によって、東さんのような大きなtwitterアカウントはもちろん、『シロクマの屑籠』ぐらいのブログですら、圧倒的な数の非対称性に向かって反論を行うことが非常に難しくなっている。こちらのブログ記事でも触れられていることだが、もしtwitterやはてなブックマークで誹謗中傷をされたとしても、それをブロガーの側から否定するコストはものすごく大きい。
 
 そしていちばん卑怯な人々は、そうした「ブロガーの側から否定するコストはものすごく大きい」ことを知ったうえで、言いたいことを安全な場所から言い放っている。更に「それは有名税だ」という台詞がつくこともある。有名税という言葉によってツイッタラーやはてなブックマーカーそれぞれの言動の正邪が変わるわけでもあるまいに。更に「お前の影響力を考えてみろ」という台詞が加わることさえある。だったら数のスケール、数の非対称性も考えてくれよ、と私は言いたくなる。
 
 ……しかしこうした文章も、ブロガーには届くかもしれないが、純粋なはてなブックマーカーやツイッタラーには届かないのかもしれない。そういえば、はてな村でははてなブックマーカーもホームグラウンドとしてブログを持っているのが常だったから、ブロガーの立場が薄々わかっていたのかもしれない。ということは、はてなブックマーカー=ブロガー、ツイッタラー=元ブロガーといった時代でなければ、はてな村という状況は起こり得ないものだったのかもしれない。
 
 
 

「議論ができるコミュニティ」はどこに?

 
 今後、議論ができるコミュニティをどこに求めればいいのか?
 
 東さんがネットでの議論に見切りをつけ、オフラインのコミュニティを意識しているのは、こうした一連の流れとtwitterでのご経験を踏まえれば、とても自然なものだと思う。
 
 では、ここでブログを書いている私はどこに求めればいいのか?
 
 実は私も、オフラインのほうがオンラインより議論に向いている、と思うようになってしまった。オフ会で直接会って話をしたほうが、議論はやりやすい。少なくとも、そういう見込みのある人のところに赴いて言葉を交わすことには十分な値打ちがあると私は信じていて、現在でもときどきオフ会に出向くようにしている。
 
 そういったことを、オンライン、たとえば現在のはてなブログ上でやってのけられるものだろうか。
 
 わからない。そもそもネットで議論をする・異なる意見が並んでいることを良しとする習慣じたい、現在のはてなブログ、ひいてはインターネット全般から失われているようにみえてならないからだ。あるいは世間からも失われているのかもしれない。
 
 ただ、議論ができる人がいなくなったわけではない、とも思う。はてなブログにも、はてなブックマークにも、twitterにも、この人とは議論ができそうだと思えるアカウントは存在する。そういった人とは、お互いに異なる意見を抱えたままでも議論できるかもしれない。もちろん、はてな村の時代に知り合ったブロガーの多くとなら、現在でも議論をやってのけられるだろう。
 
 今日のインターネットで議論をやるのは、いかにも難しい。それでも、できそうな人とはできる議論をやっていきたい。はてな村の元村民としては、そんなことを願いながらブログを書いている。
 
 

ほとんどの人は「友人にカネを貸してはいけない」を理解する必要なんて無い

 
お金を貸して絶縁するだけの話 - やしお
 
 
 リンク先の筆者ははてなダイアリー時代からブログを書いているという。だからかもしれないけれども不思議な読了感があり、そういえば、ブログで対人関係の様式を読むのは久しぶりだな……などと思った。
 
 

対人関係にカネが介在しても平気な性質

 
 まず、筆者さんの対人関係の様式は、なかなか珍しいもののように私にはみえた。日常臨床の世界でもオフ会の世界でも、筆者さんのような人に出くわすことは稀にある。だが、あくまで稀であって、大多数は筆者さんとはだいぶ違う。
 
 リンク先の文章は、「友人にカネを貸したら戻って来なくて絶縁した」といったテーマで綴られているが、こんなテーマで長文を綴れること自体、かなり独特だ。私たちは、友人同士の間柄ではカネの貸し借りをしないし、してはいけないと教わってもいる。もし、どうしてもカネを貸し借りするとしたら、友人関係は終わると覚悟しなければならない。あるいは、返してもらえることをあてにしないような、半ばくれてやるかたちになるのが通例だ。
 
 世の多くの人は、友人関係にカネの貸し借りが挟まることに耐えられない。
 
 ところがリンク先の筆者さんは、そうではない様子であるように読めた。リンク先の文章には、「友人」の映画代や旅行費や飲食費を筆者さんが何年も払い続けていることが記されていた。はてなブックマーク上の反応をみても、この点に唖然としている人が少なくない。
 
 それはそうだろう。世の大半の人は一方的に金銭を肩代わりする/されるような人間関係を「友人」関係とは呼ばない。ほとんどの人はこのような関係には耐えられないし、過去を振り返って楽しかった、などとは思いもしないだろう。
 
 ところが、筆者さんはこれを楽しかったことと回想できる、できてしまうのである。
 
 もし、数年間「友人」から映画代や旅行費や飲食費を払ってもらい続けるのが「友人」としておかしいと指摘できるとしたら、「友人」の金銭を肩代わりし続けて、それを不快な思い出として回想せず、楽しかった思い出として回想できてしまう筆者さんもおかしい、と指摘しなければならないだろう。
 
 おかしいといって語弊があるなら、珍しい、と言い直すべきかもしれないが。
 
 これまでにもカネを貸して戻って来なかった逸話があったのをみるにつけても、この筆者さんは現代日本人では珍しい、対人関係にカネが介在しても不快にならない性質の持ち主と推測される。
 
 このような性質にもとづいて対人関係を営んでいれば、プライベートな人間関係はかなり制限されかねない。なぜなら、世の多くの人は、友人関係のようなプライベートな人間関係にカネが介在することを不快に感じ、簡単には受け容れられないからだ。人間関係にカネが介在することを不快に感じる度合いの高い人ほど、筆者さんの珍しい性質を目の当たりにした時、「この人とプライベートを共有するのはなんとなく難しそうだ」と感じて距離を取るだろう。
 
 そうなると、カネの介在を不快に感じにくい人だけが距離を取らずに「友人」になり得る。しかし、それだけでは終わるとは限らない。金銭を肩代わりすることを楽しかったと回想できる人と付き合うようになったカネの介在を不快に感じにくい「友人」は、ほとんど抵抗なく金銭を肩代わりしてもらえる関係性へと慣れていき、いよいよ金銭を肩代わりしてもらう方向へとなびかずにはいられないだろう。
 
 人間関係にカネが介在することを不快に感じやすい人なら、このような関係性に至ることはまずないのだが。
 
 別のブログ記事のなかで、筆者さんは
 

 友達にお金を貸しちゃダメって話は誰もが言う。だけど、その仕組みをきちんと説明してくれた人はこれまでいなかった。仕組みをちゃんとわかってる人が少ないんじゃないか。「お金のトラブルになっちゃうと友情が壊れちゃうからね」って、そんな理解じゃぜんぜん浅いんだよ。そうじゃない。「お金のトラブルになっちゃうと」じゃない、そんな途中からの話じゃなくて、もう第一手目からこの終局が導かれてるんだよ。
 これね。ようやく私理解しました。友人にお金を貸してすんなり返ってこないって事態が構造的に不可避だってこと、二人目を経験してみてもうすっかり理解しました。
 引用元:https://yashio.hatenablog.com/entry/20151007/1444230425

 と述べている。
 
 私がみるに、確かに世の多くの人は、「友人にカネを貸してはいけない」を浅くしか理解していないと思う。
 
 だが、理解する必要なんて無いのである。
 
 世の多くの人は、「友人にお金を貸してはいけない」を説明されるまでも理解するまでもなく、友達にお金を貸すという行為がそもそも生理的に耐えられない。生理的に耐えられないから、プライベートな人間関係のなかで少額といえどもお金の貸し借りができてしまったら、できるだけ早く解消しようとする。
 
 「友人にカネを貸してはいけない」その仕組みを深く理解しなければならないのは、現代人としての筆者さんの、独特なところだと私は思う。ほとんどの人が生理的に耐えられないものが平気だから、筆者さんは理解という手続きをとおして「友達にお金を貸しちゃダメ」という対人関係の基礎を実行しなければならない。
 
 しかし実際には実行しきれていないことが詳らかにされているわけだから、理解がまだ足りないか、理解という手続きでは十分ではないのかもしれない。
 
 

カネの影響力は強い。強いがゆえに忌避される。

 
 一連のブログ記事を読んで、私は「そういえば人間関係ってカネの論理だけでは上手くいかないものだね」と改めて思い出した。
 
 商取引や仕事の世界では、ほとんどのことがカネでモノやサービスをやりとりすることができる。大昔は必ずしもそうでもなかったが、現代人は、モノだけでなくサービスまでもカネで売買することにすっかり慣れているし、そのことに罪悪感を感じたりもしない。
 
 しかし、何もかもカネの論理でやりとりできるようになったかといったら、そうでもない。友人関係などはその最たるもので、世の多くの人は、そういうプライベートな人間関係にカネの論理が侵入することを嫌がる。
 
 なにしろカネというのは強力だ。カネという影響力の権化は、人間関係に強い力を及ぼさずにはいられない。金銭を肩代わりし続けて/され続けてもなお、お互いの人間関係を全く変化させないのは、ほとんどの人には不可能だ。
 
 聞くところによれば、昭和時代の大政治家、田中角栄は以下のようなことを言ったという。
 

「いいか。お前は絶対に『これをやるんだ』と云う態度を見せてはならん。お前がこれから会う相手は大半が善人だ。こういう連中が、一番つらい、切ない気持ちになるのは、他人から金を借りるときだ。それから、金を受け取る、もらうときだ。あくまで『もらっていただく』と、姿勢を低くして渡せ。世の中、人はカネの世話になることが何よりつらい。相手の気持ちを汲んでやれ。そこが分かってこそ一人前だ」
 引用元:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/goroku/kinkengoroku.html

 ここでいう「大半の善人」と、プライベートな人間関係にカネの論理が侵入することを非常に嫌う人はおおむね重なり合っているのではないか、と思う。
 
 そのような人々は、他人からカネの世話をされること・カネを借りることを忌み嫌う。おそらく田中角栄自身は「大半の善人」には相当せず、文脈に沿った言い方をするなら「稀な悪人」だったのだろう。「稀な悪人」ではあっても「大半の善人」の性質を知悉していたから、田中角栄はカネを使って強い影響力を手に入れていた。
 
 現代人はカネがなければ生きていけないし、友人関係を維持するにも幾らかのカネがかかる。ところがカネは万能というわけでもなく、プライベートな人間関係のある部分には馴染みにくく、強引にねじ込むと何かと歪みが生じてしまう。田中角栄のような「稀な悪人」ならそういった歪みも利用できるのかもしれないが、そうでもない限り、無理筋だと思ってかかったほうがいいのではないだろうか。
 
 
 
 他にも気になる話題はあったけれども、文章が長くなってしまったので今回はここまで。
 
 

特別展「東寺─空海と仏像曼荼羅」で、お参りしたい自分に気付いた

 

 
特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」
 
 
 仏縁に導かれて、東京国立博物館で開催している『特別展「国宝 東寺─空海と仏像曼荼羅」』を観に行ってきた。というより仏様に会いに行く気持ちで出かけたのだけど、さすが博物館での開催、そこには仏様ではなく仏像が展示されていたのだった。
 
 

「仏教美術を堪能したけど、お参りはできなかった」

  
 中国伝来の仏具や空海直筆の手紙なども素晴らしく、私の大好きな胎蔵界曼荼羅もババーンと貼られて気持ちが高まったが、今回の展示のクライマックスは、東寺の講堂にいつも並んでいる仏像たちだった。京都は遠い。なかでも、京都駅から南側に向かう東寺は意識しない限りは回らない。それに比べると上野の東京国立博物館は簡単だ。首都圏に出たついでにスッと行ってこれる。
 
 はたして、東寺講堂の仏像が立体曼荼羅をなしているさまは壮観だった。仏像スキーな人で首都圏在住の人は、これのために出かけたっていいと思う。いつもは講堂にすし詰めになっている明王さまや菩薩さまが、広いスペースに展示されている。しかも仏像を前後左右から眺めることだってできる。こういう観察はお寺ではできっこない。平安時代の仏教芸術を、気が済むまで堪能した。
 
 そして会場を後にした時に、はたと気付いた。
 
 そうだ、今日は私は手を合わせていなかったのだった。
 
 私は仏教美術を堪能したけれども、仏様に手を合わせてはいなかったし、お経も唱えていなかったし、お賽銭を入れてもいなかった。
 
 

 
 今回の展示で、一体だけ写真撮影OKになっていた、この帝釈天像を見返しても、これが仏教芸術の傑作として展示されていたことがわかる。仏教芸術の傑作として鑑賞するのに適した展示だし、これは、東京国立博物館の特別展なのだからそうでなければ困る。
 
 ということは、仏様として拝むような、御仏の教えに思いを馳せる一連の構造物としては機能していない、ということでもある。
 
 昔から、お寺の仏像が博物館などに展示される時には「御霊抜き」をされるといわれている。最近は現地で魂を入れることもあると聞いているが、ともあれ、博物館で展示されている時には仏像として展示されているのであって、崇拝の対象として仏様が安置されているわけではない。
 
 この帝釈天像にしても、立体曼荼羅の仏像たちにしても、人々が崇拝するのに適した展示になっているわけではなかった。あえて俗っぽい言い方をするなら、「賽銭箱のひとつも仏像には並置されていなかった」。
 
 私は仏教美術展に来ていたはずだったが、本心としては、仏様をお参りしたがっていたらしい。冒頭に「仏縁に導かれて」と書いたが、実際、そうだったのだろう。平安時代最高峰の仏教美術に溜息を洩らしながらも、ああ、仏様に手を合わせたい気持ち、お参りしたい気持ちが消化できていなかった。帰りに浅草寺にでも寄っておけば良かったのかもしれない。
 
 
 

「お参りできる仏様たち」

 
 お寺に安置されている仏像は、魂が入っているだけでなく、お寺というコンテキストのなかで仏様として機能している。
 
 

 
 
 例えばこの弘法大師さまは、みんなが仏様としてお参りしているもので、実際、礼拝されるセットのなかに安置されている。お寺の人が毎日礼拝している形跡もある。もちろん私は手を合わせるし、訪れた他の人々も手を合わせていく。
 
 

 
 
 こちらの薬師如来さまも、お参りの対象としてフルセットの状態だ。
 
 これらの仏様は、仏教美術という点でみれば特別展の仏像たちに及ばないし、前後左右からしげしげと眺めやすく展示されているわけでもない。そのかわり、手を合わせたい気持ちのままお参りするには完璧な状態になっている。国立博物館で仏像に手を合わせて拝んだら奇異の目でみられるかもしれないが、これらの仏様に手を合わせて拝んでも奇異の目でみられる心配はない。むしろ、手を合わせないほうが奇異の目でみられかねない。
 
 お寺、それと西洋の場合は教会には、私のお参りしたい気持ちを昂らせる何かがある。
 
 

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

 
 
 ヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』のなかで、複製可能な現代作品とそれ以前の作品を比べてアウラ(今風に言うならオーラ)が有るとか無いとかいったことを語った。インターネット上でライブ的なコンテンツが栄える2010年代に、このベンヤミンの筋書きがどれぐらい適用できるのかはわからないが、ともあれアウラは古い仏像全般に宿っていて、それ以上に、お寺に安置されている仏様にはビンビンに宿っている。なぜならお寺の仏様は、個別の美術品ではなくみんなでお参りされるものだし、お参りされる対象として安置されているからだ。お寺の仏様はお寺ごとアウラに包まれていて、私はそのアウラのなかでアウラの溢れる仏様に手を合わせる。
 
 国立博物館で展示される仏像にも、もちろんアウラはある、なにしろ平安仏教美術なのだから。だけど美術館という場所で個人が仏像と対峙する時、お寺ごとアウラに包まれるなんてことはない。美術館という場所にも相応のコンテキストがあるとは言えるけれども、美術館はお寺ではなく、鑑賞するための場所ではあっても礼拝のための場所ではない。
 
 まあ、そんな御託は置いといて。
 
 子ども時代からの習慣の延長線上として、私には仏様に手を合わせたい欲求が間違いなくあって、だから私はちょくちょくお寺に行く。仏教芸術を「鑑賞」する機会は、それに比べればずっと少ない。私は、仏様にお参りすることには慣れているが、仏教芸術を鑑賞することには慣れていないのだろう。というか、慣れていないと今回の件でわかった。
 
 
 

「そうだ、東寺行こう。」

  

 じゃあ、私はどうすれば良いのか。
 
 決まっている。お寺に行くしかない。お寺を詣でて、諸行無常のならいのなかで生きるということを、因縁・縁起の考え方にもとづいて思い返そう。そうやって、世の中のモノの見方を仏教フォーマットに定期メンテナンスしておかないと、どうも私は駄目らしい。
 
 そして再び出かけよう、むせかえるほどのアウラに包まれた東寺と、その講堂に。
 
 

だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。

 


 
 上掲ツイートは他人事ではないと感じる。
 
 10代や20代の頃、間違いをやらかしている時や危なっかしい時には先生や先輩が叱ってくれた。ときには「お前、何やっているんだ!」的な、まず怒りが飛んでくるみたいな場面もあったし、理不尽を感じる場面もあったが、ともかく、自分のやっていることをまずいと思っている人がいると肌で感じられる場面があり、それが私の行動を軌道修正してくれた。
 
 しかし30代になり、さらに40代にもなるとそういう機会は減った。今、私のことを叱ってくれるのは、若い頃から私のことを知ってくれている先輩や友人ぐらいのものだ。
 
 私だけが叱られにくくなっているわけではない。中年の人々が、たとえば冒頭のツイートのような言動をやらかしたとしても、放っておかれるのをしばしば見かける。私も、他人の言動にやらかしを感じたとしても叱ったりしない。親切心のつもりが逆恨みされても仕方ないわけで、そこでコストやリスクをわざわざ支払う理由が思い浮かばない。他の人々も、そうだろう。
 
 「これをやったら損をする」「これをやったら迷惑をかける」「これをやったらコミュニケーションの失敗確率があがる」──そういう他人の言動が放置されているということは、私自身がそういう言動をやっていたとしても、やはり放置されていると想定される。自覚できない限り、私はまずい言動をずっと繰り返すだろう。
 
 もし、「自覚しない限り、まずい言動を繰り返す」という袋小路を避けたいなら、叱ってくれるような人間関係をつくって中年期に臨むか、同世代や年下からも叱ってもらいやすい自分自身になっておくか必要がある。
 
 そしてもし、本当の本当に誰も叱ってくれなくなってしまったら、よほど自覚する力が強いのでない限り、まずい言動を繰り返す中年が爆誕することになる。
 
 いやむしろ、まずい言動はエスカレートするかもしれない。誰も叱ってくれず、自覚する力も乏しい人は、自分の言動はどれもセーフだと思い続けるだろうから、どれだけ迷惑をかけていようが、どれほど人心を失い続けようが、その行動を改めることができない。自覚する力が乏しければ乏しいほど、事態が深刻になるまで気付きようもないので、その自覚力の乏しさに応じた破局や騒動が起こってようやく気付く(ことがある)。
 
 

相互不干渉の社会で「叱る」「叱られる」難しさ

 
 そもそもの話として、「叱る」は、現代社会では歓迎されていないのではないか。
 
 「叱る」とは、他人に対するかなり強い干渉だ。親が子を叱ったり、指導医がレジデントを叱ったりするのは、強い干渉を行ってもおかしくない立場や役割があるからで、逆に言えば、そういった立場や役割も無いのに「叱る」というアクションが許容されることはまず無い。
 
 だから赤の他人を「叱る」のは難しい。
 なぜ、赤の他人にそのような強い干渉をするのか・して構わないのか?
 これに答えられる状況でない限り、不当な干渉とみなされかねない。
 
 逆に赤の他人に「叱られる」のも同じぐらい難しい。
 なぜ、赤の他人に強い干渉をされなければならないのか?
 これが理解できる状況でない限り、私たちは「叱られる」を不当な干渉と解釈する。
 その結果、憤ったり、傷ついたりすることもある。
 
 相互不干渉は、現代社会ではひとつの通念として浸透している。
 
 かつての日本では、相互干渉は日常茶飯事だった。親が子を叱ったり、指導医がインターンを叱ったりするのは当然のこととして、近所の人に口出しされる・姑が嫁にお小言を言う・上司の家まで飲みに行く、といったかたちで無数の干渉がまかり通っていた。しがらみが無数にあった、とも言えるだろう。「叱る」は、そういった無数の干渉のひとつとして、いろいろなコンテキストのなかで発生し得るものだった。
 
 団塊世代以降の人々は、そうした無数の干渉を嫌って、しがらみを避けて、相互不干渉な社会を建設してきた。新興住宅地での生活によって、地域社会的な濃密な干渉は希釈された。物理的にも精神的にも核家族化が進んで、嫁姑のコンフリクトも緩和された。90年代以降は会社の上司と部下の飲みニケーションも減少し、少なくとも昭和時代に比べれば上司から部下への干渉は減った。
 
 現在は職場でのセクハラやパワハラが問題視されているが、これは、上司から部下に対する干渉についての私たちの意識が変わったからでもある。相互不干渉の通念がいよいよ徹底し、干渉に対して私たちはどんどんデリケートになったから、昭和時代には許容されていた干渉、我慢の対象だった干渉が、令和時代にはハラスメントとして告発されることになる。部下の側だけが嫌がるのでなく、大半の同僚や上司もそれをハラスメントとみなし、許さないだろう。
 
 相互不干渉の浸透した社会のなかで他人に干渉することはますます難しく、勇気の必要な、リスクを孕んだものになっているわけだから、私たちはおいそれとは他人を叱れないし、他人に叱られにくくもなった。ここでいう「他人に叱られにくくなった」とは、他人に叱られる頻度が低下したという意味だけでなく、他人に叱られ慣れなくなった、という意味も含んでいる。
 
 「叱られる」というルートで他人から何かを学び、自分自身の言動を省みるのは非常に難しくなっているのではないだろうか*1
 
 

高い自覚力と自立性を身に付けられるものか

 
 誰も叱ってくれない社会では、自分の言動のまずい部分を自覚できないまま、ますますまずい中年になってしまうのやもしれない。他方で戦後の日本人がそのような社会を望み、相互不干渉という果実を手に入れ、好き勝手に生きられるようになったのだとしたら……その功罪はどう考えるべきなのか。
 
 どうあれ、「中年になったら誰も叱ってくれない」社会、いや、「若いうちから相互干渉に非常にセンシティブな社会」では、私たちは相互干渉が当たり前だった頃に比べてずっと高い自覚力と自律性を求められるのだろう。しかし、現代の40代以降を見ればわかるように、それは誰もがやってのけられることではないし、完璧にやってのけられることでもない。私も自信は全く無い。ここらへんで「そんじゃーね。」と言って匙を投げたくなってしまう。
 

*1:もちろんインターネットで誰かに叱られる場合も、叱られるのが不当な干渉ではないと判断するに足りるだけの文脈が必要になる。そのような文脈をインターネットの繋がりだけを経由して作るためには、相応の期間と信頼関係が必要で、これも簡単なことではない