シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「発達障害者のための理想のかばん」はすごく便利

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 
 上掲の本、生きていくための気付きや指針が盛りだくさんで、売れまくっているのもさもありなん……みたいな気持ちで見守っています。
 
 この本のページをめくるたびに、私は「自分も発達障害じゃないか?」と思わずにはいられません。私の机の上はいつも散らかっていますし、印鑑や書類の管理にはほとほと困ってきました。そういう来歴を思い出してしまうからです。
 
 で、この本の前半パートには「発達障害者のための理想のかばん」が登場します。
  

 ADHD傾向の強い人は、持ち物の管理が苦手なことが多いかと思います。僕も大変苦手です。物をどこに収納したのか覚えておくのは本当に苦手ですし、パッキングも信じられないほど下手です。すぐにあらゆる物がどこかへ消えます。大事な書類も、大切にしたかった万年筆も、実印も、何もかもです。
(中略)
 混乱したかばんの中身は、混乱した頭の中身です。逆に言えば、かばんが整えば頭が整う。世界が少しだけ、それでもとても効果的に変化すると思います。ぜひ、試してみてください。
 
 借金玉『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』より

 私はこの本のあとがき解説担当だったので、去年の秋頃にドラフト原稿を読み、「発達障害者のための理想のかばん」というフレーズを知りました。すぐさまAmazonで検索し、自分用に購入しました。
 
 私はフォーマルにADHDと診断されたわけではありませんが、不注意な人間で、絶えず頭のなかで何かを考え続けていなければならず、大事なモノをしばしば無くします。出張や旅行に出かける際などは、出発の前々日から忘れ物チェックをやらなければならず、そうやってさえ、1つや2つの忘れ物は避けられません。
 
 そもそも、忘れ物チェックがチェックとして成立していないのです。忘れ物チェックのためにとりだした品を、ほんの一瞬、床の上に置いてしまってそれっきり……といったことがあるため、チェックが仇になって、必要な品がかばんの中から出て行ってしまうことがよくあります。忘れ物チェックがチェックとして成立している人と、脳内処理の何かが違っているのでしょう。
 
 そんな私にとって、借金玉さんが紹介してくれたかばんは理想的なアイテムでした。なにしろ、かばんを開けばどこに何がしまわれているのかが一目瞭然なので、かばんからものを取り出さなくても忘れ物チェックができます。出先で何かを取り出す際も、かばんをひっくり返して探さなければならない事態が避けられるようになりました。
 
 もともと大容量なので、いざとなったらあれこれ詰め込んでも何とかなるのもありがたい。たくさん詰め込み過ぎるとかばん内の一覧性が下がってしまうため、ミッションが片付く前に詰め込むのは危険ですが、後は家に帰るだけになれば、お土産品などをたくさん詰め込めます。
 
 これらの「発達障害者のための理想のかばん」は、ファッション性では、たとえばイタリア製の革製かばんなどに見劣りするのは否めません。でも、実用品として割り切って使うぶんには期待以上の有用性をみせてくれました。『ひらくPCバッグ』のほうは2016年度のグッドデザイン賞を受賞していますが、なるほど、実際に使ってみると使いやすさがよくわかります。
 
 

かばんの中身を管理できない人にオススメ

 
 ということで、かばんに入っている品を上手に管理できない人には、この「発達障害者のための理想のかばん」はお勧めです。
 
 私が思うに、ADHDという病名の有無にかかわらず、世の中には二種類の人間がいます。つまり、バッグやかばんに入っているものを管理できて、自由自在に出し入れできる人間と、そうでない人間です。
 
 「かばんに入れといたはずなのに、あれが出て来ない!」って涙目になりながら東京駅のホームでかばんを引っ掻き回したことのある人、かばんをひっくり返して中身をグワシャーって出さざるを得なくなる人などは、私と同じく、管理できない人間です。そういう人には「発達障害者のための理想のかばん」は強い味方になることでしょう。
 
 このほかに、借金玉さんの上掲書籍には、整理整頓が駄目な人・モノの管理が苦手な人のためのアイデアやアイテムがいろいろ載っているので、その手の人にはおすすめです。発達障害の有無とは関係なく、お役に立つかと思います。
 
 

それでもwikipediaは楽しい

 
 日本語圏のwikipediaを悪く言う人がいます。
 
 曰く、間違いだらけだ、サブカルチャーに記述が偏っている、英語圏に比べてガッカリ、などなど。でも、暇つぶしや知識の幅を広げる入口としては、まだまだ最高・最強ではないでしょうか。
 
toya.hatenablog.com
 
 上掲は、一年ほど前に書かれたwikipedia沼についてのブログ記事ですが、挙げられている項目を読むにつけても、やっぱりwikipediaは侮れない……少なくとも読み物として面白いと思わずにいられません。やっぱり読みましょうよ、wikipedia。
 
 
・手軽で膨大。「だから全部読め」「全部読めって言ってるんだよ!」
 
 wikipediaには長所がたくさんありますが、検索上位に引っかかるのもそのひとつです。最近は、わけのわからないサイトに負けていることも増えましたが、それでも検索上位に位置していて、「簡単に検索できる」のはありがたい。そのくせ、あらゆる学問、あらゆる遊び、あらゆる人やモノについて書かれているわけですから、やはりwikipediaはインターネットの遺産のひとつと思わずにはいられません。
 
 wikipediaには間違いが含まれているというのは事実ではあります。
 その一方で、あらゆる事物を浅く読んでみるにのに最適なのも確かです。

ロバート・バーンズ・ウッドワード - Wikipedia
日本語 - Wikipedia
シャルル6世 (フランス王) - Wikipedia
 
 今日は科学者、今日は日本語、今日はフランス王朝について……とやっていくと本当にきりがありません。特定ジャンルの浅さや不正確さについて難癖をつける人はいても、「ジャンルが狭い」と馬鹿にする人は見たことがありません。日本語圏に集積した知識について、広く浅く目を通すのにwikipediaほど優れたメディアが果たして存在するでしょうか。
 
 そしてつまみ食いするより通読するほうがwikipediaの知、広く浅い知は広がります。たとえば元素記号をひとつふたつ取り出して読むのでなく、遷移金属を片っ端から読んだほうが面白く、そこからハイパーリンクを行き来して関連項目を力尽きるまで読むのは趣があります。
 
Category:遷移金属 - Wikipedia
瑞祥地名 - Wikipedia
Category:城下町 - Wikipedia
近い恒星の一覧 - Wikipedia
Category:日本国有鉄道の新性能電車 - Wikipedia
Category:古代ローマの独裁官 - Wikipedia
 
 
 wikipedia沼には、「深い」というより「広い」という言葉が似合います。ハイパーリンクのおかげで、その広大無比な沼を行ったり来たりできるのが最高です。ハイパーリンクは人類の遺産、辞書に比べて関連項目が調べやすく、興味の幅を広げられるのがありがたいです。
 
 wikipediaを過小評価している人は、たとえば日本語版wikipediaの30%でも通読したのでしょうか。自分自身の専門分野や得意分野だけをみれば、確かにwikipediaには「深さ」が足りなかったり「正確さ」が不十分だったりするでしょうけど、そうではなく、その「広さ」に着眼して手当たり次第に全部読んで、片っ端から憶えてまわることに意味はないものでしょうか。
 
 専門分化が進んでいる現代社会では、広い知識にメリットは無い、と切って捨てる人もいるでしょう。それはそれでわかる話です。それでも、「全部読む」とまではいかなくても「極力全部読んでみる」を心がけた時、wikipediaの知の広さは馬鹿にしたものじゃあないと私は思います。究めれば、昭和時代の「博士くん」どころじゃあないはず。
 
 
 ・間違ったっていいじゃないか、入り口だもの
 
 むろん、wikipediaをソースにしてレポートを提出したり責任のある仕事をしたりして構わないわけではありません。wikipediaの長所は「深さ」や「正確さ」より「広さ」なのですから、深さや正確さを求められる場面ではあてになりません。
 
 「広さ」がウリで、検索エンジンにも拾われやすいwikipediaだからこそ、初学者が興味を持ち、読みまくって「広さ」をとりあえずで確保するために用いるのが良いように思われます。
 
 レポートや仕事に用いないぶんには、間違ったっていいじゃないですか、入り口だもの。インターネットには、鬼の首を取ったように間違いを指摘したがる人々がいるので、彼等の言葉に耳を傾ければwikipediaの短所もある程度は補われます。ですから、彼等をあてにしながら読み進めればいいのです。たとえば、八百屋のオヤジがwikipediaを読み漁り、徳川将軍家について不正確な部分を含んだ知識をインストールして、後から間違いを指摘されたとしても恥ずかしいこととは思えません。読まないよりは読んだほうがいい。
 
徳川将軍家 - Wikipedia
 
 そして本格的に調べたいとか、レポートや仕事に用いたいと思った時にこそ専門書をあたるべきで、wikipediaの「広さ」は、素人がその専門書を読みこなすための下地をうまく提供しているように思います。また、脚注の項目にはリファレンスした専門書や専門家の名前が並んでいるので、そこを調べれば意外に「深い」ところまで辿り着くヒントになることもあります。
 
 いまどきは、教養は死んだという言う人もいて、それはそれでわからない話ではありませんが、ほらそこにwikipediaがあるじゃあないですか。wikipediaの「広さ」は、教養を面制圧するにはすごく向いていて、しかも、必要な箇所を深堀りするためのヒントすら散りばめられているのだから、もっとみんなwikipediaを読んで楽しんでいいと思うし、wikipediaはもっと読まれてもいいように思います。
 
 ちょっと疲れてきたので、今日はこのへんで。
 

戦術や戦略よりも「政治」が足りない人っているよね

 
戦術と戦略 - REVの日記 @はてな
 
 戦記モノの創作作品では「戦術よりも戦略が大事」などと言われるし、主人公TUEEE優先の作品では華麗な戦術が描かれる。まあしかし、小市民の生活に本当に必要なのは戦術でも戦略でもなく「政治」なんじゃないかと思うことが稀によくある。
 
 リンク先でも触れられている『銀河英雄伝説』では、繰り返し、戦術よりも戦略が重要、といった語りが出て来る。ヤンもラインハルトも戦場では戦術の名人だが、戦略こそが大局を決定し、その戦略をプラニングできるラインハルトこそが本物の天才だ、っていうアレだ。
 
 大局を見据えて戦略をプラニングする力は、現実の指導者にも求められるものだろう。
 
 
 ところで、『銀河英雄伝説』には「政治」の天才、それもラインハルトとはまったく違ったタイプの「政治」の天才も登場する。
 
 

 
 その筆頭格は、のらりくらりと危機を回避し、いつでもどこでものさばってみせるヨブ・トリューニヒトだ。彼は素晴らしい俗物で、ラインハルトのような戦略構想は持ち合わせていなかったけれども、「政治」は抜群に巧かった。物語の後半、彼はロイエンタールの気まぐれに巻き込まれて退場してしまうけれど、そうでなければのさばり続けたに違いない。
 
 我らが日本にも、この種の「政治」の天才がたくさんいた。
 
 戦術は二流、戦略も偏っているけれども、なぜか中央の上役にはかわいがられて、たくさんのチャンスと、料亭巡りを与えられていた将校たち。いや、彼らはチャンスや料亭巡りを与えられていたのではなく、みずからの才覚で獲得していたわけだ。彼らは自分達の置かれた状況のなかで彼らなりの「政治」をやってのけて、死亡率の高い大戦を生き残った。戦後ものさばり続けた彼らは、小市民的な「政治」の天才と言える。その天才性は国家や国軍に貢献するものではなかったかもしれないが、個人の適応にはとことん貢献しただろう。
 
 創作作品のなかには、「戦略」と「政治」が曖昧で、だいたい同じようなものとして語られるものもある。その場合の「政治」はだいたい「大きな政治」で、下剋上する天才が世間を一刀両断してみせるようなエンタメでは強調されがちだ。
 
 でも市井の生活では、そういう「大きな政治」を考えなければならない場面は少ない。絶無、という人だっているだろう。でもって、「小さな政治」が御社でも弊社でも幅をきかせていて、いわゆる「社内政治」ってやつを形成していたりする。そういう局所局所では、「小さな政治」の天才が今日も暗躍しておりますナァ。
 
 『銀河英雄伝説』の話に戻ると、主要登場人物の「小さな政治」手腕については、作中では強調されていなかったし、それはそれで当然だ。常勝の英雄や不敗の名将が小市民的才能を発揮している姿なんて、読者は見たくもないだろう。
 
 だけど、いかにも「小さな政治」に疎いようにみえるヤンだって、士官学校時代からのコネとか、シェーンコップと話をつける際の振る舞いとか(特に新アニメ版)、「小さな政治」がそれなり出来ていた形跡はある。一見、不器用タイプにみえるヤンだって、職場の隅っこで自分の言いたいことが言えずにいる御社や弊社の社員よりは「小さな政治」ができるんじゃないかなぁ。
 
 この手の「小さな政治」はとかく忌避されやすく、「大きな政治」の足を引っ張りやすいと言われることもある。それもそうだろう。けれども、立派な戦術論や戦略論が描ける人でも、この「小さな政治」をおざなりにしてしまった挙句、だんだん立場や発言力を失っていく人もいるわけで、ヨブ・トリューニヒトを尊敬しろとは言わないまでも、ああいうのも人間社会の才覚のひとつだよね、ぐらいには思っておいたほうがいいなぁと思ったのでこれを書きました。
 
 

ロフトプラスワン新宿『本当は働きたくない。』オフ会報告

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 
 
 今回、借金玉さんの新著発売に関連してロフトプラスワン新宿でひらかれたトークショー『本当は働きたくない。』に参加させていただきました。私はオフ会感覚で参加し、ご来客の皆さんと登壇者サイドがコンテキストをかなり共有できたと感じたので、「やっぱりこれはオフ会だ!」という印象を深め、旧時代の作法にのっとってオフ会レポートを書いてみました。
 
 

会場の雰囲気、お客さんの様子

 




 
 当たり前っちゃ当たり前ですが、医療系の討論の場とロフトプラスワンでは空気も違うし、ご来客の皆さんのコンテキストも違っているわけで、非常に揮発臭の高い物語りができたように思います。でもって、会場の空気、ご来客の皆さんの追随性が高いというか、ともすれば社会を脱線しがちな壇上に皆さんがついていっている感が興味深くもあり、頼もしくもありました。
 
場所感の喪失〈上〉電子メディアが社会的行動に及ぼす影響

場所感の喪失〈上〉電子メディアが社会的行動に及ぼす影響

  • 作者: ジョシュアメイロウィッツ,Joshua Meyrowitz,安川一,上谷香陽,高山啓子
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 6回
  • この商品を含むブログ (11件) を見る
 
 「場」が変わると物語りが変わる――これは、メイロウィッツ先生の『場所感の消失』にモロ該当する話であり、空間と人間が織りなす変化の最たるものでしょう。学会などで語られる正統な議論とはまた別に、アンダーグラウンドに近い場でしか語られない言葉、表現があるってのは改めて感じました。どちらが良い/悪い ではなく、表立った議論とはまた別に、伏流水として交わされる言葉があり、そういったものも社会の一部であることをまじまじと体験できました。
 
 精神科医ブロガーとしての私は、そのアンダーグラウンドに近い立ち位置に存在していると思うので、こういう集まりに対して積極的でありたい、そして語られた言葉を憶えておきたいものです。
 
 

壇上は「ワルプルギスの夜」

 
 主催の借金玉さんをはじめ、皆さん一癖二癖もある感じで、こういう社会適応もあるのかぁ……としみじみと感じ入りました。これは、ご来客の皆さんに関してもある程度言えることで、『本当は働きたくない。』という名の魔女の集会に参加しつつも、それぞれ社会適応をやっておられることでしょう。でも、社会適応ってそういうものだし、これも多様性ってやつではないでしょうか。
 
借金玉さんは本日の主役でありながら、司会進行を巧みにやってらっしゃったと思う。ADHD傾向等があって治療歴もあるとうかがってはいるけれども、それを補うバイタリティとノウハウ積み重ねを思わせる語りっぷりだった。新著『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』は、まさにその借金玉さんのノウハウや視点が詰まった一冊で、著者と書籍が見事に合致していると思う。おすすめ。↓
 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 
えらいてんちょうさんは、想定していたより若い方だった。いわゆる「借金玉界隈」のなかでは落ち着いた振る舞いの方だと前々から思っていたし、事実、しっかりしておられて、幾つか抜け落ちている部分があったとしてもこれはこれでひとつの(カードゲームで言えば)「できあがったデッキ」だと思った。不可思議なマネジメント能力をお持ちになっていて、それで人がついてくる感がある。
 
ほわせぷさんは、数年前からtwitterの一部界隈で勇名を馳せていたけれども*1、はてして、実物は想定以上のトリックスターだった。自分はインターネット上で色々なトリックスター的な人物に遭遇してきたつもりだけれども、ここまで飄々と社会をコケにしつつ、社会への乗り降り自在っぽい人材はたぶん初めて見た。リアル『這い寄る混沌』、会場を大いに沸かせておられた。
 
・実在するphaさんと言葉を交えることができて嬉しかった! 低体温な語りをこなしながら、テーブル上の飲み物の上げ下げをきちんとこなすあたりは「phaさんはphaさんなりに社会適応度を上げているぞ、これは」と思った。元来の性質のいかんに関わらず、人は年を取り、経験によって伸びていく、そんなことを思ったりもした。ただし、それに加えて、やはりこの人には不思議な「徳」があるようにも思った。えらいてんちょうさんに感じるものとはまた別の素養、いや、素養というより、今回は「徳」という言葉が想起されてならなぁった。
 
小林銅蟲先生、壇上では大変腰の据わった振る舞いをしておられた。「発達障害」という文脈で悩んだ経験は無く「性格」だとおっしゃっていたのは、いまどきの発達障害ブームのなかでは忘れてはいけない視点だし、少なくとも銅蟲先生に関してはなんら問題あるまい。しかし発達か性格かはさておき、この方も不思議な星回りのもとに今ここに立っていて、その星回りを支えるアートは、そうそう再現できるものではあるまい、とも思った。
 
まくるめさん、ASD的文脈で御自身を語っておられて、壇上ではそれが違和感なく受け入れられた。ちなみにままあることだけれど、twitter上では華やかでソフトな話者だったためか、もう少し借金玉さんに近いプロフィールかなと感じていたけれども、ちょっとあてがはずれて、私もクンフーが足りないなあと思った。「物語」について非常に考えていらっしゃるので、そのあたり、またお話をうかがいたい。
 
ノースライム先生(北先生)は、インターネットをとおして群れになった懲戒請求者に直面したという点では、今日のインターネットの最前線におられる、と考え直した。で、語らいの調子と仕事術をうかがうに、インターネット的人材に染まっていく可能性大だろう。いや違うか、そのインターネット親和性こそが今日のノースライム先生の有り様を生み出しているわけか。
 
はブロガー精神科医という意識で登壇したけれども、登壇者各位の放つ混沌に圧倒されて、気が付いたら「おまえらもちつけ」「どちらかといえば俺は秩序の側」的な立場になっていてびっくりした。本当はもっとカオスなノリでお喋りをばらまくつもりだったのに。しかし、年齢や職業を考えればそれで良かったのだろう。このトークショーだからこそ語られる物語りをあまり邪魔していなかったとしたら、なによりだと思う。尤も、私のいかんに関わらず、今回の登壇者の皆さんなら我が道を進んだに違いないけれども。
 
・こういった面子が集まって会場の雰囲気と共犯関係を作ったものだから、本当にワルプルギスの夜と喩えたくなるような、異様な熱気に包まれた三時間半だった。この集まりは決して再現できるものではなく、今、この場所に、この面子が集まって、この会場とご来客の皆さんの共犯関係があったからこそ完成した一回性の魔術であり、これぞライブトークの魅力であるなぁと思った。
 
・私自身も含めて、登壇者は全員、全く違ったスタイルで社会に適応していて、独特の社会的ニッチをつくりあげて今を生きているのだと思う。独特の社会的ニッチを作り上げた面々だからこそ、それぞれに社会適応の一家言を持ち得ていて、だから社会の話や適応の話については全員無尽蔵に話ができるという感じ。
 
・登壇者各位の生き方は、必ずしも再現可能なものではないかもしれない。それでも、登壇者の語る魔術のような語りの破片を持ち帰って、それぞれのご来客の皆さんの、一度きりの人生という名の魔術(個々人の人生は一回きりの再現できないものという点では、技術よりも魔術に近い)に持ち帰れるものがあったとしたら、幸甚のきわみだと思う。そこまで願うのは、欲張りすぎかもしれないけれども。
 
・「30歳になってからのメンヘラアイデンティティの困難」「ナラティブ(物語)としての診断名とサイエンスとしての診断名」みたいな話題は、それ単体でトークショーのテーマになるぐらい大きな話だったけれども、今回はサラッと流れていったので、おいおい、オンラインかオフラインで語り直していきたいなと思った。これに限らず、まあその、話題の宝庫というか、また会ってお話したい皆さんでしたね。
 
 
 

客席から投げ込まれたハンドアックス

 
 今回、はてな界隈でネットウォッチャーとして勇名を馳せているhagexさんにお目にかかれた!一挙一動をウォッチされちゃう!とか思っていたけれども大変ジェントルな方で、(いや、やっぱりウォッチはされていたに違いない)、トークライブについての知見をいろいろ教えていただいた。今回のトークショーの前半パートについて「借金玉さんが司会進行に忙しくて、巧みにこなしてはいらっしゃるけれども御自身の話題に触れる暇が無い」と指摘されていたのは、なるほどそのとおりと思った。借金玉さんが主役のトークライブなのに、私も含めてほかの登壇者の語りが多い感じでスタートしていた印象は、確かにあったと思う。このあたり、hagexさん自身もトークライブをされているだけあって、研究なさっている感があった。
  
 ご来客されていたafcp先生が最後に「お父さんお母さんについて一言!」と質問されていて、会場がドッと沸いたのは素晴らしいフィナーレだった。
 


 
 今回の登壇者は、私も含めて親や実家について言及していなかった――この場合、言及していなかったということ自体がひとつの兆候であることをワンフレーズで射貫いた感じがあった。「よっ!精神科医!」と讃えずにはいられない。 でもって、この一言で会場がドッと沸いたこともひとつの兆候だと思う。ご来客のかたがたのなかにも、この「お父さんお母さんについて一言!」が五臓六腑に染み渡った方が多かったからこそ、ドッと沸いたのかなぁと思った。
 
 ご両人をはじめ、ご来客の皆さんと雰囲気を共有したことでできあがった物語りだったわけで、改めて、ご来客各位に御礼申し上げます。めっちゃ楽しかったです。一参加者がインターネットに書けそうな所感としては、こんな感じでご査収ください。
 

[togetterはこちら]:5/27 借金玉本発刊記念 #働きたくないトークショー - Togetter
[他の方のオフレポ]:借金玉 デビュー作出版記念トークライブ #働きたくないトークショー 行ってきた - にょろり
 
 
 

うちの編集さんもいらっしゃっていたので、自著の紹介も

 

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 「30歳から先のアイデンティティの問題」にモロ関連した一冊かと思います。こちらもご興味があるようでしたら、是非に。
 
 
 

 

*1:詳しいことはググってください

借金玉『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』の巻末解説を担当しました

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 
 もう書店に並んでいるみたいですが、借金玉さんの著書『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』が出版されました。その巻末解説を私が担当いたしました。
 
 この本は、発達障害当事者である借金玉さんが書いた本で、ADHDをメインとする治療歴が反映された一冊だと思います。しかし一読者として読むと、ADHDや発達障害といった括りにおさまりきらない、もっと広範囲の社会適応のエッセンスを語った本であり、借金玉さんという一人の当事者の世界観が反映された本でもあります。
 
 この本、ブログに紹介したくなる面白いアイデアがたくさん書かれていて、紹介されている道具や方法のいくつかは原稿の段階で私も採用しました。私はパブリックにADHDと診断されたことはありませんが、この本に書かれている内容には思い当たるところが色々あり、それは、"発達障害がスペクトラムという概念である"以上、それほどおかしなことではないと思います。
 
 もっとわかりやすく言えば、発達障害の人の仕事術は、発達障害と診断されていない人の仕事術と、地続きだと思うのです。仕事の方法や職場の振る舞いで困っている非-発達障害の人のなかにも、この本が参考になる人が少なからずいることでしょう。
 
 なお、この本はちょっと分厚いですが、借金玉さんの文体には「リズム」があり、これに乗れるとたちまち読み進められます。お買い求めになる際には、是非、書店にて立ち読みをしてみてください。「リズム」に乗れると感じた人は、そのためだけに買ってもいいかもしれません。「リズム」に乗ると「スピード」が伴います。推薦文としてはメチャクチャな気もしますが、この本、本当に「リズム」と「スピード」があるんですよ。それが借金玉さんの魅力のひとつでもあります。
 
 ここからはちょっと違った話を。
 
 借金玉さんにせよ、ちょっと前にモテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門 (文庫ぎんが堂)を出版されたトイアンナさんにしても、あるいは私自身にしても、ネットから出発して社会適応の本を出そうとする人って、多かれ少なかれ社会適応に苦労した経験があって、その経験を背景として書籍を書いている部分があるように思われます。
 
 なんていうんですか、社会適応に苦労した時期に「社会適応の自明性」みたいなものが喪われていて、喪われているからこそ自分なりの社会の眺め方を獲得して、「社会適応を頭で考えてエミュレートしながら」生きているというか。
 
 そんなのは誰にでもある、とおっしゃる人もいるでしょうし、たとえば新人歓迎会の際の新人さんの振る舞いなどのように、人間の社会行動には「エミュレートしている感じ」が伴うのは自然ではあります。でも、その程度が甚だしいと、社会行動のより広い範囲をエミュレートしなければならず、頭がいっぱいいっぱいになりやすくなります。そのかわり、社会適応の言語化もはかどるのではないでしょうか。
 
 およそ社会適応について掘り下げた視点をする人は、社会適応について掘り下げなければ生きていけなかった人なのだと思います。少なくとも私にはそういう部分があったので、借金玉さんがこういう本を著されたことに、親近感を覚えずにはいられません。そのあたりについても巻末解説でも少しだけ触れました。なんとなく他人事ではないので、売れてくれたらいいなぁと願っています。
 
【ついでに私の近著も貼り付けておきます。よろしければどうぞ】
 
認められたい

認められたい

 重版となりました。承認欲求でうまくいかない人におすすめです。
 
「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 おじさんおばさんになりたくない人、若さにしがみつきたい人におすすめです。