シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

戦術や戦略よりも「政治」が足りない人っているよね

 
戦術と戦略 - REVの日記 @はてな
 
 戦記モノの創作作品では「戦術よりも戦略が大事」などと言われるし、主人公TUEEE優先の作品では華麗な戦術が描かれる。まあしかし、小市民の生活に本当に必要なのは戦術でも戦略でもなく「政治」なんじゃないかと思うことが稀によくある。
 
 リンク先でも触れられている『銀河英雄伝説』では、繰り返し、戦術よりも戦略が重要、といった語りが出て来る。ヤンもラインハルトも戦場では戦術の名人だが、戦略こそが大局を決定し、その戦略をプラニングできるラインハルトこそが本物の天才だ、っていうアレだ。
 
 大局を見据えて戦略をプラニングする力は、現実の指導者にも求められるものだろう。
 
 
 ところで、『銀河英雄伝説』には「政治」の天才、それもラインハルトとはまったく違ったタイプの「政治」の天才も登場する。
 
 

 
 その筆頭格は、のらりくらりと危機を回避し、いつでもどこでものさばってみせるヨブ・トリューニヒトだ。彼は素晴らしい俗物で、ラインハルトのような戦略構想は持ち合わせていなかったけれども、「政治」は抜群に巧かった。物語の後半、彼はロイエンタールの気まぐれに巻き込まれて退場してしまうけれど、そうでなければのさばり続けたに違いない。
 
 我らが日本にも、この種の「政治」の天才がたくさんいた。
 
 戦術は二流、戦略も偏っているけれども、なぜか中央の上役にはかわいがられて、たくさんのチャンスと、料亭巡りを与えられていた将校たち。いや、彼らはチャンスや料亭巡りを与えられていたのではなく、みずからの才覚で獲得していたわけだ。彼らは自分達の置かれた状況のなかで彼らなりの「政治」をやってのけて、死亡率の高い大戦を生き残った。戦後ものさばり続けた彼らは、小市民的な「政治」の天才と言える。その天才性は国家や国軍に貢献するものではなかったかもしれないが、個人の適応にはとことん貢献しただろう。
 
 創作作品のなかには、「戦略」と「政治」が曖昧で、だいたい同じようなものとして語られるものもある。その場合の「政治」はだいたい「大きな政治」で、下剋上する天才が世間を一刀両断してみせるようなエンタメでは強調されがちだ。
 
 でも市井の生活では、そういう「大きな政治」を考えなければならない場面は少ない。絶無、という人だっているだろう。でもって、「小さな政治」が御社でも弊社でも幅をきかせていて、いわゆる「社内政治」ってやつを形成していたりする。そういう局所局所では、「小さな政治」の天才が今日も暗躍しておりますナァ。
 
 『銀河英雄伝説』の話に戻ると、主要登場人物の「小さな政治」手腕については、作中では強調されていなかったし、それはそれで当然だ。常勝の英雄や不敗の名将が小市民的才能を発揮している姿なんて、読者は見たくもないだろう。
 
 だけど、いかにも「小さな政治」に疎いようにみえるヤンだって、士官学校時代からのコネとか、シェーンコップと話をつける際の振る舞いとか(特に新アニメ版)、「小さな政治」がそれなり出来ていた形跡はある。一見、不器用タイプにみえるヤンだって、職場の隅っこで自分の言いたいことが言えずにいる御社や弊社の社員よりは「小さな政治」ができるんじゃないかなぁ。
 
 この手の「小さな政治」はとかく忌避されやすく、「大きな政治」の足を引っ張りやすいと言われることもある。それもそうだろう。けれども、立派な戦術論や戦略論が描ける人でも、この「小さな政治」をおざなりにしてしまった挙句、だんだん立場や発言力を失っていく人もいるわけで、ヨブ・トリューニヒトを尊敬しろとは言わないまでも、ああいうのも人間社会の才覚のひとつだよね、ぐらいには思っておいたほうがいいなぁと思ったのでこれを書きました。