ガールズ&パンツァー 劇場版 (特装限定版) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2016/05/27
- メディア: Blu-ray
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我が家も劇場版を購入して、みんなで視聴している。
最高だ!
でも音はやっぱり寂しい。腹に響くような重低音はいかんともしがたく、また劇場に行きたくなるのもわかる。
それはともかく、タイトルどおり『ガールズアンドパンツァー』という作品は、男性ホモソーシャル集団の理想郷のような作品でもある*1。
この作品は、色んな角度から褒め称えられて然るべきだが、男性ばかり集まった青少年集団を徹底的に美化して描いてみせた構図も長所のひとつだったように思えるので、そこを言語化してみる。
男性ホモソーシャル集団の「臭み」「嫌らしさ」を徹底的に脱臭
『ガールズアンドパンツァー』には、表向きとしては女性キャラクターばかり登場する。その女性キャラクター達を、「戦車というアイテムと組み合わせて男性のメタファー」などと時代遅れの発想で説明したいわけではない。それでも、その女性キャラクター達に描きこまれた言動は、旧来のジェンダーコード上、男性的なものが多数派を占めている。
各校の魅力的な指揮官達。皆、男性的な指導力、力強さ、竹を割ったような態度、「おじさんの如き采配」。女性キャラクター然とした姿がかわいらしいとしても、そのままおにいさんやおじさんにコンバートしても魅力はあまり衰えなさそうである。特に大洗の生徒会長! 全身の血管に最上級のオジサンエッセンスが流れているのではないかと見まがうばかりの態度と采配っぷりだった。にもかかわらず、あの小柄なツインテールが愛らしくもある。
主人公・西住みほもたいがいである。一見、姉のまほよりも女性的にみえて、姉妹をじっと眺めていると、姉よりも妹のほうが野生児の匂いに充ちている。“ガワ”は女子高生でも、彼女は女性的なコードや約束事に基づいて場を指揮るのではなく、男性的なコードや約束事に基づいて場を指揮っていた。そして度胸! 度胸は度胸でも、女傑的ではなく、非-人間的で機械的な何かと言うべきか。そうだ、みほは男性的というより機械的で、機械的だから「少なくとも女性的ではなく、まだしも男性に近い」と喩えたほうが実情に近いか。日常生活では若干不適応気味でも、ある種の、集中すべき場面では異様な冴えをみせるあたりも実にそれらしい。ときどき目が怖くなる。彼女の戦車道ドクトリンが、みんなを助けるタイプで心底良かったと思う。旧・西住流として成功していたら、彼女は敵味方に怖れられるキラーマシーンとして君臨しただろう。
そのほか、麻子、華さん、秋山殿、歴女四人組、自動車部、ネトゲ部、等々、「性質が男の子っぽい」メンバーを挙げていくときりがない*2。そもそも「戦車道は乙女の嗜み」などというスローガンからして男の子っぽい。趣味趣向、登場人物の特徴、そして勇ましい楽曲とメカメカしい戦車に至るまで、見渡す限り、男の子の臭いがぷんぷんとたちこめている。
しかし、本作は『ガールズアンドパンツァー』であって『ボーイズアンドパンツァー』ではない。みんな女子ということになっているから、男子の集まったホモソーシャルな部活動にあって然るべき、「臭み」や「嫌らしさ」は脱臭されているし、脱臭されていることに違和感を感じない。他校の一部生徒にはその片鱗を感じなくないが、あくまで個々の生徒の性質として描かれているのであって、“男子が群れ集った時にありがちな陰険さや恐ろしさ”は本作品に登場しない。
本物の男性ホモソーシャル集団には、マウンティング合戦や小競り合い、いじり、差別、そのほか色々な問題がついてまわる。ましてや文化系~運動系までの出身者が寄り集まり、他校の生徒とも協同でやるとなれば、そうした「臭み」や「嫌らしさ」は見苦しいレベルになって然るべきだろう。だが、『ガールズアンドパンツァー』はそうはなっていない。本物の男性ホモソーシャルな集団のなかでは苦しい立場に立たされそうな登場人物も、いじりや嫌がらせの対象になることなく、平等に扱われ、見せ場もしっかり与えられている。すべてのメンバーを、安心した気持ちで眺めていられる。
言うまでもなく、女性ホモソーシャル集団に特有の、あの透明でネバネバした人間力学も本作では描写されていない。
本作の戦車戦が「特殊なカーボンコーティング」というご都合主義な設定によって成立しているのと同様に、『ガールズアンドパンツァー』の爽やかな人間模様は、男性ホモソーシャル集団を女の子にコンバートした、ご都合主義な描写によって成立しているのだと思う。
ご都合主義の精髄
このように、『ガールズアンドパンツァー』は、ハード面でもソフト面でも徹頭徹尾ご都合主義な作品だった。戦車道連盟の設定も、学園艦の設定も、まあ、とにかくあれこれご都合主義としか言いようがない。
だからといって悪いわけではない。この娯楽作品に七面倒なリアリティなんて誰も期待していなかったわけで、至当なことだと思う。女子として描いたほうが都合の良い部分は女子として描きつつ、臭みをじゅうぶんに脱臭したうえで男性ホモソーシャルの理想郷を描いたからこそ、諸々の戦闘シーンや選手の敢闘が際立ち、余計なものに気を散らさず、楽しむべきものに集中できたのだろうし、多くのファンに愛されたのだろう。
「女の子が実在の武器・兵器を使って誰も死なない戦闘をする」っていうの、ヲタクカルチャーの一つの到達点なんだと思うけど、ガルパンをその象徴と捉える事で「あんなガバガバにユルい設定でいいんだ」という理解が横行してるとすれば、ものすごい誤解だと思う。あれを成立させたのは凄い手腕だよ。
— 揚げ物 (@agemonop) June 23, 2016
まったくそのとおりだと思う。
この作品が提供している「リアルっぽい」要素は、どちらかといえば「精巧なデフォルメ」の類で、そうした「精巧なデフォルメ」を下支えしていたのが、幾層にも重なりあった「ご都合主義」ではないかと思う。幾層にも「ご都合主義」を重ね合わせるのは存外に難しい。どのアニメと名指しはしないが、「ご都合主義」を重ね合わせた挙句、どれもチグハグで視聴者の集中力を削いだり苛立たせたりする作品はあるわけで、その点、『ガールズアンドパンツァー』は「よくできた戦車戦のデフォルメ」を下支えする「ご都合主義」が非常に洗練されていた。ありがたいことだと思う。