シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

あなたは素養に恵まれたブロガーだが、もっとクンフーを積むべきだ

 
 1991年生まれの若さでベテランブロガーになられたskkyさんが気炎をあげておられます。
 
北条かやの炎上とフミコフミオの悪意について - しっきーのブログ
フミコフミオに言及して炎上したけど納得いかないから反論する - しっきーのブログ
 
 断っておきますが「気炎をあげておられます」というのは私の個人的印象ですからね。skkyさんの主張によれば、

 文章を解釈する権利を基本的に各々が持っている以上、現時点で解釈が一意に定まるということはまずない。

 極端な例えを出すと、「死ね」とフミコフミオが書いて、僕が「これは死ねという意味ですね」と言っても、「いや、これはそう書きながらも生きるためのエールを送ってるんだよ!なぜならフミコ先生はいい人だから!お前読解力ねーな国語できないだろ!」
 みたいなレベルの解釈をする権利を一人ひとりが持っている

http://blog.skky.jp/entry/2016/04/21/230710

 とあるので、「気炎をあげておられる」と解釈をする権利が私にはあるようです。ただし、その解釈は独自解釈でしかないと想定しなければなりません。まして、筆者の意図とイコールかといったら、たぶん違うでしょう。
 
 まあ、センター試験の現国の問題のようなレベルでは解釈の余地はひとつしかないし、それが出来ない読み手が現在のインターネットには沢山いるんですけどね。そういう読み手もはてなブックマーク上で吠える時代なので、はてなブックマークのコメントは、はてなブックマーカー自身がどの程度の読み手なのかを踏まえて汲み取ったほうがいいと私は思っています。
 
 
 さて、skkyさん。
 
 繰り返しますが、私には、skkyさんが気炎をあげておられるようにみえました。熱くなっているな、と。
 
 skkyさんが批判しているのは、一体何なんでしょう?
 
自殺ストリップやめろ。 - Everything you've ever Dreamed
 
 skkyさんの二つのブログ記事は、上記に対して投げかけられたものでした。
 
 ただ、skkyさんのブログ記事を眺めていると、義憤なのか、怒りなのか、なんだかわからない熱意は感じられるんだけど、その熱意で何を議論したいのか、どのあたりを焼き払いたいのか、わかったようなわからないような気持ちになります。なるほど、フミコフミオさんの文章は、まさに「現時点で解釈が一意に定まるということはまずない」文章の典型で、skkyさんが指摘するように、あの人はそのような文体をつくる名人だと思います。昨今、その文体を駆使するまま、微妙に“ダークサイド化”しているという懸念も、なるほどと思いました。
 
 では、今回のskkyさんはどうでしょうか?
 
 まさか、skkyさんが「現時点で解釈が一意に定まるということはまずない」文章を(フミコフミオさんのように)意図的に書いているなんて事はありませんよね? どちらのブログ記事も真面目に書いておられるのだろうし、ぼやかした文体を得意にしているわけでもないと思うので。
 
 ところが、数回読み直したんですが、難しいですね。
 
 ・フミコフミオさんの批判がいけない
 ・フミコフミオさんの修辞がいけない
 ・フミコフミオさんの周辺のブックマーカーがいけない
 ・「信者」「取り巻き」がいけない!
 ・何某という女性ライターの言動がいけない
 ・現在のはてなブックマーカーがいけない
 ・いやいや、はてなブックマーク的構造がいけない
 
 こうしたテーマが散りばめられていると、私は読解しました。一つ目のブログ記事は、上のほうのテーマが中心、二つ目のブログ記事は下のほうのテーマが中心かと思いますが、そうと言い切って良いのかも自信がありません。
 
 これらのテーマの幾つかは、首肯できるものでした。反面、はてなブックマーカーの「信者」「取り巻き」認定の態度には粗を感じました。批判対象のブログやtwitterアカウントに肯定的メッセージがついている状況に対し、「信者」「取り巻き」認定するのって、難しいですよね。こちらid:NOV1975さんが書いておられるように、かなり条件を絞って使用しなければ、「信者」「取り巻き」と言われる側の問題なのか、それとも言う側の問題なのか、非常に危うくなってしまいます。skkyさんにおかれては、そうしたご事情を承知のうえで、わざわざ危なっかしい言及をなさったのだと推察しますが、一読者としては、ハラハラドキドキして心臓に良くなかったです。
  
 なにより、こんなに沢山のテーマを包含していると、読者としては目移りしてしまって、どこを肯定すれば良いのか/どこを批判・非難すれば良いのか、困っちゃいますね。性格の悪いことを言うと、これだけテーマが沢山あるからこそ、「なんか一言言ってやりたい読み手」を誘い出し、好き放題なブックマークコメントを誘発するには適した文章とも言えます。skkyさんは、真面目に、思いの丈を主張なさったのかもしれませんが、これだけテーマてんこ盛りでは、読者は好きなところを切り取って好きなように読み、「解釈が一意に定まるということはまずない」が加速してしまわざるを得ません。
 
 そして、その「好きなところを切り取って好きなように読める文章構造」をメタレベルに捉え、「便乗でブクマを集めようとしてやがるぜ」と解釈する人が湧いてくるのも、ひとつの予定調和だなと私は思いました。
 
 

この議論にして、なぜ、このブックマークコメントなのか

 
 なにより、ブックマークコメント。
 

北条かやの炎上とフミコフミオの悪意について - しっきーのブログ

か、かやちゃんは僕が守る…!(震える手で手斧を握りしめて)

2016/04/19 21:19
b.hatena.ne.jp
 
 ふざけているんですか?
 
 skkyさんがこの問題を真剣な批判として書きたいと願っていたなら、通常は、こういうブックマークコメントは湧いてこないのではないでしょうか。
 
 私が冒頭リンク先の二つの文章を読んだ限り、skkyさんはこの問題を真剣に議論しようとしている、と印象づけられました。ですが、このブックマークコメントもskkyさんのメンションの一部とみなすと、とたんに、どこまでオチャラケでどこまで便乗炎上商法でどこまでサークルクラッシュ的心性なのか、疑わしい気持ちになってくるわけです。もちろん、オチャラケだの便乗炎上だのサークラ的心性だのは、skkyさんにはありますまい。だとすれば、そのような解釈の余地を与えるブックマークコメントを添えたのは、読者の解釈を拡散させてしまう罪作りな悪戯と言わざるを得ませんよ。
 
 あなたほどのベテランブロガーが、そのような悪戯を真面目な議論系記事に仕掛けるとは。
 
 一体どういう了見なんでしょう?
 
 それとも筆が滑ったんですか?
 
 二番目のブログ記事でskkyさんは、
 

真面目100%でいきなり人の記事に突っかかるのってハードル高くて、ましてや相手はフミコフミオだし、ビビってたというのは正直ある。

 とブクマコメントについて釈明らしきものを記述しています。
 
 ですが、あくまで私個人の解釈と断ったうえで書きますが、「か、かやちゃんは僕が守る…!(震える手で手斧を握りしめて)」のどこが、「相手がフミコフミオだからビビッて」書かれたブックマークコメントなのか、私にはさっぱりわかりませんでした。
 
 私だったら、大物ブロガーに真面目な議論をふっかけるなら、できるだけ脇の甘いコメントを避け、オーディエンスが自分に不利な解釈をしないよう、気を配ったコメントを配置しようとするでしょう。しかし「か、かやちゃんは僕が守る…!」という文字列に、そのような効果があるとは私には想像できません。skkyさんは、「か、かやちゃんは僕が守る…!」とコメントすることで対フミコフミオ“バトル”が有利に働くと本気で考えたのでしょうか。
 
 そこらの新人ブロガーならともかく、はてなブックマークのオーディエンス達のいやらしい特性を知悉しているであろうskkyさんともあろう御方が、このような多義的な解釈を許す文章を書いてしまうのは、本当は、違った事情があってのことじゃあないんですかね?
 
 失礼、個人的解釈が妄想に近づいてしまいました。
 
 どうあれ、skkyさんが真剣な議論をお望みにも関わらず、「か、かやちゃんは僕が守る…!」とメンションした現象は、たとえフミコフミオさんにビビっていた背景があったとしても、第三者からみれば非常にわかりにくいジェスチャーです。そのうえ、さきにも書いたように二つのブログ記事には沢山の論点がゴチャっと盛り込まれているのですから、たくさんのブックマーカーが群がって多義的な解釈を行ってしまう――そして、その現象が意図的な客寄せとして曲解される――のも、仕方がない気がするんですよ。
 
 

ブログ戦術が拙ければ議論は妨げられる

 
 野暮かもしれませんが、まとめを兼ねて、この文章の論旨を明言しておきます。
 
 「skkyさん、あなたの今回のブログ戦術はまずくなかったですか?」
 
 私は、今回のフミコフミオさんとskkyさんの議論にはそれほど興味を感じません*1。しかし、skkyさんのブログ戦術と“議論の司会進行”には強い興味を感じました。そして本件にskkyさんの失策が含まれているとしたら、彼ほどの手練れがどうして失策に甘んじたのか、よく研究しなんらかの戦訓を得たいとも思いました。
 
 ブログでもブログじゃなくても、議論をする際の言葉運びって難しいものですね。しかし、その言葉運びによって議論の行方やオーディエンスの受け取り方が左右される以上、できるだけ修辞術には気を配らなければならないでしょう。古代ローマの子弟が修辞術を早い段階で学ぶのも納得できるところです。
 
 以上、一連のブログ記事についての読書感想文でした。まだ書き足りないこともあるけれど、書き加えると解釈の余地が大風呂敷になりそうなのでこのへんで。
 

*1:はてなブックマークのアーキテクチャと、付和雷同の起こりやすさの問題提起には、かなり興味を感じましたが、それは今回のメインディッシュではないですよね?