シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「炎上政治」と“脊髄反射”

 
 少し前、はてな匿名ダイアリーに書き込まれた「保育園落ちた日本死ね」という文章が話題になった。
 
anond.hatelabo.jp
 
 この匿名文章は国会で言及され、一部議員の対応がまずかったことも手伝って政治に影響を与える雰囲気をつくりだしてしまった。もちろん待機児童問題は切実だが、匿名文章を着火点としてネット世論が沸騰し、こうやって国会答弁に拾い上げられて影響力を持ってしまうプロセスはいかがなものなのか。
 
 世論が国政に影響を与えること自体、あっても構わない。しかし、世論と国政とを結びつけるプロセスがショートカット化し、「ネット上の匿名文章をシェアやリツイートで拡散した代物」が世論の面構えをして国政に影響を与えるさまは、熱しやすく冷めやすいネット世論の性質を考慮すると気持ちの良いものではない。
 
 オリンピックのロゴ問題の時にも、私は「インターネットの暗い情念が世論になってしまうのが心配」と書いた。ロゴ問題にせよ、待機児童問題にせよ、そこに問題があるのは理解できるし、議論の対象となって然るべきだ。だがネット世論は、不満や怒りをぶつけるのは得意でも、何かを持続的に育てるのは苦手である。大事なことを時間をかけて議論できる性格ではない。
 
 こういう事を書くと、「もともと世論なんて、沸騰しやすく醒めやすいものじゃないか」と突っ込む人もいるだろうし、そのとおりかもしれない。だからこそ、世論と政治、世論とデシジョンの間には緩衝剤の役割を果たしてくれるような思慮なり仕組みなりが必要だと思う。そうした緩衝剤の一部は、かつて新聞やテレビといったマスメディアが引き受けていたが、ネットユーザーが皆発信者となった今日では、それぞれが緩衝剤になることもならないことも選択できてしまう。
 
 そして「保育園落ちた日本死ね」騒動の時も、「オリンピックロゴ問題」の時も、専ら“緩衝剤にならないこと”を選んだ人々の声が重なって政治が動いた、いや、動いてしまったのである。
 
 [関連]:私は、弾劾のプロセスとネットの性質に戦慄したんですよ - シロクマの屑籠
 
 

まっとうじゃない声が届き、まっとうな声が黙殺される

 
 現在のインターネットにおいて、ムーブメントの着火点になるような声とはどういうものか。
 
 私には「まっとうじゃない声」「思慮の足りない声」であることが重要に思えてならない。「まっとうな声」「思慮を積み重ねた声」であってはいけない。
 

  
 このお二方が示しているように、「まっとうな声」「思慮を積み重ねた声」なら以前からあった。現場で活動している当事者だけでなく、ネット上でも賛否を噛み分けながらディスカッションをしている人は存在していた。だが、大きなムーブメントの着火点とはなり得なかった。着火点になったのは、思慮もクソもない、ツッコミどころや叩きどころ満載の文章だ。
 
 raurublockさんが指摘するように、まっとうじゃないからこそ、思慮が足りないからこそ、叩く余地があるからこそ、「保育園落ちた日本死ね」はムーブメントになり得た。思慮深い声にではなく、脊髄反射的な声に力が宿る。
  
 だとしたら、ネットの声とは、ネット世論とは、いったい何だろうか?
  
 繰り返すが、私は世論が政治に影響を与えてはいけない、とは思わない。だが、国会レベルであれ、それより小さなレベルであれ、民主的な決定プロセスは声をあげる者の判断力がそのまま決定の質に直結するわけだから、集めるべきは私達のなかの思慮深い声であるべきであって、私達のなかの脊髄反射的な声であるべきではないはずだ。
 
 こうした事態が起こる前から、インターネットには「炎上マーケティング」という言葉があった。ネットではツッコミどころや叩きどころ満載の文章が拡散しやすく、その拡散のパワーを巧みに用いれば経済的な利得が得られる、それが炎上マーケティングだった。炎上マーケティングも腹立たしいが、得をするのはせいぜい炎上者ひとりで、たいしたことではない。だが、炎上マーケティングならぬ「炎上政治」なるものは話が違う。たくさんの人の利害関係が賭けられている。
 
 

もし「炎上政治」がメソッドとして確立したら

 
 2015年から2016年にかけては、インターネットで炎上したトピックスがときどき世論と接続し、政治やデシジョンに反映された。背景には、スマホによって普及したインターネットと、ネットの声をつかまえる感度と速度を増したマスメディアの連動があるわけだが、いずれにせよ「炎上政治」が立ち上がってくる素地はできあがっていると言える。
 
 [関連]:「保育園落ちた日本死ね」を便所の落書き扱いする政治家自身が、炎上に油を注いでいるという皮肉(徳力基彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
 
 上記リンク先は「保育園落ちた日本死ね」騒動は既存政党による陰謀ではない、と書いている。私もそうだと思う。
 
 それはそれとして、「炎上政治」的な出来事がちょくちょく起こるなら、ひとつの動員メソッドとして確立してしまうだろう。私達の思慮を束にするためのでなく、私達の脊髄反射を束にするためのメソッドが確立し、何度も繰り返されるとしたら、そのぶん、政治そのものが――いや社会が――脊髄反射的な性格を帯びてしまうのではないか。
 
 インターネットに充満する声のうち、炎上するような声ばかり拾い上げられ、炎上しないような声が拾い上げられないなら、これは、世論の収集システムとして偏っていると言わざるを得ない。