昨日の続き。
これまでの社会では、ほとんどの人間がワイドショー的なお喋りに耽っていようとも、たいして問題になることはなかった。
もともと人間は、ある程度までワイドショー的だ。給湯室談義も、床屋談義も、居酒屋談義も、かしこまって専門的に喋るわけでも、責任を意識しながら喋るわけでもない。学術的な正確さよりもゴシップや醜聞に惹かれ、下世話な話題に相槌を打つ――そうした泡のような言葉は、歴史が始まって以来、無数にわき起こってきたし、これからもわき起こるだろう。
問題は、そうした給湯室談義、居酒屋談義的なものが、インターネットでは泡のような言葉として消えてしまわず、ときには権力や強制力を帯び始めるって点だ。
素人同士のワイドショー的会話は、本来はたわいもなく話され、たわいもなく忘れられていくものだった。純粋な話し言葉だった頃のワイドショー的会話は一過性の度合いが強く、まさに泡のような存在だった。
それが今日では、素人同士のワイドショー的会話がオンライン空間のあちこちで繰り広げられるようになった。オンラインに書き込まれ、アーカイブとなった発言は幾らでも参照できるし、(リツイートやシェアのようなかたちで)拡散させることも出来る。そうした参照性と拡散性による弊害は、主に、ネット炎上のようなかたちで語られてきた。
しかし、弊害は被炎上性だけではない。
皮相的にしか考えない無数のアカウントの言葉が、束になって炎上を起こす=影響力を形成する という状況も、弊害といえば弊害ではないか。
ワイドショー的な書き言葉が逐一アーカイブ化され、リツイートやシェアで拡散するようになったことで、たわいもなく忘れられていく筈だった泡沫会話がどんどん巨大化するようになった。話された言葉ではなく書かれた言葉からなるワイドショー的会話だからこそ、泡は、はじけて消えることなく、拡散する。別々の場所で起こった似たような会話同士がシンパシーによって繋がり、乗算的に拡散することさえある。本来、無責任に発せられ無責任に消えていくはずだったとりとめない会話が、オンライン空間では拡散したり結合したりするのだ!*1
どれほど無責任で浅慮な発言も、それが給湯室や居酒屋の一角の話し言葉として話され、忘れ去られていくなら、たいした問題にはなるまい。ちょっとした人間関係の潤滑油のようなものだ。ところがネット上では、それらは書かれた言葉として拡散したり結合したりしながら、ときには信じられないほど巨大化していく。そのさまは、ドラゴンボールの悟空の“元気玉”のようだ――消えていく運命だったはずの泡沫会話に含まれたエネルギー・感動・悪意・嫉妬といったものがインターネットに寄り集まって、巨大な言霊となって被言及者の頭上に降りかかるのである*2。
ワイドショー的会話、居酒屋談義のたぐいが、ネット上では影響力を――権力を――持ち始めた、と言い換えてもいいだろう。すぐに消えて無くなるはずだった、しようもない会話、ぼんやりとした感想、口から飛び出た悪態が、ネットコミュニケーションでは何百何千と繋がって、巨大な心理的・政治的・社会的プレッシャーになるような事態が起こり得るわけだ。
そのようなプレッシャーが、単なるプレッシャーや批判に留まるなら、まだわからなくもない。しかし、ときには刑法を逸脱した社会的懲罰――つまり私刑――を産み出したり、三流週刊誌も真っ青なプライバシーの暴露に発展したりすることもある。この場合、暴露情報を直接探し出す人間だけが悪いわけではなく、酒に酔った目をこすりながら、その暴露情報をリツイートやシェアして情報を拡散する人間も、みな三流週刊誌的と言わざるを得ない。
悪いことに、こうしたワイドショー的会話や三流週刊誌的な関わりは、妥当性を検証されることも、過ちを反省されることもまず無い。参加者それぞれは、たわいもない日常会話のつもりで書き込んだりシェアしたりしているし、マスメディアのように批判の槍玉に挙がることも無いから反省する契機も乏しい。そのくせ、自分達が数を恃んで被言及対象になんらかの影響力を行使できるという感覚を(早くも)持ち合わせはじめているし、そのような感覚をしばしば愛してもいる。早い話が、無数のワイドショー的語り手達は、どこまでも無責任にも関わらず権力に対する嗅覚は鋭敏なのである。
こうした現実は、すでに少なからず自覚されている。もちろん、責任も反省も無しに権力を行使できる環境は、精神的暴君を産み出すには格好の環境なので、やがて彼らは匿名の異端審問官となって、片っ端から吊し上げをはじめるに違いない……というより、もう吊るし上げは始まっている。
皮相的な判断に基づいて、明日にはきっと忘れてしまうであろう話題にもいっちょ噛みし、そうやってネット世論的な権力のクラウドを形成するワイドショー的な人間達。本来なら権力を自覚せず、自覚するべきでもなかった会話のひとつひとつが、いつの間にか影響力を帯び始めたことによって、いろいろな歯車が狂いはじめていると思う。