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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「一寸のネットイナゴにも五分の魂」

 
「批判する人」って、まじダサい。/「批判される人」になろう - デマこい!
 
 ま、色んな人がインターネットにはいますよね。
 
 よく練られた問題提起をする人もいれば、ユーモアの利いたツイートを連発する人もいます。かと思えば、有名人blogのコメント欄でクソな書き込みを繰り返す輩や、ほうぼうに喧嘩を売って回る狂犬のような人もいます。そういった、混沌としたインターネットの風景を毛嫌いする人もいるでしょう。私も、瘴気の強すぎる場所は苦手です。
 
 例えば、誰が見ても建設的とは思えないような、しかも的外れな批判をtwitterで垂れ流している人がいるとしましょう。というか、ネットにはそういう人が一定数いますよね。ネットで一番無残なタイプのひとつですが、そうせずにはいられない当人には相応に大変な「事情」があるのでしょう。
 
 日頃、何気なくスルーしているネットイナゴ達にしても、ふと立ち止まって“なかのひと”の生に思いを馳せると、その「事情」に言葉を失うほかありません。ネットイナゴの心を覗くのはヤバいと思います、間近な深淵ですよ、あれは。
 
 あるいは、プロの物書きを名乗る人が、ときに、どう考えても自分のプレゼンスを低下させるような発言をウッカリ漏らして大炎上することがあります。その場合も、やっぱり何か、相応の必然性があってこその炎上でしょうから、当人の背景にある「事情」に想像を逞しくせずにいられません。
 
 一般論としては、ある個人がネットに何かを書き込む際には、なにかしら、その人自身のコンプレックスや執着も含めた「事情」「動機」が反映されていると私は考えています。そうしたアウトプットを点検し、「事情」や「動機」を想像することは、社会適応について学ぶ良いヒントになると思っています*1。これからも、しっかり勉強していきたいと思います。
 
 

「僕らはみんな生きている 生きているから荒らすんだ 僕らはみんな生きている 生きているから煽るんだ」

 
 傍目に見て、ダサい発言もあれば、カッコイイ発言もある;確かに、そうでしょう。
 でもそういうのって“どうしようもない”と思うんです。
 ダンゴムシに、蝶々になれって言ったって無理じゃないですか。
 
 滑稽な書き込みや恥知らずな書き込みにしても、みんな、個人個人のレベルでは、当人自身にとって「これがベストの書き込みだ」と信じて書き込んでいると思うんです。「これは俺の本心じゃない。手抜きだけど一応書いておくよ」的な自己エクスキューズまみれの書き込みも含めて、どれも当人自身としては精一杯ベストを尽くした結果として、そのようなアウトプットが表出されるのでしょう。
 
 みんな、頑張ってるんですよ。
 
 頑張った結果として、第三者から見て素敵な書き込みもあれば、残念としか言いようのない書き込みまで、色々あるわけです。そこに悲惨や無残を見出すのは容易いですし、私も無残な書き込みは無残だと思うほうですが、けれども、みんな頑張ってるとは思うんです。
 
 なんていうんですか、「はてなーだって イナゴだって ネトウヨだって みんな みんな生きているんだ」とでも言いましょうか。僕らはみんな生きているんです。その総体として、ネットの混沌とした生態系が立ち上がってくるさまは、圧巻としか言いようがありません。まさに娑婆の縮図、そこには確かに人の息遣いが感じられます。バーチャルリアリティ、ですって?いいえ、これはリアルそのものですよ。最も思慮深い書き込みから短絡的な書き込みまで、バリエーションに富んだ営為が繰り広げられる場所なんです。
 
 リンク先のテーマからは盛大に脱線しましたが、ダンゴムシも、蝶々も、イナゴも、それぞれの悩み・それぞれの歓び・それぞれの生がある筈です。そこに思いを馳せれば、ちょっとだけ*2、優しい気持ちになれるかもしれません。みんな元気なインターネットライフが過ごせるといいですね。
 

*1:かく言う私も、こういうネットウォッチ根性丸出しの発言をしているのは、それなり「事情」があると察せられるわけで、それを承知しつつもこうやって書き込んでしまうあたり、どうしようもないですねぇ。

*2:5秒間くらい