季節も師走、娑婆も騒がしくなって参りました。イルミネーションに彩られた商店街を往来する人達の背中も、どこか気ぜわしく感じられる今日このごろ、はてな村/blog村の皆様におかれては如何お過ごしでしょうか。
私の住む北極市(仮称)はひどい田舎町にも関わらず、最近は暴走族珍走団でいっぱいです。このクソ寒い時節にブォンブォンブォンブォンと、何時間も何時間も同じ所を行ったり来たりした挙げ句にお巡りさんに追い回される景色も、冬の風物詩と言えるでしょう。彼らの見上げた、しかし費用対効果に乏しい根性には、感心するやら迷惑するやらではありますが、当人をして真冬の北極市(仮称)を往復せしめるインセンティブや動機には、着目すべき興味深さがあると思っています。
哀愁漂う一人珍走団のインセンティブ・動機
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/mondai04/004.pdf
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf2016.htm
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北極市(仮称)にも、上記リンク先のような組織的な暴走族もたまに押し寄せてきます。ですが、近所でブォンブォンブォンブォンと五月蝿い人達はこういった組織に属さない(属せない?)、もっと小物チックな一人珍走団のケースが殆どです。DQNのあんちゃんに凄まれることもある、あんまり喧嘩も度胸も磨いていないっぽい、だけど安物バイクをけばけばしく塗りたてた、哀愁漂う一人珍走団が北極市の商店街を行き来します。きっと、地元の怖〜いお兄さん達にもそれなりのお金を巻き上げられ、皆から冷たい視線を浴び、DQNにもビビっちゃうほど小心な騒音マシン。いやはや、なんとも無残な光景ですね。
しかし、なぜ彼はそんな無残な独り珍走を繰り返すのでしょうか?
色々と空想が膨らむところですが、やはり主な動機は「構ってちゃん」であり「自意識の備給」ではないかと私は疑っています。誰かにとっての何かになりきれず、格好良さも獲得できない“ボク”にとって、たとい嫌われの目線であっても衆目を集め、お巡りさんに追いかけて貰えて、「一応格好をつけられる」一人珍走団といえど、空気人間でいるよりは余程社会的な欲求*1を満たすことが出来る、というカラクリなんでしょうか?第三者の目からみたら滑稽だったり外道だったりするにせよ、「ボクがボクでいられること」を満たせる手段が唯一それしかない場合、人は案外容易にピエロになることが出来るようです。とりわけ、ピエロになるデメリットが無い(というよりもデメリットが視界に入ってこない)人においては、滑稽な一人珍走への歯止めがかかりません。うべなるかな、一人珍走に興じる彼らの背中からは、なんともいえない哀愁が漂います。組織的な暴走行為をやっている珍走団ならいざ知らず、改造安物バイクで一人でうらぶれた商店街を何往復もせざるを得ない人の適応とインセンティブのあり方を想像してみましょう。これはもう、凄絶としか言いようがありません。
インターネッツ上にも、一人珍走団を見かけませんか?
前置きが長くなってしまいました。
しかし私達は、こうした一人珍走団をネット空間でもみかけることがある、と申し上げたいわけなのです。むしろ、北極市のうらぶれた商店街よりも、ずっと高頻度に一人珍走行為をみかけるのではないでしょうか?以下に示すようなケースに、あなたも一再ならず見覚えがあるのではないでしょうか。
- ブォンブォンブォンブォンとアイデンティティの音高く、有名ブログのコメント欄で珍走行為・に耽る若者の姿を、あなたも見たことがありませんか?そして彼が大層煩がられ嫌われているのをご存じないですか?
- “「ソースはどこ?」「馬鹿っていうお前が馬鹿」「氏ね」とシャウトすることが格好良さだと思っている気の毒なオトコノコと、それに群がって投石するはてなカラス・ネットイナゴ・2ちゃんねらー”などというという地獄絵図を、目撃したことがありませんか?
- 安物バイクを乗り回すが如く、ダイソーで買った哲学参考書を乗り回し*2、けばけばしい修辞でべとべとに塗装しちゃってる凄い人を目撃したことはありませんか?
- 有り余る時間と、なけなしのお小遣いをネットゲームに擲って、強いキャラクターを創って「俺TUEEEEEE!!!」と自意識丸出しにしている痛いネトゲプレイヤーを冷笑したことはありませんか?
- ネット上では重低音サウンドを鳴らして自意識を膨らませる事が出来ません。しかし、お洒落音楽・お洒落映画・お洒落読書レビューを陳列することで自意識を風船のように膨らませるなら可能です。怒ったトラフグも顔負けの、はちきれんばかりの“俺って恰好佳いぜ”を、disったことはありませんか?
ネット珍走団は永遠に
このように、様々なサブタイプこそあれど、ネット界隈は珍走行為にうつつを抜かす男子(と女子)で満ち満ちているわけでございます。やくざ屋さんに上納しなくても済み、肉体的暴力の変わりに頭の良さがあれば大丈夫だと勘違いすることが出来るネット空間*3では、安物バイクで地元商店街を練り歩くよりは低コスト低リスクな珍走行為を繰り広げることが出来ます。無論、低コスト低リスクだというのは表面的なもので、実際はネット上での一人珍走も相応のリスクを含んでいそうですが、十分に油断して十分に自意識の備給に飢えている一人珍走さんにおかれては、そういうものは度外視されるもののようです。
皆に冷笑され、罵倒され、仲間はずれにされつつも、不死鳥の如く吹き上がらずにはいられないネット珍走の生態。しかし、田舎町の一人珍走団にとってと同様、いかに迷惑がられようとも、それが当人にとっての希少にして貴重なコミュニケート手段・自意識高揚・である限り、彼らはネット珍走をやめることが無いでしょう。なぜなら、珍走行為以外のコミュニケート手段・自意識高揚を持たないからこその、精一杯の適応的あがきが、あれらのネット珍走なのですから。無論、こうしたコミュニケーションや自意識上の要請が、不遇の人々のうちに存在する限り、新しくて若いネット珍走は*4沸き続けるでしょうし、かつてボコボコにされたネット珍走がハンドルネームやトリップを変えて再登場することも珍しくないでしょう。飢えたる自意識に、まなざしのパンを!今日もブログ界隈や匿名掲示板群のどこかで、ブォンブォンブォンブォンと、自意識の音高く、今宵もネット珍走達は夜通しの珍走行為を繰り広げることでしょう。ほら、はてな村にも自意識の音が響き渡ります!ブォンブォンブォンブォン…。