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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

異文化コミュニケーションが出来ないオタは、肩身も視野も狭いまんまですよ

 
 
 http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/10/post_b62c.html
 
 文化や価値観のニッチが細分化されているポストモダン的様相のなかで、異文化間コミュニケーションに頑張ってもあまりメリットが無いのではないか、というエントリを発見した。何も考えずに上記リンク先テキストを読んでいると、なるほど、自分の好きな趣味・自分に合ったノリの文化圏にどんどん埋没したほうがコミュニケーションの無駄なコストを省いて幸せにやっていけるのではないか思えるかもしれない。だとすれば、例えばオタクの皆さんなどは、無駄にファッションやコミュニケーションにコストを支払うことなく、同好の士とニコニコ動画でニコニコしてればいいやということになってくるわけだが。
 
 私はそうは思わなかった。それは違うと思う。
 
 まず一つに、異文化間コミュニケーションをしないで済ませて構わない分野と、せずにはいられない分野が存在する点を指摘しておかなければならない。何が言いたいのかというと、趣味の次元においては好き勝手に趣味やノリに特化することが許容されても、仕事やら男女交際やらの次元では、自分好みの趣味やノリをそのまんまにしてコミュニケするわけにはいかないですよね、ということが言いたいわけである。
 
 人は別に、クラシック音楽を知らなくても生きていけるだろうし、美少女アニメオタクと知り合いにならなくったって生きていける。だが、仕事をしなければ生きていくことは出来ないし、(別に男女交際をしなくても構わないという人はそれで構わないにしても)異性と接触を求める人もまた、自分とは異なる文化圏や価値観との接触を必要とすることだろう。世の中には稀に幸運な人がいて、仕事やら男女交際やらのノリや価値観と、自分のノリや価値観が偶々ぴったり一致する、実にモテモテな仕事をしていてモテモテな人達というのも存在しないわけではない*1。だが、例えばオタク趣味に軸足を置いているような人達、ある種のもてないサブカルチャーに軸足を置いているような人達においては、趣味の文化圏や価値観と、仕事の文化圏・女子のいる文化圏はたいていの場合異なっている。いや、極めて稀で幸運な人は、仕事や女の子も趣味の文化圏と合致させて内側で満たせてしまうこともあるかもしれないが、たいていの人の場合、オタク文化圏の価値観やノリの内側で、仕事なり異性なりを発見して人生を歩んでいくことなど望むべくもない。
 
 このため、特定の趣味文化圏に住まうような人達が、その趣味文化圏の内側のノリと価値観だけに埋没していくような姿勢に終始した場合、その人は極めて高確率に、仕事や男女交際の次元でコミュニケーションに伴う問題に遭遇することになるだろう。いや、これは予測ではなく、現に起っていることである。はてなブロゴスフィア界隈をはじめとするネット空間を照覧してみてみればいい、“リア充”だの“素晴らしい人達”だの“モテ”だのへの怨嗟の声が充満しているではないか。仕事も男女交際も不要な、ニート的立場を貫けるだけの資力と精神的特質を持っている人でない限り、仕事や男女交際といった次元で要請されるであろう異文化コミュニケーションの欠乏は、多くの場合強烈な苦しみを生み出すことになる、と私は観察している*2。ニートになるゆとりの無いオタクやある種のサブカル愛好者は、趣味文化圏のノリと価値観だけに埋没していると、娑婆を渡っていくのが辛くなるんじゃないですか、と私は考えずにはいられない。
 
 
 もう一つ、異文化コミュニケーションが出来ないことによる弊害を挙げるとするならば、自分の趣味や文化圏の立ち位置・歴史・他の文化圏との関係、といった相対比較が困難になる、ということだ。例えばビジュアルノベル大好きなオタがいたとして、ビジュアルノベル以外のノリもコンテンツもを知らず、ビジュアルノベル好きのオタ仲間以外とのコミュニケーションが出来ないとしたら、さて、彼は自分の愛好するコンテンツについてどのような把握が可能になるだろうか。勿論一点集中というのも悪くない。しかし彼は他の文化圏の既存コンテンツとそれらを比較することは出来ないだろうし、ビジュアルノベルの立ち位置というものを掴むことも出来ないだろう。また、他の文化圏に所属する人達からビジュアルノベルがどんな風に視えるのかについても気づくことが出来ないだろう。これは私の考えだが、在る作品・在るジャンルの輪郭を把握する作業は、その内側からだけではなく、その外側から捉えるという両面からの把握が望ましいのではないか、と思う。例えば私は幾つかのオタクコンテンツは掛け値無しに素晴らしいと思っているクチだが、一人のオタクとして消費して素晴らしいと思うだけでなく、他の文化圏のほかの作品と比較してどうなのかを考えたり、他の文化圏に住んでいる人に作品を差し出して反応を確かめたりすることによって一層作品に対する理解が促進される、と考える。ゲームBGMや萌え絵についても、その素晴らしさをオタクの狭い井戸の内側で楽しむだけでなく、他の様々なジャンルと比較して、突出した良さがどの辺りにあるのかを知れば、自分の好きなジャンルについての理解は促進されるのではないだろうか。
 
 しかし、こういった比較や相対座標系の確認といった行為は、異文化への進出無しではありえないことだろう。オタク文化圏の内側以外の教養や体験を持たない人間に、果たして、オタク文化圏の傑作コンテンツが他の文化圏の傑作コンテンツに比べて突出しているポイントをピックアップすることが可能だろうか?無理に違いあるまい。また同様に、オタク文化圏の内側のコミュニケーションがどのような点で豊かなのか・どのような点で欠乏を含んでいるのかを知るにも、他の文化圏とのコミュニケーションを通して、比較することを通してしか理解できないのではないか、と私は考えている。私はオタク文化圏の特有のコミュニケーション形式が、いよいよ他の文化圏を侵食し始めていると考えている人間の一人だが、この、オタク文化圏に特有のコミュニケーション形式について理解を深めるには、逆にオタク文化圏とは無縁の人達のコミュニケーションの在り様についてよく吟味し、比較することが肝要なのではないか、と思っている。しかし、このような相対比較を通してオタク文化圏特有のコミュニケーション形式の持ち味を理解するにあたっては、異文化間コミュニケーションがどうしても要請されるはずである。
 

適応の為に最低限必要な異文化コミュニケーション/趣味人として相対座標を獲得する為の異文化コミュニケーション

 
 以上二点から、私は異文化間コミュニケーションをそう簡単に放棄することを奨めない。少なくとも、オタクやある種のサブカルといった、仕事や男女交際の資源への接続が困難な文化圏に引きこもる行為は、ニートになる準備が整ってでもいない限りは多くの人にとって日常生活を苦しいものにする可能性を孕んでいる、と考える。まただからこそ、異文化間コミュニケーションへの越境を可能にする方策について、所謂脱オタも含めて検討していくのが望ましい、とも提言する。すべての文化圏や価値観に馴染む必要まではないだろうけれども、自らの望むところや暮らすところで要請される何筋かの価値観やノリに関しては、ある程度の理解とコミュニケーションが必要なのではないだろうか。
 
 また、自分の文化圏や価値観についてもっともっと知りたいという意欲的な人にも、異文化間コミュニケーションを通した、文化的越境と、自分自身の文化圏・価値観の相対化を是非奨めたいと思う。一生ヌルオタでokとか、一生月厨でokという人、単に逃げ場を求めてオタク界隈で目隠しを続けたい人、などは別にそんな事しなくても構わないけれども、ライトノベルなりアニメーションなりについて一層の理解と蓄積を深めたいと思っている人達にとって、文化的越境と自分自身の文化圏・価値観の相対化というのは決して悪い話ではない筈である。自らの趣味や文化について造詣を深める一助としての文化的越境は、苦労にみあった豊かな実りをもたらすのではないだろうか。
 
 確かに、自分好みの趣味文化圏でノリも同調しやすい人達と群れ集うことは、楽しくて心地よい。それは確かなのだが、狭いセグメントの内側でニコニコしているだけでは得られないものがあることは、知っておいたほうが良いと思う。また、幾ら趣味の次元でポストモダン的細分化の恩恵を最大限に享受できたとしても、仕事や男女交際の次元では話が違ってくるということにも十分な自覚があって然るべきだと思う。
 
 それらを理解したうえで、敢えて自らの趣味文化圏内部の価値観とコンテンツに埋没するというのなら、私は止めるつもりは無い。だが、そのような閉じた趣味人が、娑婆で上手くやっていけるかというと(コミュニケーションに関連した問題のせいで)かなり難しいだろうし、趣味人として相対的な視座を持つこともやはり難しいだろう、ということは警告しておこう。
 

*1:アパレル業界でキャッキャウフフな人達とか?

*2:id:Masao_hateさんがこの点を素通りなさったのは、仕事が自分の趣味文化圏に近い価値観を有しているからと、脱オタを通してある程度の異文化コミュニケーションのリソースを既に獲得していること、パートナーと交際を続けていること、などが要因ではないか、と私は推測している