シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ヤマアラシはそれでも身を寄せ合うし交尾もするだろう

 
 
 継続的な人と人との関係、とりわけある程度以上の近しい距離感をもって繰り返される人間関係においては、相手を傷つけることと自分が傷つくことは常に並存していて、どちらかだけを分留することは不可能に等しい。また同時に、相手に与えるということは自分が傷つくことにも通じていて分かち難い。また、相手に与えるということと相手から奪うということ、相手から頂くということと相手に奪われるということ、も分離しがたい出来事で、分離しようと無茶をする人は無茶をした分だけどこかで歯車を狂わせてしまう。
 
 人の間で生きるうえで、上記の常識的視点を超えることは難しく、傷つけることや奪うことや頂くことを望む人は、傷つくことや奪われることや与えることをも受け容れなければならない。いや受け容れる必要はないが、直面せざるを得ないだろう。そこから逃れようとするのなら、傷つくこと・奪うこと・頂くことは何らかの形で阻害されても致し方あるまい。傷つくことや奪われることや与えることにネガティブな感情しか持ち得ない餓鬼道に至ると、色々と苦労しそうである。
 
 孤独のなかでもある種のカテゴリーに属する孤独は、上記の営みに伴うインプットとアウトプットと、それらに伴う摩擦を軽いものにしてくれるかもしれない。もしかしたら、それは知者の道なのかもしれない。だけどそのカテゴリーに属する孤独を選ぶことと、上記の営みのなかを漂うことのどちらが望ましいのか、または気楽なのかは、私にはわからない。
 
 ※孤独ではなく、孤立はこの限りではなさそう、に思える。