シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

メタ防衛無限後退に対する一手

 折角の機会なので、幾つかの質問に答えてみる。この答えが唯一のものではなく、しかし私が現時点で思いつくものではあることを留意のうえで、読んでくれると嬉しい>該当者の方
 

[防衛機制]僕も「防衛機制によって〜を防衛しようとしていますね←とメタ分析することによる防衛機制ですね←とメタ分析〜」という感じで防衛機制は無限後退可能だよなぁと思っていたので、後日の解説に期待。

http://b.hatena.ne.jp/Masao_hate/20070221#bookmark-4023577

 
 確かに、防衛機制を指摘される前にメタレベルに後退し、例えば「俺は分かっているけれど敢えてやっているんだ」という形でメタ防衛を重ねることはやはり可能だ。メタ防衛に対する追求にはさらにメタ防衛で応戦、という手法は十分に考えられる。kiya2014です。こんにちは。の模式図は、こうしたメタ無限後退をよく現している。
 
 では、このメタ防衛無限後退は無敵の縦深陣だろうか?自分ならどう攻略するだろうか?そもそも攻略の必要があるのだろうか?そこら辺を検討してみる。
 

まず最初に:メタ防衛を重ね続けることに強迫性があるかないかをチェックする

 メタ防衛無限後退という戦術を駆使する者に遭遇したら、まず私は後退者がメタ防衛を重ねなければならない要請の度合いや、メタ防衛を行うことへの強迫性・逼迫性を伴っているかどうかを調べにかかる。この取り調べには様々な釣り・尋問・爆撃などが方法として考えられるが、そこら辺は諸般の事情で省略する。
 

メタ防衛の必要性が高い相手なら

 もし、メタ防衛を重ねなければならない要請が強い相手だと分かったら、私は以下の選択肢を提案する。
 
1.「メタに逃げてんじゃねーよ」と気分を逆撫でさせる
 相手がメタ防衛を必要としている度合いが高くなければ通用しない挑発。この挑発をスルー出来ずにノコノコ出てきたらそこで勝負に出るなり袋叩きにするなりする。相手がスルーしてきたとしても、もしメタ防衛を重ねなければならない要請が強い相手なら*1、心にズキリと来るのを我慢しながらスルー力を発揮しているんだと思うので、相手が我慢ならずに穴蔵から出てくるまでズキズキと突きまくる。メタ防衛に対して乱暴な直面化に行い続けた場合、防衛への強迫性の強い対象は相当不快になる筈で、大抵は音を上げるか隙を晒す。
 
 実質的には、これが一番直接的なメタ防衛への攻撃になるんじゃないかと思う。この手法では、メタ防衛の内側で防衛されているものまでは手が届かないけれども、「メタ無限後退」せざるを得ない心的要請には手が届くわけで、それをダメージや揺さぶりの源とする。骨は絶てずにせいぜい肉を切る程度とはいえ、肉も切りまくれば出血するし、相手が脆弱だったりメタ防衛に依存しているほど“肉を切っただけで大きな悲鳴をあげる”、と読む。
 
2.「メタ防衛無限後退」がいかにも不誠実なものや恰好悪いもののように劇場観衆に訴えかける。
 例えばid:rAdioさんが私に対してしばしば試みる手法*2。メタ無限後退を行う限りは当事者性無しというプロパガンダを行ったり、メタ無限後退がチキンな人間のように言説をまき散らすのは、純粋な二者関係ではなく三人以上の状況下においてはある程度の威力を発揮する。
 
 つまり、メタ防衛無限後退が政治的・コミュニケーション的に選択しにくい情勢をつくりだして外堀を埋める、というわけである。1.の「メタに逃げてんじゃねーよ」という自意識へのヤスリがけと組み合わせて用いると、対象をメタの穴蔵から引きずり出しやすくなる。よしんば穴蔵のなかに潜んでいたとしても、穴蔵の外の堀を埋めてしまうことは可能だろう。穴蔵ごと政治的ブルドーザーで埋めてしまうのも一興だし、それを嫌って触手を伸ばしてくるようなら、そこを狙えばいい。
 

もし、メタ防衛無限後退への依存度や強迫性が低かったら、やめといたほうが…

 
 とはいえ、メタ無限後退への強迫性が低い相手や、メタ防衛への依存度が低い対象に対しては上記戦術はあまり効果的ではない。まして、議論の方法としてメタ視点やメタ-メタ視点が要請されているような場合・メタ後退が二手程度で済んでいる場合・一回きりの余興として行われている場合などは、メタ防衛への難癖はかえって危険かもしれない。そういった状況で“メタかっこうわるい”という形で観客を扇動するのは困難だし、“メタに逃げてんじゃねーよ”と指摘する自分の一手をアナライズされてかえって火傷するかもしれない。メタへの依存度や強迫性が高くない相手に対して、みだりに「メタに逃げてんじゃねーよ」というメッセージを乱発するのはリスキーだと思う。まなざし分析するのは、自分だけの特権ではない。相手も、観客も、お互いがお互いをまなざし分析している事は肝に銘じなければならない。図に乗って相手を追いつめているつもりが、そこを突かれてカウンターを喰らったり、観客の投げつけた空き缶が鼻っ面に命中した時のダメージも計算に入れたほうがよさげだ。
 

まぁ、最後はエゴ戦闘力の弱いほうが斃れるわけですがね

 
 とはいえ、結局最後に“戦場”に立っているのは、エゴセキュリティホールの管理が上手く、精神的にタフで、相手の弱点を的確に突ける人間なんだと思う。区々たる戦術では、多分情勢はひっくり返らない。総合的なエゴ戦闘力の高いほうが、おそらく“生き残る”。
 
 幾ら防衛機制を指摘されても「その通りですよね」と言える図太さがあれば斃れにくいし、幾らメタ防衛無限後退が巧みでも、防衛を指摘されることによるダメージをコントロール出来なければすぐに燻り出されてやられちゃう筈。防衛しなければならないセキュリティホールが大きな人でも、それを制御する諸機構が強力だったり、自分のセキュリティホールを突かれ慣れていたり、素早く衛生兵を呼ぶスキルを持っていたりすれば戦上手でしょう。

 また、防衛しなければならない心的要請を評価し損ねて、相手にとって防衛機制の要請が少ないポイントに兵を集中させては下手な戦になってしまうのは避けられないわけで、的確に対象のweak pointなり執着の焦点なりを把握する技能も問われてくる。もちろんスルー力が強く、なおかつ反撃の必要が無い場合は防御力だけが問われるけれども、打って出るほうが話が早い場合や、打って出ることが要請されている場合は、盾の質だけでなく矛の質も問われることになるだろう。
 
 メタ防衛の穴蔵に逃げ込む人が対象の場合でも、結局、総合的なエゴ戦闘力によってコミュニケーションの帰趨は決定づけられる、と私は思っています。相手の弱点を矛で突き、自分の弱点を盾で防ぐ。そして弱点を突かれても胆に力込めてよろめかずに立っていること。メタ防衛の洞穴に逃げ込む人も、それを狩る人も、結局、良い矛と良い盾を持って臨むのが妥当という、至極つまらない結論を私は抱いています。
 

 ※せっかくの機会なので、id:Masao_hateさんからの質問へのお返事として。
 ※今回は闘いという図式で書きましたが、相手をやりこめるよりも有意義な選択肢が沢山あることは言うまでもありません。相手の自意識をやりこめなければならない状況・やりこめることが最善の状況というのは案外と限られています。また、やりこめるにしても、失血死するほどやりこめなければならない場面というのはまず無いのではないかと。
 ※みんなでなかよく楽しく生きていけたらいいね☆

 

*1:ただし、強すぎる相手だとこの手は通用しない

*2:ただし、あれがどこまで成立しているのかというと私は疑問に感じる。なぜならrAdioさん自身がメタ防衛を駆使する人であり、ダブルスタンダードのカルマを冒しても平然としていることが劇場観衆への訴求力を低下させている、からだ。非モテロリストなる概念で自己正当化を続けている限り、rAdioさんは劇場観衆訴求力の低下を免れないし、つまり非モテに関して政治的に無力でしかない。