シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

週末の国道には空気の読めない車がいっぱい

 
 
「IQ」ではなく「コミュニケーション能力」こそ、真の意味での知的能力なのかもしれない。 | Books&Apps
 
 リンク先の記事は、対人コミュニケーションが関与するさまざまな仕事や場面で「他者の考えていることを類推する能力」「社会的知性」が重要であることを紹介している。このあたりがコミュニケーション能力の大事な要素というのはたぶんそのとおりだろう。
 
 ここからお役立ちっぽい話もできそうだけれど、今日は日曜日なので、週末の風景の話をする。
 
 週末になると、地方の国道沿いに建ったショッピングモールに向かって乗用車の長蛇の列ができあがる。地方ではお馴染みの風景だが、ほかの車の挙動を観察していると「他者の考えていることを類推しながら運転しているドライバー」と、「他者の考えていることを類推せずに運転しているドライバー」がいることに気づく。
 
 「他者の考えていることを類推しているドライバー」は、他の車の細かな挙動に反応しているのがみてとれる。前方を走っている車が中央分離帯のほうに寄っていくと、これから右折するのではないかと読み、少し速度を落としながら左側に車を寄せたり、歩行者が横断歩道に近づきながら車道を見つめているのを素早く確認し、横断歩道の手前できっちり停止してみせる。トラフィックの流れを見極め、過不足のない速度を心がけてもいる。
 
 しかし週末の国道には「他者の考えていることをろくに類推せずに運転しているドライバー」もいる。前後の乗用車の挙動に反応の乏しい車、歩行者の目線や動きにも鈍感な車、トラフィックの流れとは無関係に、自分がこれと決めた速度で我が道を行く車。右折するまでそれなりの時間があるはずなのに、右折直前に急にブレーキをかけ、ブレーキをかけた後にウインカーを点灯させる車。etc...。
 
 不慣れな県外ナンバーがこれをやるのは、まだわかる。そのドライバーは道に迷っているのかもしれず、周りの車や歩行者に気を回すゆとりが乏しいのかもしれない。小さな子どもを乗せて運転しているおかあさんドライバーについても、子どもへの対応で気を取られているかもしれない。かなりの高齢者のドライバー。うん、運転お疲れ様です。
 
 だが、国道沿いのショッピングモールに週末に出て来る、地元ナンバーの車はそうではないはずだ。いつもの週末、いつものショッピングモールへ吸い込まれていく地元の車で、ドライバーもそれなり若いのに、他のドライバーや歩行者の意図をぜんぜん読もうとしない車が少なからず混じっている。
 
 そういったドライバーの車が、周囲のことなど我関せずと我が道を行き、あっちをウロウロこっちをウロウロしているのを見ると、怖いなーという気持ちになる。そういうドライバーの車が、リアフロントに「お前をドラレコで観ているぞ、煽ってんじゃねえよ」などと表記していると、かえって煽りたい気持ちになる。もちろん煽ったりはしないけれども、「他のドライバーのことも歩行者のことも観てもいないのに、俺は我が道を行くぜと自己主張している車」という印象を持たずにいられなくなる。
 
 
 

「他者への思いやり」「譲り合いの精神」には社会的知性が必要不可欠

 
 
 自動車学校の教習では、ドライバーとしての心構えとして「他のドライバーや歩行者への思いやり」や「譲り合いの精神」を教えられる。これは、良い理念だと思う。
 
 しかし実際にこれらをやってのけるためには、まさに「他者の考えていることを類推する能力」、すなわち「社会的知性」が必要になる。
 
 自動車の運転、とりわけ日中の運転は、自動車そのものの挙動だけでなく、ガラス越しにドライバー自身の挙動も割と見えるので、他のドライバーの意図を類推する手がかりが豊富にある。ところが現実には、そういった手掛かりを読み取っているドライバーばかりというわけでなく、読み取ろうという意図すら感じられないドライバーも珍しくない。バックミラーをまったく覗いていないとおぼしきドライバーすらいる。
 
 自動車運転は、運転であると同時にコミュニケーションでもある。少なくとも自動車学校で習う「他のドライバーや歩行者への思いやり」や「譲り合いの精神」を実践するためには、歩行者とドライバー、ドライバー同士の間にコミュニケーションや意図の類推が行われなければならない。巧いドライバーは皆、自動車を操ると同時に他者とのコミュニケーションでもある運転という行為をしっかりやってのけている。
 
 ところがディスコミュニケーションなドライバーも結構いたりする。地方の国道沿いで安全な運転を心がけるためには、そういう社会的知性の発露がみられないドライバーを素早く察知し、そういうドライバーの車に特別な注意を払う判断も必要だと感じる。なにせコミュニケーションも意志の類推もきかない相手なのだから、次の挙動の予想のしようがない。予想のしようがないということだけは観察してわかるから、とにかく、遠巻きにするしかない。
 
 週末のショッピングモールへと続く国道を走っている限りでは、存外、社会的知性を発展させていない人が多いのではないかと疑いたくなる。それか、運転中には社会的知性がスリープモードになってしまう人がいるのかもしれない*1。なんにせよ、自動車学校で説かれている理念を実践するのに必要な社会的知性が、週末の国道にはちょっと足りてないように思う。
 
 

帰省ラッシュ時の高速道路もおっかない

 
 帰省ラッシュ時の高速道路でも同じようなことを感じる。高速道路では前後の車やドライバーの挙動にアテンションを回しやすいので、かすかな加減速やハンドルのブレなどからも、他のドライバーの意図を読み取ることができる。勝手な動きをするドライバー、慌てているドライバー、いろいろ気を遣っているドライバー、周りを何もみていないドライバー、様々だ。
 
 帰省ラッシュの高速道路の場合、ふだんは高速道路を走り慣れていなくて、高速道路上のコミュニケーション経験が不足しているドライバーも多いだろうから、ある程度は仕方がない。とはいえ、追い越し車線を遅いスピードでずーーーっと走り続けて、前も後ろも見ていないドライバーには困ってしまう。あのー、後ろがつかえているんですけど、バックミラーついてますかー?
 
 ちなみにドライバーの社会的知性が発揮されているのを見てみたい人には、日曜深夜の高速道路がいいと思う。日曜深夜は高速道路を走り慣れていないドライバーがあまりいない。ドライバーの社会的知性の欠如を見たいなら、週末の、ショッピングモールに向かう国道で十分です。
 
 

*1:この可能性を疑いたくなるのは、自動車というハコに移動するプライベート空間という側面もあるからだ。https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20131003/p1を参照。