誰かがtwitterのどこかで言っていたはずで、でも探しても見つからないのでここに書くと*1、twitterは、たくさんリツイートされればされるほど、つぶやきが自分の手許を離れて、たくさんの人のモノになっていく感があって、面白いような、恐ろしいような思いをする。
リツイートが10件未満の時、そのつぶやきはまだ自分のモノだ。自分のつぶやきが、半径1クリックのなかに拡散されている。
リツイートが100件を超えると、そろそろ自分のつぶやきなのか、自分の半径1クリックのつぶやきなのか、曖昧になってくる。見知っている多くのアカウントが自分のつぶやきをリツイートしているものだから、もう、自分自身のつぶやきである以上に、“自分達”のつぶやきでもある。
と同時に、これぐらいになると、見たこともないアカウントからのクソリプやコメント付きリツイートも交じりはじめる。ああ、自分のつぶやきが遠くに届き始めているんだなと実感するようになり、つぶやきが独り歩きしているのが肌で感じられる。
リツイートが1000件を超えると、つぶやきは自分のものでも“自分達”のつぶやきでもなくなって、「アルファツイッタラーのつぶやき」や「キュレーターのつぶやき」に近くなる。つぶやいたのは自分自身でも、拡散させた主因は遠くの誰か、いわゆる“拡散力”のある人達だ。だとしたら、そのつぶやきは誰のモノなのか?いや、何%が自分のモノなのか?
クソリプがガンガン飛び込んでくるようになる。世間は広い、いろんな人が信じがたい反応や感想や罵倒を投げかけてくる。「俺は、あんたにつぶやきを読んでもらいたくなかったんだ」と言っても仕方がない。もう、あのつぶやきはプライベートな呟きではなくパブリックな表明になってしまったのだ。パブリックな表明! 公園の記念碑になるなら誇らしいかもしれないが、単なるゴミ箱とみなされることも多い。1000RTをこえる拡散を経験すると、「パブリックな立場」とは一体どういうものなのか、垣間見るような気持ちになる。
twitterはオープンなインターネットの領域なので、そうしたつぶやきの拡散は、意図していなくても発生することがある。何気ないつぶやきが拡散し、自分の意図と制御をこえて拡散していくさまは、インターネットとは何か・パブリックな表明とは何かを考えさせられる良い機会だから、一度ぐらいは体験してみてもいいんじゃないかと思う。ネットの楽しさと怖さが、ゾクッとするような容貌をこちらに向けるわけだから。
*1:それらしいつぶやきを見つけた方、教えてください