私はもう三十歳なのでシューターとしては既に老兵。もう上達する余地はあまり無いし、仕事や家庭に押されていつかプレイ出来なくなってしまうかもしれない。だけど、今こんなにシューティングを楽しめていること、良い作品と出会える事を心から嬉しく思う。これからも良い作品はまだ出てくる筈――そのときまで私よ、どうかシューターであり続けてくれますように。
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20060107/1136638356
2006年1月、私は、こんな事を書いていた。
それから十年以上が経ち、仕事に追われるにつれてゲーセンから足が遠のいていった。「これからも良い作品は出てくる!」という希望を2010年頃までは持っていたし、シューターとしての修練も重ねていたつもりだったが、『ダライアスバーストAC』『怒首領蜂最大往生』を最後に、私の琴線に触れるシューティングゲームはアーケードシーンにあらわれなくなった。
アーケードシューティングゲームの季節はだいたい終わったように思える。もしかしたら終わっていないのかもだが、私自身のアーケードシューターとしての足取りは止まってしまった。
しかし。
アーケードシューターとしての私が死んでも、すべて終わったわけではない。
このたび私は、『ダライアスバーストクロニクルセイバーズ』を自宅にお迎えした。このような素晴らしいゲームを毎日楽しめるなんて!EIZOのディスプレイを二枚並べたら、ゲーセンの大型筐体とほとんど同じ環境ができあがってしまった。畏怖するしかない。
私のゲームライフはゲーセンからコンシューマ機(この言葉は死語だが、私はアーケードゲーム至上主義者だったから、この言葉を愛している)に軸足を移した。もとより『東方』シリーズや『とらぶるうぃっちーず』などは自宅で遊びまくっていたわけで、抵抗感はない。まだ、私の戦いは終わっちゃいない。
沈む太陽。昇る太陽。
私が温存していたシューティングゲームの技能は、子孫に受け継がれた。私が操るシルバーホークレジェンドの横を、子どものシルバーホークネクストが飛んでゆく。まだ、カメやクジラに張り付いて超連射するほどの技量は身についていないが、シーラカンスやオウムガイ程度ならバーストカウンターで屠り、一人でも十分に戦える。機体特性・システムを把握し、プレイに反映させる能力を身に付けている。いずれ、あらゆるボスを三枚おろしにする力を手に入れるだろう。
これは、シューティングゲームに限った話ではない。私という個人は発展の余地を含み、とくに臨床能力・文章制作・娑婆ウォッチの技能はまだ伸びるだろう。それでも私には命の限界があり、加齢による制約が次第に大きくなってくる。だが、私が獲得した文化資本のたぐいを、ゲームやアニメや本棚もひっくるめて継承してくれる者がいることを、私は嬉しく思う。
むろん、いつかは“父という名の幻想”は擲たれ、また擲たれるべきだろう。しかし、その日が来たとしても、空気を吸うように呼吸した我が家の生活、そしてシューティングゲーム攻略のノウハウ、ファイティングスピリッツ、努力を積み重ねる意味は、人生の素子となって残留し続けるだろう。
私は、シューティングゲームのおかげでコミュニケーションの即応性がものすごく向上したと確信している。なぜなら、シューティングゲームに求められる判断速度は、会話レベルの判断速度よりもずっと速いからだ。シューターが右か左かを判断しなければならない時間に比べれば、face to face なコミュニケーションに要する判断速度など、スローがかかっているも同然である。少し語彙を長めに発語すれば、1秒程度の時間を稼ぐのは雑作も無い。1秒とは、シューターにとって長い時間だ。そう感じられるのは、シューティングゲームを遊んでいたおかげだ*1。
シューターとしての私・ゲーマーとしての私は、もはや沈む一方だ。だが、『Gダライアス』*2が体現しているように、終わる生命もあれば始まる生命もある。ダライアスという、悠久の時間に思いを馳せたくなるゲームをやっていると、私は「これでいいのだ」と思う。戦え、未来のシルバーホーク!
DARIUSBURST CHRONICLE SAVIOURS
- 出版社/メーカー: 角川ゲームス
- 発売日: 2016/01/14
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