シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

あなたは誰かを幸せにしたいと願ったことはありますか?

 
 巷では、婚活テクニックだの、モテる女子力を磨く為のナントカだの、小手先のテクニックが耳目を集めていますが、結婚や恋愛について勘違いをしている人が増えているように最近思います。
 
 どこもかしこも「いい男(いい女)をゲットするための how to」ばかり。自分を幸せにしてくれる白馬の王子様やお姫様に出会ったら、後は幸福が待っているとでもいうのでしょうか?でも、これって根本的なところでおかしくありませんか?
 
 「あなたは誰かを幸せにしたいと願ったことはありますか?」
 
 恋愛にしても、結婚にしても、異性に幸せにしてもらうものじゃないでしょう。お互いに助け合って、お互いを幸せにしようという気持ちがなければ、どんなに良い異性に出会ったって幸せは長続きするモンじゃありません。にも関わらず、ある種の算盤勘定もたくましく、「イケメンが欲しい」だの「かわいい彼女が欲しい」だの…異性を“釣る”ことばかり考えて、“釣った後にどうするのか”“自分自身は何をやるのか”をまじめに考えていない人が、婚活している人のなかにも結構いるんじゃないでしょうか。
 
 けれども、思い出してください;恋愛や結婚って、ゴールじゃなくてスタートじゃないですか。本当に肝心なのは“異性を釣るまで”よりも“異性を釣った後”のほうです。そして、共同生活が始まった後の幸不幸を決めるのは、「相手の異性がどんな人で何をしてくれるのか」と同じかそれ以上に、「あなたがどんな人で何をしてあげられるのか」、です。
 
 ぶっちゃけ、素晴らしい異性をゲットしても、あなたがその異性を幸せにしたいと願っていない限り、ロクな目に遭わないんじゃないでしょうか。どちらか一方だけが幸福を待っていて、どちらか一方だけが幸福を世話するような男女関係は、まず長続きしません。恋愛や結婚に限ったことではないかもしれませんが、二人以上の人間が集まって幸福な時間を共有しようと思ったら、何かしら、お互いに幸福な時間を作ろう・相手に気持ち良くなってもらおうって気持ちがなければ無理なのです*1
 
 だというのに、「異性を幸せにしたいという気持ち」「誰かと幸福を一緒に作っていこうという気持ち」は、メディア上ではあまり言及されません。“ほとんど無視されている”と言ってもいいのではないでしょうか。これほど恋愛や結婚にとってクリティカルなエッセンスにもかかわらず、「相手を幸せにしたい気持ち」にスポットライトが当てられず、“異性を釣る”テクニックにばかりスポットライトが当たるのは、本当はものすごく偏った事であり、そのことを誰も不思議に思わない世の中自体も、ひょっとしたら偏っているのかもしれません。
 
 

「相手を幸せにしたい気持ち」の欠如は、バレる人にはバレる

 
 それと、「相手を幸せにしたい気持ち」の欠如ってバレるんですよ。
 
 「この人は幸せにしてもらうのを、待ってるだけの人なんだ。」
 「自分の幸せ以外、なにも眼中にない人だ。」って。
 
 身振り・仕草・言葉運び等等から、こうした兆候を読み取れる異性はすぐに読み取ってしまいます。
 
 これに気づいた異性は、たいていはフェードアウトしてしまいます。無理も無いことです、相手を幸福にしようって気持ちが欠如し、はては、相手に幸不幸の責任を負わせるような傾向のある人と付き合いたいなんて人は、そうザラにいるものじゃありません。幸せにしたい気持ちが欠如している人は、ただそれだけで、出会いのチャンスを遠ざけまくっています。本人も気づかぬうちに。
 
 ただし、これには例外があります。
 
 「相手を幸せにしたい気持ち」が欠如している者同士の場合は、お互い、相手のそうした欠如に気づきにくいようなんですよ。自分のことしか考えていない者同士の場合、“相手のことを見つめているウエイト”より、“異性と交際している自分自身に自惚れるウエイト”のほうが大きいせいで、そうした兆候を見逃してしまうのかもしれません。かくして、世にも不思議な「相手を幸せにしたい気持ち」が欠如したカップルが出来上がることがあるわけですが、こうした自惚れあっているだけのカップルが長続きすることはありません。お互いに「あいつのせいで不幸になった。」と恨みあうような破局を迎えるのが関の山です。
 
 

小手先のテクニックより、「相手を幸せにしたい気持ち」を育てよう

 
 ここまでを踏まえるなら、「相手を幸せにしたい気持ちが欠如」しているままでは、幸福な恋愛や結婚は難しい、と結論づけるしかないような気がします。単に異性漁りがしたいだけなら、自惚れのための恋愛を繰り返すのも良いかもしれませんが、そんなことでは、心が安らぐような、長続きする結婚や恋愛にはいつまでもたどり着けないでしょう。
 
 となると、マトモな意味で恋愛や結婚の幸せを作り上げたい人は、まず「誰かを幸せにしたい気持ち」を自分自身のなかに育んだほうがいいんじゃないの?ということになります。
 
 なら、どこでどうやって「誰かを幸せにしたい気持ち」を育むのか?
 
 実践の場なら、幾らでもあると思います。別に異性が相手である必要も、恋愛関係である必要も無いと思うんですよ。職場の同僚、学校のクラスメート、自分が所属しているサークルの仲間達。自分が日ごろからポジティブな気持ちで接している人との日々のやりとりのなかで、「相手を幸せにしたい気持ち」の種が育つんだと思います。「君の幸福を全部僕が引き受けるよ」みたいな大仰なものである必要はありません。ちょっとだけ気持ち良く働けるように言葉を選んでみようとか、ちょっとだけ相手に気づかれないような親切を実践しようとか……その程度のレベルのほうがウソくさくないですし、嫌いな相手にまで親切になろうと思うのは難しいので、まずは親しみを感じる相手からはじめるのが良いような気がします。
 
 この実践を、「たいしたことじゃない」と感じるか「大変なことだ」と感じるかは人それぞれでしょうけど、こうした「好きな人をちょっとだけ楽しませたり喜ばせたりする」体験を積んでいる人と積んでない人の違いは、何年も何年もかけて蓄積していき、いざ恋愛、いざ婚活というときにニュッと首をもたげることでしょう。いやいや、普段のコミュニケーションや人間関係全般にも、広く薄く影響し続けることになります。無視して通り過ぎるわけにはいきません。
 
 勿論、なんでもかんでも「自分の心持ち次第」と言ってしまうのも危険だとは思います。だとしても、「誰かを幸せにしたい気持ち」の欠如から目を背けすぎるのもまずいのではないでしょうか。
 
 自分の幸せしか考えたことの無い人は、小手先ばかりの婚活テクニックやモテ術を暗記している場合じゃありませんよ?
 

*1:もちろんこれは、「相手に自分を幸せにして貰いたい」って気持ちを持っていてはいけないという意味ではありません。「相手に自分を幸せにして貰いたい」って思っても構いませんし、またそう思うほうが自然ですが、それとは別に、「相手を幸せにしたい気持ち」が少なすぎるとヤバいですよ、という意味です。